読書日記

いろいろな本のレビュー

ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅 レイチェル・ジョイス 講談社

2024-07-03 12:54:39 | Weblog
 本書は最近映画になった「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」の原作で、2012年に発表されたが、著者としては小説デビュー作で、いきなり英国文学最高の賞であるマン・ブッカー賞にノミネートされて大きな反響を呼んだ。もとはBBCのテレビ・ラジオに二十本を超える作品を提供してきた脚本家であったようだが、読んでいて登場人物の描き方が粒だっており、その片鱗をうかがわせる。その点で映画にし易い作品だと言えよう。映画の方はまだ未見だが、早くしないと終わってしまいそうだ。

 主人公はハロルド・フライ、65歳、長年勤めたビール工場を定年退職して半年が経つ。内向的で人づきあいが苦手、家では結婚して45年になる妻のモーリーンとは昔から関係は冷えたままだ。秀才の息子はケンブリッジ大学に行っていたが精神を病んで自死してしまった。一般的に言うと、厳しい老後を送りつつあるという状況だ。そんな中、フライのもとに一通の手紙が届く。手紙の主はクウイニー・ヘネシーという女性で、ビール工場時代の同僚である。彼女は20年も前に突然彼の前から姿を消したのだが、がんで余命いくばくもないという内容だった。フライはこの女性に世話になったことがあり、返事をしたためて投函しようとしたが、それよりもこのまま歩いて彼女のもとに歩いていけば、彼女の命を救えるかもしれないと思うようになった。そこでフライが住んでいるキングスブリッジから彼女がいるベリックまで800キロの道のりを歩き始める。

 小説は目的地にたどり着くまでの87日間の旅行記だ。途中、メディアの知るところとなり、それぞれの悩みを抱えた人や思惑を持った人を引き寄せて集団が作られ、「二十一世紀の巡礼の旅」などともてはやされたりもする。その中で様々な人間と交流する様子が生き生きと描かれる。今まで家に閉じこもりがちだったフライにとって新しい世界が開けていく。歩くうちにハロルドの心が徐々に開かれ、今まで直視することを避けてきた家族との過去のあれこれがよみがえってくる。旅先から妻に出す手紙や電話によって、冷え切っていた妻の気持ちも次第にほぐれていく。息子の早世はこの家族にとって痛恨の出来事だったが、この無理筋とも思える巡礼の旅によってその悲しみが昇華される記述は見事というほかはない。もと同僚のクウイニー・ヘネシーの死は避けられないが、彼女を献身対象とすることで、自身の苦悩から解放されていくという構図はまさに巡礼の旅そのものだ。この巡礼に参加した人々もそれぞれの人生があり、読者はそれを読んで、自分の今の境遇を相対化することができる。ここら辺、映画はどう描いているのか見てみたいものだ。

 800キロ離れた女性のもとに歩いていくというのは悟りを開くための旅と言えないこともなく、その強固な意志は宗教心と言ってもいいかもしれない。この旅を終えたフライは神や仏との機縁を持ちえたという意味で宗教者である。聖である。晩年になってこれを体験できたことはなんと幸福なことか。

シニアになって、ひとり旅 下川裕治 朝日文庫

2024-06-19 09:22:47 | Weblog
 タイトルが何とも寂しい感じだが、著者は1954年生まれで今年70歳だ。私は1951年で彼より三歳年上。年上だからといって自慢できることはない。彼の作品は近年朝日文庫で読めるが、大抵のものは読んでいる。昔は海外旅行のレポが多かったが、コロナの影響で旅行記が書けなくなったと言っている。そうなればたちまち収入減となり、生活が厳しくなる。自営業の厳しいところだ。今回は国内旅行記で、著者の人生回顧が織り込まれているところがミソだ。七章建ての構成で、デパート大食堂、キハ車両、暗渠道、フエリー、高尾山登山、路線バス、小豆島でお遍路となっている。

 この中で一番懐かしさを覚えたのは、第一章の「デパート大食堂が花巻にあった」である。マルカン百貨店は花巻市の老舗で、昔は繁盛していたが昨今の不景気で食堂のみが残ったという。そのマルカンビルの6階に著者は向かう。そこにあったのはたくさんの料理サンプルだった。お子様ランチ、プリン、カレー、ハンバーグetc。そこで著者はカレーとラーメンを注文する。因みにカレーは500円と安めの設定。これはフアミリー向けの工夫らしい。実際ここにはこども連れの家族がたくさん来ていた。それを見て著者は寒気を覚える。その理由をこう述べる。シニア世代の僕は、百貨店の大食堂を知っている。その空間に放り込まれたとき、懐かしさを通り越して寒気を覚える。子供時代の日々は、それほど甘美ではない。絡み合った両親との関係や妹との軋轢が渦巻いている。その世界が堰を切ったように浮かび上がってしまう。「ここはヤバい」僕はそう思ったと。どうも下川家の百貨店大食堂行は、団らんの場所ではなかったようだ。

 著者は自分の家族と百貨店大食堂の思い出をこう述べる。「子供の頃、たまに家族で長野市の丸光百貨店の大食堂に行った。日曜日だった。父親はいつもいなかった。父親は高校の教師だったが、高校野球に染まった人生を歩んだ。日曜日は対外試合でいなかった。そんな父親を母はどう思っていたかはわからない。しかし日曜日の昼時、母は何を思ったのか、僕と四歳年下の妹と三人で百貨店の大食堂に向かった」。これが先述の「寒気を覚える」の要因だと思われるが、百貨店の大食堂に集う一見幸福そうに見える家族も抱えている問題は多様だ。当たり前の話だが。

 私の百貨店大食堂の思い出は著者ほど心理的に込み入っていない。夏の海水浴に和歌山市の磯ノ浦に母と行って、帰りに市内の丸正百貨店の大食堂でお子様ランチを食べて、母の知り合いのKさん宅を訪問して帰るという感じだった。二歳下の弟も一緒だったが父親は同行することはなかった。父は下川氏の父上と同じ高校教師だったが定時制に努めていた。だから昼間は家にいることが多く、一緒に紀ノ川に魚釣りに行ったことを覚えているが家族で出かけることを好まなかったようだ。それでも家族関係について苦悩することはなく至って平穏に過ごしていたことは両親に感謝しなければならない。

 人生70歳を過ぎると、身内や友人との別れが多くなるが、それを乗り越えて生きていかねばならない。若い頃に見た風景と今見る風景は同じ風景であっても見た時に回顧が伴うという意味で番って見える。本書にはそういう感じが横溢していて共感できた。次の旅行記を楽しみに待ちたいと思う。


カーストとは何か 鈴木真弥 中公新書

2024-06-08 08:23:30 | Weblog
 副題は、インド「不可触民」の実像 である。インドは今や中国に代わって大国の地位を獲得しつつあるが、国内に眼を向けるとカースト制度による混沌があるようだ。著者はフイールドワークによって、不可触民(ダリト)の実相を報告してくれている。フイールドワークは国情の把握に有力な方法だが、現地の協力者を探すのが大変な苦労だ。これは『中国農村の現在』(中公新書)でも同じだった。中国では国内の政治体制による困難さがあり、インドではカースト制度による差別問題の困難さがある。でもこれだけの本にまとめたのは賞賛に値する。

 著者によると、カーストとは、結婚、職業、食事などに関して様々な規制を持つ排他的な人口集団である。各カースト間の分業によって保たれる相互依存の関係と、ヒンズー教的価値観によって上下に序列化された身分関係が結び合わさった制度である。バラモン クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの下に位置付けられているのが不可触民(ダリト)で皮革加工、清掃など穢れとされる職業に従事する。この身分差別はヒンズー教と関わっているところがポイントで、仏教が衆生済度を旨としているところと大いに違っている。宗教が民衆を分断するというのはどういうことなのであろうか。私はこの問題には不案内だが、研究する価値はありそうだ。

 冒頭に二人の政治家の紹介がある。一人は非暴力主義不服従による独立運動を展開したM・F・ガーンディー。もう一人は不可触民廃止運動を強力に展開したB・R・アンベードカルである。ガーンディーはカーストについては肯定的で、職業の世襲を重視し、先祖伝来の職業を継承することは社会的義務と主張していた。一方アンベードカルは不可触民差別の元凶はヒンズー教と考え、死去二か月前に仏教に改宗した。二人の死後、それぞれ「ハリジャン運動」「ダリト運動」として継承されている。ガーンディーは不可触民制を差別する側の心の問題と捉え差別するカースト・ヒンズーの改心によって問題を克服しなければならないと説いた。それに対してアンベードカルは不可触民が非差別的状況から抜け出すにはカースト・ヒンズーの憐憫にすがるのではなく、不可触民自身が教育を受けて広い視野を持ち従属的状況を自覚し、自力で改革に取り組まなければならないことを主張し続けた。 個人的にはアンベードカルの主張の方がわかりやすくて正論だと思う。学歴によって差別を乗る超えるというのは日本でもあることだからだ。しかし、本書後半で不可触民出身の高学歴カップルの話題が載っているが、その出自を隠すことに精力を費やす苦労が語られる。また高等教育での差別によって自殺者が増加しているという話を聞くと差別意識を払拭することの難しさを思わざるを得ない。

 さて不可触民の生活実態はどうかという問題だが、第三章の「清掃カーストたちの現在」と第四章の「インド社会で垣間見られるとき」に詳しい。ここはフイールドワークの成果だと言える。指定カースト「清掃人」の中でも「屎尿処理」とそれ以外の「清掃人」の扱いは明確に区別されると書かれている。中でも汲み取り式便所を掃除する「屎尿処理」はヒンズー教で最も不浄視され過酷な労働を強いられている。汲み取り式便所は乾式便所と言われるが、これを手作業で掃除する女性の写真が載せられているが言葉を失う。これはヒンズー教の浄・不浄の観念のもとで発達した身分意識だが、人権侵害の何物でもない。同じページにムンバイの下水清掃人の写真もあるが、三人の男性の体は汚物まみれだ。このトイレ問題は社会の民度をはかるメルクマールになるので、国を挙げてキャンペーンを今以上に強力に展開する必要があるだろう。それにしても「屎尿処理人」のカーストが解放されない限り解決は難しそうだ。

 それと「清掃カースト」の住居のにおいと彼らの食事(豚食と飲酒)が感覚的に差別感情を引き起こしやすいという指摘だ。ヒンズー教ではイスラム教と同様豚は不浄の動物と考えられ忌避の対象である。このにおいと食事は日々の生活を構成する重要な要素であるので、この点から言っても、差別意識を助長することはあっても、払拭するのは困難だ。時間が解決するという問題でもないので、IT王国インドの行方はそれほどバラ色ではない。全体主義国家中国のように9億の農民を犠牲にするという政策を臆面もなくとれるならいいが、インドは一応民主主義国家を標榜している手前、不可触民(ダリト)問題はを放置できないだろう。アンベードカルが不可触民差別の元凶はヒンズー教と考えたのは正鵠を得ている。宗教に組み込まれた差別問題は難問である。日本の部落問題の比ではない。

河東碧梧桐 石川九楊 文春学藝ライブラリー

2024-05-25 08:00:28 | Weblog
 本書は正岡子規の弟子で自由律俳句の先駆者であった河東碧梧桐の伝記である。同じ子規の弟子であった高浜虚子との対比によって守旧派と革新派の確執が語られる。彼は俳句のみならず書にも数多くの傑作を残しており、これを書家である作者が紹介しているところが本書の眼目と言える。書家碧梧桐という側面は私も知らなかったので、非常に興味深い。作者によると、碧梧桐は俳句と書とを「文筆」として一連のものとして考えていたようだ。友人の中村不折所有の中国六朝時代の書の拓本を見せられて魅了され、六朝書と俳句革命が連動しており、俳句革新の旅は書の「六朝」への革新の旅でもあった。

 「赤い椿白い椿と越智にけり」  「思わずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇(ふゆそうび)」 これらは碧梧桐の代表作だが、これを六朝風の書体で書くとまさに芸術作品の風格を帯びてくるから不思議だ。ただ読んで耳で音を聞くだけでは不十分で、きれいな書体で書かれたものを鑑賞するのが基本的なやり方だという作者の説明はなるほどと感心せざるを得ない。本書は俳句の書体を様々分析しているところが眼目で非常に新鮮だ。ライバルの高浜虚子は碧梧桐の新傾向俳句、六朝書への傾倒ぶりを冷ややかに見ていたようだが、その対決姿勢は 春風や闘志いだきて丘に佇つ(昭和33年)という句に表れている。著者は、「闘志いだきて」という生硬な語を中句に収めたところに新規さがあるといえ、感情むき出しゆえの醜さが露呈していると酷評している。余談になるが、以前ある県の高校入試の問題にこの虚子の俳句が出題されて、作者の心情を問う設問があったと記憶する。このストレートな表現が中学生にピッタリという判断だったと思うが、この時の虚子はライバルを蹴落としてやるという青春真っ最中の中学生の純真無垢さとは無縁の感情であったことを出題者は理解していなかったのだろう。俳句の解釈も年代史的にやらなければ本当の心情はつかめないのではないか。

 著者曰く、虚子は子規や碧梧桐の俳句革新を嗤うように、俳句を季題・季語と音律数からなる短詩という通俗的な定義に割り切ることによって、大衆的な俳壇を形成し、その首魁としての位置を定めたのであると。この二人の関係を著者は「たとふれば双曲線のごとくなり」と表現している。確かに世の中このような人間関係はざらにある。碧梧桐は63歳で亡くなるが、虚子は85歳まで生きた。この点から言っても革新者碧梧桐の悲劇性はいやがうえにも盛り上がる。

 俳句を手書きにしてその書体を味わうことが大事だという著者の主張は目からうろこであったが、さらに続けて著者はいう、パソコン作文をデジタル文学とでも呼ぶようにすれば、芥川賞といっても過去と何たる違いと思い悩むこともなくなる。現在の芥川賞も従来の手書きによる芥川賞と、近年のデジタル作文の「e芥川賞」と「D芥川賞」と区別するようになれば、ずいぶんとわかりやすくなる。(中略)文学は「書くこと」=筆触から生まれてくる、その化体であるからであると。手書きの醍醐味は書家としての矜持の表れであり、彼の主張を旧弊なものとして退けることはできないだろう。とにかく碧梧桐の巨大な足跡を掘り起こし、今文学が直面する課題を提起したという意味で大いに評価すべき一冊である。

 

放浪・雪の夜 織田作之助 新潮文庫

2024-05-08 09:39:40 | Weblog
 織田作之助傑作集と銘打って、11編の小説が収められている。まずは森英二郎氏によるカバー装画がいい。道頓堀のグリコ前の夜景を水彩画で描いたものだが、郷愁を誘う。織田作之助と言えば『夫婦善哉』が有名だが、恥ずかしながら今まで彼の作品は読んだことがなかった。今回本書を読んで、結構うまい作家だということが分かった。晩年はヒロポン中毒で最期は喀血して34歳で死んだが、残念なことである。彼は無頼派と呼ばれ、太宰治や坂口安吾と交流があったが、作品の物語性は共通するものがあり、ただの大阪在住の地方作家という私の見方を大いに反省した。彼の生まれ育った難波周辺の風俗を描いているが、彼自身は三高出身のインテリで、決して通俗に流れない味があって好感がもてる。

 本書では戦前・戦中の大阪の暮らしが彷彿とされる言葉が沢山出てきて、こちらも『大阪ことば事典』(講談社)で確認しながら読み進めた。巻末の注解は詳しくて大変勉強になる。少し例を挙げよう。「現糞」(験すなわち縁起が悪いことを忌み嫌って「くそ」をつけた言葉。「現糞悪い」という言い方をする。「坊んち」(良家の若い子息を呼ぶ語。坊ちゃん。)「夜泣きうどん」(夜中に屋台を引き、売り声を上げたり、音を鳴らしたりして客を呼ぶうどん屋)
「関東煮」(おでん)「まむし」(鰻めしのこと)「胸すかし」(千日前の竹林寺の前で売っていた鉄冷鉱泉。炭酸水のこともいう)「でん公」(大阪で町の不良、ばくち打ちのこと)「コーヒ」(コーヒーを短く縮めた)「おんべこちゃ」(同じであること。おあいこ)以上私の目に留まったものを挙げてみたが、「おんべこちゃ」は知らなかった。『大阪ことば事典』では、「オンベ」で出ていて、(同じこと。あいこ。また、オンベコ。オンベコチャン。)とある。大阪弁も奥が深い。

 最近はテレビなどでは大阪弁を含む関西弁を使う人間がみられるが、多くは吉本などの芸人でそのイメージは決して良くないものとして演出されることが多い。東京のテレビ局の悪意によるものがまま見受けられる。「東京に負けへんで」という気概が大阪にはあり(村田英雄の「王将」や天童よしみの歌など)、これを少々皮肉ってやろうということなのかなあと思ってみたりもする。しかし、東京に負けたくないという気持ちは「関西人」にアプリオリなものとして備わっているのではない。在阪のテレビ局などは、何かといえば「関西人」を強調するが、こちらに住む私としてはいい迷惑である。その昔、作家の池波正太郎氏は、「生粋の江戸っ子は大阪の悪口なんか言いはしないし、逆に生粋の浪速っ子は東京の悪口を言わないでしょう」という趣旨のことを言われていたが、全く同感である。それぞれの文化の中で育ってきた人間にはおのずと品格が備わるものである。

 これに関わって、織田作之助も本書の「神経」という作品で次のように言っている。曰く「帰りの電車で夕刊を読むと、島之内復興連盟が出来たという話が出ていて、【浪速っ子の意気】いう見出しがついていたが、その見出しの文句は何か不愉快であった。私は江戸っ子という言葉は好かぬが、それ以上に浪速っ子という言葉を好かない。焦土の中の片隅の話をとらえて【浪速っ子の意気】とは、空景気もいい加減にしろと言いたかった。【起ち上る大阪】という自分の使った言葉も、文章を書く人間の陥りやすい誇張だったと、自己嫌悪の念が湧いてきた」と。空襲で大阪が焼け野原になった頃の話だ。織田は大阪生まれのインテリだが、その彼にしてこの謙虚さはさすがというべきだ。池波正太郎と通ずるものがある。今度はぜひ『夫婦善哉』を読みたいものだ。

ナチ親衛隊(SS) バスティアン・ハイン 中公新書

2024-04-18 11:52:51 | Weblog
 副題は『「政治的エリート」たちの歴史と犯罪』で、ナチの世界観・人種イデオロギーに最も忠実だった犯罪的組織の姿を描いたもの。第一次世界大戦で敗戦国になったドイツはヴェルサイユ条約条約で多大の賠償金を課せられ、軍備も禁止された。その中で様々な政治的傾向の自衛軍事団体が多数創設された。後にナチの組織となる突撃隊と親衛隊もそれである。ヒトラーは1924年に釈放された後、翌25年二月にナチ党を再建するが、暴力装置としての突撃隊はレームによって支配されており、ヒトラーの指揮下に入れることが困難だった。そこで彼は「親衛隊」を創ろうとして1926年四月に親衛隊編成プロジェクトをヨーゼフ・ベルヒトルトに委ねた。ベルヒトルトは、ナチ党大会がヴァイマルで開催された1926年までに、およそ75部隊、合計1000名ほどの隊員の募集に成功する。以後親衛隊はヒトラーの直属の組織としてナチの戦争犯罪のお先棒を担ぐことになった。それを指導したのがハインリッヒ・ヒムラーである。

 ヒムラーは親衛隊募集に際しては、最良の「アーリア人」であることにこだわり、さらに健康第一の考えに基づきスポーツ教育を実施し、さらに「アーリア人」の「良質な血」を汚し、ドイツ人を征服するためには、いかなる破廉恥行為も辞さない寄生虫、吸血動物、小児凌辱者だとユダヤ人を誹謗した。これは偽書とされる『シオンの賢者の議定書』を根拠になされた。また親衛隊が「強烈な体験」を共有できるよう、全部隊が参加する夏至の火祭りを開催した。ここで隊員たちは「指導者に永遠に忠誠を尽くし、死ぬまで親衛隊共同体の盟約にとどまり、我らが民族に仕える」と誓わされた。その流れでヒムラーは、親衛隊の脱キリスト教化だけでなく「宗教に類似する儀式と生活様式」を備えた「キリスト教に代わる別の宗教の創出」が重要だと考えていたという。(本書P75) また「レーベンスボルン(生命の泉)」という親衛隊の下部組織を作った。その目的はドイツ民族の「北方化」という人口政策上の目標の促進にあった。具体的には「北方系」の女性たちが意図的に親衛隊員と掛け合わされる生殖施設であった。このいかれたヒムラーに率いられた親衛隊はヨーロッパ各地でユダヤ人の大量殺戮をはじめとしたジェノサイドを展開したのであった。

 独裁者が支配するナチスドイツは全体主義国家と言っていいと思うが、そこで行われた親衛隊員に対する教育が無辜の民を迫害したという事実は肝に銘じなければならない。さらにプロパガンダによる国民の支配・煽動によって国家が危機的な状況になるということも忘れてはならない。ヒトラーもヒムラーも敗戦時に自殺したが、それで済む話ではない。彼らが権力を掌握したプロセスをしっかり研究して学ぶことが肝要だ。戦後ドイツは戦犯裁判等でナチズムと向き会うことになるが、その中で第6章に親衛隊に関する記述がある。その部分を引用すると以下の通り、『親衛隊で働いていたのは単なる出世主義者ではない。確信的で、強い動機に支えられた「世界観の実行者」である。親衛隊は「生存権」を獲得し、そしてユダヤ人を根絶するための戦いを「即物的」かつ「絶対的」に遂行した。またこれはアイヒマンにも当てはまる。彼はエルサレムで死刑を免れようと、自分を「行政による大量殺戮」における意思を持たない「小さな歯車」という卑小な存在に見せようとしたのだ』と。

 これはハンナ・アーレントが『イスラエルのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告』で「出世の役に立つことなら何でもするという異常な熱意の他には、(中略)動機らしい動機は何もなかった」と書いたのとは違う分析である。また親衛隊の犯罪について、ジェラルド・ライトリンガーが、親衛隊は1945年以降、ドイツ人にとって「都合のよすぎるスケープゴート」に、「国民のアリバイ」になってしまったと嘆いた。アーレントはこれに触発され、ユダヤ人殺戮はドイツ社会の周縁でのみ行われたのではなく、社会的に「名声を得た人々」の多くも関与していたと主張したが、まっとうな見解である。失敗すれば責任を取るのは当たり前で、特に権力を持つものは言うまでもない。しかし昨今の日本の政権与党のリーダーは一切その気配がない。恥を知れと言いたい。この卑小な権力者にいつまで付き合わなければならないのか。

中国農民の現在 田原史起 中公新書

2024-04-03 11:12:42 | Weblog
 サブタイトルは『「14億人の10億」のリアル』で、10億とは農民の人口のことである。中国は人民公社システムを支える方策として1958年に戸籍制度を作り、農業戸籍と都市戸籍を厳密に区別して、農民の都市流入を阻止してきた。本書によると、「農業戸籍」を持つ農民が用事で都市に出かける際にも公社幹部の紹介状が必要で、食糧配布切符(糧票)がなければお金があっても食料が買えず、ましてや都市での住宅なども配分されない。つまり農民が仮に都市に逃げ込んでも生きてゆけないシステムになっていた。一方都市は「単位」(職場や所属先のこと。昔の中国語のテキストによく出てきた単語である)システムで、政府機関、工場、学校などで構成され、政府の直接的官吏と手厚い保護のもとに置かれていた。いわば農村は都市の食糧庫のようなもので、その余剰をもとに重工業化と軍部化に備えたのである。今は人民公社は解体されたが、戸籍の二元化は今も変わっていない。

 今、農民は都市に出稼ぎに行って日々の糧を得ようとしている。彼らを「農民工」と呼ぶが、都市での生活は厳しく、都市住民のような権利を与えられていないために、都市住民の犠牲になっているというイメージが強いが、それは事実かというのが本書の内容である。そのために著者は2000年以降、農村のフィールドワークを実践して、農民の生活をつぶさに観察してきた。最近の中国の情勢では外国人が農村に入ること自体「スパイ防止法」に抵触して公安に連行されてしまうだろう。そもそも入国を阻止される可能性がある。その意味で、貴重なレポートと言える。

 レポートの内容を逐一追うことはしないが、まず農民が都市住民との格差に大きな不満を抱いているのではないかという疑問については、農民の方でそれは仕方のないことという諦念のようなものがあるという著者の指摘であった。なるほど戸籍制度ができて66年。もはやこの制度がアプリオリなものとして農民階級に染みついているのだろう。農民は都市住民との確執などもはや持たないレベルといえる。彼らの日常は家族主義で、家の繁栄存続を基本とするようだ。よって男の子を生んで、家の存続を図るというのが最大の願いらしい。今までの一人っ子政策(農村は二人まで可能)で男子を設けられなかった場合、村の世話役を降りるという例が報告されている。また出稼ぎで稼いだ金で自宅を新築して他人より大きな家を建てることに注力する。都市住民とは競わないが、村の連中とは競うようである。この村に共産党は村民委員会を設置して党員をアメーバのように派遣して村の運営に当たらせている。そのリーダーは「基層幹部」というべき存在で、上のレベルの政府部門と村とを結びつけるパイプの役割を果たす。よって農民が反乱を起こして治安が乱れる可能性は低いと言える。

 自分の村とその周辺の社会は農民にとってはある種心の平安を得られる場所であり、いつでも帰っていける場所である。著者はこれを「人情社会」と名付けて大・中都市の「競争社会」と区別している。農村地帯の小都市を中核とする共同体を活性化させることで、中国の礎である農民社会の存続を習近平は図っているという。なるほど最近の文革回帰的な施策を見れば首肯できる見解ではある。その中で才能のある農民は共産党に入って、のし上がればよいということなのだろう。前首相の李克強のように。彼は農村の貧困は解決されておらず、4億人の農民の月収は2万円程度という報告をして習近平の怒りを買ったのはご承知の通り。彼の頓死もこのことと関係があるのではないかという憶測も流れた。あり得る話である。習近平は経済政策に無頓着で中国の経済はどんどん悪くなっていると報じられているが、彼は10億の農民がしっかりしていれば国は安泰だという信念を持っているのではないか。いざとなったら毛沢東時代の「自力更生」に戻ればいいと。

高瀬庄左衛門御留書 砂原浩太朗 講談社文庫

2024-03-20 14:15:46 | Weblog
 最近は時代小説が人気のようで、図書館にもコーナーが設けられている。主に江戸時代ものだが、本書もその一つである。昔は司馬遼太郎、山本周五郎、海音寺潮五郎、池波正太郎、藤沢周平などの作品を読んで楽しんだが、今は時代小説作家が山ほど出現し、書店や図書館の書棚をにぎわせている。気楽に読めることが第一で、江戸時代の歴史・風俗を背景にすることで、何か異界に入っていく快感も味わえることも人気の原因と思われる。今日の朝刊の出版社の広告欄にも「この放蕩侍、滅法強い!時代小説界のニューヒーロー誕生」とか「世に怖きは噂の力。町方同心魂を存分に見せよ!」などの惹句を冠したシリーズ物が跋扈している。現代小説を江戸フレーバーで味付けしたのが、最近の流れのようだ。シリーズものにすることでフレームワークを固めて、あとは事件をでっちあげる、これで大量生産が可能になる。読者は人生の糧を求めるわけではなく、暇つぶしで読むだけなので、これで十分と言えば十分なわけだ。

 本書を書店で見た時、腰巻に「生きる悲哀を全て味わえる必読の時代小説」とあり、直木賞候補、山本周五郎賞候補、そして野村胡堂文学賞、舟橋聖一文学賞、「本屋が選ぶ時代小説大賞」「本の雑誌」2021年上半期ベスト10第1位の四冠、武家物の新潮流にして絶大なる評価を得た出世作!とこれでもかという宣伝文句につられて購入。九か月近くほったらかしにしていたがやっと手に取った次第。400ページの長編だが、「生きる悲哀を全て味わえる」ことはなかった。カバーの要約には「神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門。五十歳を前に妻に先立たれ、俊才の誉れ高く、郡方本役に就いた息子を事故で失ってしまう。残された嫁の志穂とともに、手慰み絵を描きながら、寂寥と悔恨の中に生きていた。しかし藩の政争の嵐が、倹しく老いてゆく庄左衛門を襲う」とある。「郡方」とは、藩では代官の上にある地位で、年貢・戸口・宗門・検断・訴訟など農村に関わる職務である。また「御留書」とは、郡方が担当する村の庄屋から申告された収穫高や、自分で行った検見、見聞した現地の様子をまとめた報告書のこと。この主人公が藩の政争に巻き込まれるという設定なのだが、元々そう高くない身分なので、巻き込まれたといっても藩の存続云々の話にならないところが難点だと思われた。そして登場人物がやたら多い(特に後半)ので、人物のイメージがはっきりしない感じがした。最初に登場人物一覧表をつけておけば読みやすいのに、、、、。

 本書を読む一方で、池波正太郎の『鬼平犯科帳』(文春文庫)を二冊読んだが、こちらは数段読みやすい。手練れの小説という感じで、気楽に読める。火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公とする捕物帳で、フレームワークは決まっているのだが、毎回いろんな盗賊とその周辺の人物がヴィヴィッドに描かれていて楽しく読める。さすが熟練の技という感じだ。池波正太郎はもともと新国劇の座付作者もやっていたので、作品には会話が多く戯曲的要素が濃い。話の中身も多様で、事件の展開が楽しめる。その伝でいうと『真田太平記』(新潮文庫)もお薦めだ。

 砂原氏の今回の作品は、全編生真面目感が横溢しており、純文学的時代小説と言っていいのではないか。腰巻の「生きる悲哀を全て味わえる」という文句は言ってみれば若者向けで、高齢の読者からしたら「何言ってんだい」という突っ込みも入るかも知れない。でもこれだけの長編にできたからには、これから庄左衛門を含めて「神山藩作品」がどんどん書けそうだ。

この世にたやすい仕事はない 津村記久子 新潮文庫

2024-03-06 09:55:12 | Weblog
 タイトルが面白いので読んでみた。津村氏は2009年に『ポストライムの舟』で芥川賞を受賞、その後も順調にヒット作を出している。私は彼女の熱心な読者ではないが、時々読んでは人間関係の描き方がうまいなあと感心することがことが多い。津村ワールドというべきものを持った有能な作家だと言える。本書は大学卒業後14年間働いた会社をストレスでやめた後、非正規で就いた五つの仕事について述べたもの。主人公は作者の分身と思われる女性だ。目次は、第1話 みはりのしごと 第2話 バスのアナウンスの仕事 第3話 おかきの袋のしごと 第4話 路地を訪ねるしごと 第5話 大きな森の小屋での簡単なしごと となっている。これらの「しごと」を著者は実際体験したのだろうか、本当にこれらの仕事があるのだとしたら、世間は広いものだと言わざるを得ないし、著者が想像で描いたとすればそれはそれですごい能力だ。

 学校教育を終えたあとの関門は就職ということになるが、就職は生きる糧を手に入れる手段で非常に重要になってくる。したがって高校などでも生徒は就職に有利になるようにと、よりレベルの高い大学を目指すという風潮が一般的だ。最近の中高一貫校の人気はそれを助長している。よりレベルの高い高校、大学に入れば将来は保証されるということだろうが、どっこい社会はそう簡単ではない。職場に入ればそこでの人間関係や取引先の人偏関係に悩まされることになる。そこをどうクリアーするかが大きな問題である。高学歴であってもコミュニケーション能力の不足で、脱落していく人間も多い。逆にそれほど高学歴でなくても持ち前の根性と愛嬌で出世していく人もいる。

 本書の主人公は大卒の三十代半ばの女性で、バリバリのエリートではなくごく普通の人間として描かれており、読者は感情移入しやすい。その彼女が14年間務めた会社を辞めて、進路を転換したのだ。一大決断と言えるが、逆に言うとそれをせざるを得ないほどストレスが溜まっていたと言えよう。このように日々ストレスフルな環境にいれば、結婚云々の話はなかなか難しくなるのは想像に難くない。女性の高学歴化によって晩婚化は定着し、これが少子化問題に拍車をかけていることは間違いない。自分にそこそこの収入があれば、無理に結婚する必要もないのだろう。これは一種の文化的成熟の結果であり、歯止めをかけるのは難しいだろう。

 本書の五話を読むと、それぞれの職場には上司もいれば同僚もいる。その人間関係の中で仕事をするわけだが、仕事そのもののストレスに加えて、人間関係のストレスが大きくなってくる。これは私の経験からも言えることだ。馬が合わない、そりが合わない人間と仕事をせざるを得ない時ほどつらいものはない。こうした人間関係をスムーズに乗り越えるすべは、高学歴だからと言って身についているわけではない。ここが人生のダイナミズムで、いわばカオスの中でのたうち回らざるを得ないのである。「この世にたやすい仕事はない」とはよく言ったものだ。

 この五つの職場で主人公は働いた。そこに現れる上司・同僚はいずれも存在感があって、作者の体験が投影されていて共感できる。第5話の最後の主人公の述懐、「どんな穴が待ちかまえているかはあずかり知れないけれども、だいたい何をしていたって、何が起こるかなんてわからないつてことについては、短い期間に五つもの仕事を転々としてよくわかった。ただ祈り、全力を尽くすだけだ。どうかうまくいきますように」を読むと、その健気さに落涙しそうだ。若者よ健闘を祈る、そして幸福をつかんでくれ‼

戦争とデータ 五十嵐元道 中公選書

2024-03-01 15:14:51 | Weblog
 副題は「死者はいかに数値となったか」である。本書は本年度の大佛次郎論壇賞受賞作とある。人間が死んで死者の数字に代わってしまう、戦争とはまことにむごいものだ。この数字を研究するとは変わった人もいるものだ。戦争での死者をいかに正確に把握するかについて書かれたもので、これを一冊の本として読ませるのは並大抵ではないと思われたが、視点が珍しいので最後まで読んでしまったというのが実際のところだ。前書きに「戦争全体の把握にはデータが肝要だ。特に死者のデータは戦争の規模、相手との優劣比較で最も説得力をもつ。ただ発表されるデータにが正しいのかは常に疑念があるのだが、、、、、」とある。

 戦死者の数の統計はいわば汚れ仕事で、普通いかに戦争が起こらないようにするか、そのために人類が心がけることは何かというのが思想家、政治家、教育者の仕事になる。しかし、いつまでたっても盗み同様戦争はなくならない。国家が存在する以上軋轢は避けられないのが実情だ。よって戦死者数の正確な把握というのは冷徹なリアリズムに裏打ちされた営為ということになる。

 本書によると、戦死者の保護は1906年のジュネーブ条約で明文化された。それが実際試されたのは1914年に勃発した第一次世界大戦からだった。この時の戦死者は両陣営合わせて1000万人超で、あまりに多いので各国は敵軍はもとより、自国の軍隊の死者すら対処に困り、抜本的に制度を作り直す必要に迫られたとある。そしてフランスでは兵士の認識票を工夫したり、イギリスでは1915年初めに墓地登録委員会を設置し、一元的に遺体と埋葬地の管理を行った。ここら辺の記述は死者に対する扱いがキリスト教文化圏の特質が出ていると感じざるを得ない。戦争の目的は勝利することであるが、同時に戦死者の数字の正確さを期するというのは、日本を含む東洋的思考とは違っている。

 また戦争では兵士のみならず、市民(本書では文民と言っている)の犠牲も多く出る。非戦闘員は巻き込んではならないというのが不文律だが、第二次世界大戦末期の連合国によるドイツの都市ドレスデン大空襲、アメリカ軍のB29による日本の都市への空襲、とりわけ広島・長崎への原爆投下によって、いともたやすくこの不文律が破られている。都市の場合文民の犠牲者数は比較的数えやすいが、何十万という数字を挙げたとして戦争のむごさを再認識するだけで、戦争抑止の運動に持っていくのは至難の業と言えよう。

 本書で著者が戦死者の例として挙げているのは、ビアフラ戦争、エルサルバドル紛争、ベトナム戦争、グアテマラ内戦、旧ユーゴスラビア紛争で、文民保護の観点から赤十字国際委員会(ICRC)や国際刑事裁判所(ICTY)の役割に言及し、死者については特に1990年代以降遺体を掘り返して法医学的に確認したり、埋葬された死者を統計学的に分析する方法などが紹介されているが、今度は太平洋戦争でのアメリカとの交戦での死者数や、日中戦争での死者数にについて書いてもらいたい。とりわけ南京事件の文民の死者数についてはいろいろ説があって、3万~30万と一定しない。90年以上前のことで、非常に困難とは思うが何とかして頂けないものか。