読書日記

いろいろな本のレビュー

戦争とデータ 五十嵐元道 中公選書

2024-03-01 15:14:51 | Weblog
 副題は「死者はいかに数値となったか」である。本書は本年度の大佛次郎論壇賞受賞作とある。人間が死んで死者の数字に代わってしまう、戦争とはまことにむごいものだ。この数字を研究するとは変わった人もいるものだ。戦争での死者をいかに正確に把握するかについて書かれたもので、これを一冊の本として読ませるのは並大抵ではないと思われたが、視点が珍しいので最後まで読んでしまったというのが実際のところだ。前書きに「戦争全体の把握にはデータが肝要だ。特に死者のデータは戦争の規模、相手との優劣比較で最も説得力をもつ。ただ発表されるデータにが正しいのかは常に疑念があるのだが、、、、、」とある。

 戦死者の数の統計はいわば汚れ仕事で、普通いかに戦争が起こらないようにするか、そのために人類が心がけることは何かというのが思想家、政治家、教育者の仕事になる。しかし、いつまでたっても盗み同様戦争はなくならない。国家が存在する以上軋轢は避けられないのが実情だ。よって戦死者数の正確な把握というのは冷徹なリアリズムに裏打ちされた営為ということになる。

 本書によると、戦死者の保護は1906年のジュネーブ条約で明文化された。それが実際試されたのは1914年に勃発した第一次世界大戦からだった。この時の戦死者は両陣営合わせて1000万人超で、あまりに多いので各国は敵軍はもとより、自国の軍隊の死者すら対処に困り、抜本的に制度を作り直す必要に迫られたとある。そしてフランスでは兵士の認識票を工夫したり、イギリスでは1915年初めに墓地登録委員会を設置し、一元的に遺体と埋葬地の管理を行った。ここら辺の記述は死者に対する扱いがキリスト教文化圏の特質が出ていると感じざるを得ない。戦争の目的は勝利することであるが、同時に戦死者の数字の正確さを期するというのは、日本を含む東洋的思考とは違っている。

 また戦争では兵士のみならず、市民(本書では文民と言っている)の犠牲も多く出る。非戦闘員は巻き込んではならないというのが不文律だが、第二次世界大戦末期の連合国によるドイツの都市ドレスデン大空襲、アメリカ軍のB29による日本の都市への空襲、とりわけ広島・長崎への原爆投下によって、いともたやすくこの不文律が破られている。都市の場合文民の犠牲者数は比較的数えやすいが、何十万という数字を挙げたとして戦争のむごさを再認識するだけで、戦争抑止の運動に持っていくのは至難の業と言えよう。

 本書で著者が戦死者の例として挙げているのは、ビアフラ戦争、エルサルバドル紛争、ベトナム戦争、グアテマラ内戦、旧ユーゴスラビア紛争で、文民保護の観点から赤十字国際委員会(ICRC)や国際刑事裁判所(ICTY)の役割に言及し、死者については特に1990年代以降遺体を掘り返して法医学的に確認したり、埋葬された死者を統計学的に分析する方法などが紹介されているが、今度は太平洋戦争でのアメリカとの交戦での死者数や、日中戦争での死者数にについて書いてもらいたい。とりわけ南京事件の文民の死者数についてはいろいろ説があって、3万~30万と一定しない。90年以上前のことで、非常に困難とは思うが何とかして頂けないものか。

ともぐい 川﨑秋子 新潮社

2024-02-14 10:34:48 | Weblog
 本書は第170回直木賞受賞作。「新たな熊文学の誕生‼ 各所で話題沸騰!身体の芯をえぐられるような死闘の連続!」と腰巻にあったので買ってみた。熊の小説と言えば、吉村昭の『羆嵐』が夙に有名だが、それと比べてどうかという興味もあった。吉村作品は明治期、北海道の天塩の開拓村が巨大なヒグマに襲われ多数の死者を出した事件をもとにしたもので、ヒグマの恐ろしさを実感させるほどの筆致であった。ヒグマにさらわれた妻を懸命に探した夫が発見したのは無残な妻の姿であった。「おっかあが少しになっている」という夫の言葉がすべてを語っている。私はこの小説を再読・三読した。

 本書の舞台は北海道、時代は日露戦争前夜。猟師の熊爪は人里離れた山中に独居し獲物が獲れた時だけ町へ下りて肉や毛皮を商う。ある日熊爪は熊に襲われた瀕死の男を救う。男と熊の死闘、男の右目が熊の一撃でつぶされたが、その男の手当てを迅速に行う手際は、山で暮らす人間の特性がよく出ている。自然相手に暮らす人間の強さというかなんというか。文明化されない人間の原質が書かれている。熊の恐怖というよりは主人公熊爪の存在感の方が大きい。熊爪は肉や毛皮を売りに行く大店で盲目の少女陽子を見初める。そして同居して子供を設けることになるのだが、この男女関係はまさに野生動物のそれを彷彿とさせる書き方だ。陽子はすでに大店の主人良輔との間に子供を宿していたが、山に連れて来たのである。そして今度は自分の子供を孕ませる。

 その間のまぐわいを次のように描く。「だからその夜も熊爪は陽子を思うさま抱いた。陽子は子がダメになるかも知れないから困る、と言ったが、知ったことではない。良輔の子が腹にいた時は言われるままに堪えたが、自分の子なら良いではないか。きっと耐えられるし、耐えられなければそれまでだ、という感覚があった。腹の子を自分の身体の延長と見なし、熊爪は甘え切っていた。それに、陽子の温かい体に突っ込んでいる間は、余計なことを考えずに済む。たとえこれが夢であっても、快楽に溺れる夢ならそれでいい。体よりも思考が先に融けて、夢もない眠りの果てに愚鈍な朝がくる。いつものように熊爪は熊の毛に包まれて覚醒した。」ここはなかなか力が入った書きっぷりで、他のエロティックな小説の表現にはない迫力がある。この後熊爪は陽子に刺殺されるのだが、この展開はシュールで読者にはわかりにくいだろう。陽子に殺されることを甘受するというその諦念が奈辺に由来するのか。ここら辺が想像力を搔き立てるところで、読みのポイントになるが、陽子が雌熊になって熊の毛に包まれた熊爪を殺すというアナロジーなのかもしれない。「新たな熊文学の誕生‼」とはこれを指して言っているのだろう。だとすると熊はただのヒグマではなく、ここでは厳しい自然の象徴で、その中でのたうち回る人間の営為を描いているということになる。この点でノンフイクション的要素の大きい吉村昭の『羆嵐』とは一線を画している。だとすると長編ではあるが、芥川賞の方がふさわしいのではないか。

街道をゆく5 モンゴル紀行 司馬遼太郎 朝日文庫

2024-01-31 10:12:06 | Weblog
 初出は週刊朝日1973年11月2日号から1974年6月14日号に連載されたもの。私は当時大学3年生だ。本書は1978年12月に刊行された文庫の新装版で、2022年第五刷発行とあり、新品の手触りで気持ちが良い。司馬氏に関しては昨年NHKで「昭和への道」(全12回)がアンコール放送されているのを視聴したが、改めて司馬氏の偉大さが認識できた。日本が太平洋戦争に突入するまでの日本陸軍の暴走ぶりを、自身のノモンハンの戦いで戦車兵として従軍した体験をもとに語っていたのが印象的だった。なぜあのような愚かな戦争に突き進んでいったのか。その原因を司馬氏なりに分析していた。フアナティックな軍国主義思想に躍らせることの怖さを改めて痛感した。これはヒトラーに導かれたナチス・ドイツについても当てはまる。権力がメディアを支配して国民を誤った方向に導いていくリスクは今も我々を取り巻いている。もしも司馬氏が生きていて今の日本の現状を見た時どう思われるか聞いてみたいものだ。

 司馬氏とモンゴルの関係は深い。というのも彼は大阪外国語学校のモンゴル語科出身であるからだ。その中でのモンゴル訪問だが、50年前はソ連経由で入国しなければならない。ウランバートルに入るまでのソ連での飛行機の乗り換えやビザの問題など、旧社会主義国家の悪弊が次々と露呈してくる。社会主義的官僚主義が組織の末端まで浸透しており、そこには権力による腐敗がある。その後ソ連は崩壊したが、いま共産主義国家として生き残っている中国に権力による腐敗がはびこっていることは周知の通り。特に習近平が個人崇拝を復活させたことで、国全体がおかしくなっている。一人の人間が14億民を支配するなんて、まるでホラー小説ではないか。

 司馬氏曰く、モンゴル人は遊牧の民であり、定住して農耕に従事する中国人を卑しんだ。特に元時代は、農耕民である漢民族を賤奴のように扱った。むしろ商売をするウイグル人やイラン人あるいはアラビア人を漢民族より上等の民族として上の階層に置いた。一方中国人は文明(自分の)というものは、人は染まるべきものという信念が古来から続いている。異民族でも染まれば人として扱い、王化に浴したとするが、染まらない民族は『漢書』におけるように、鳥獣に等しいと。最近中国の内モンゴル自治区でそこに住むモンゴル人に対してモンゴル語を捨てて中国語を国語として学習せよというお触れが出て話題になった。これはウイグル人に対する弾圧と同じ発想で、「王化に浴」せしめる所業と言えよう。このように中国国内では異民族に対する同化政策が進められる中で、隣国のモンゴルはこの異形の大国とどう対峙していくのか、かじ取りが難しい。

 中国人とモンゴル人の違いを司馬氏はヤギとヒツジの例を出して述べているのが面白い。司馬氏曰く、ヤギとヒツジは元来、似たような動物だし、牧人たちは無論一緒に飼っている。ところがこの両動物は必ず同じ仲間だけでかたまり、決して入りまじったり、一緒になったりしない。通訳のツェベックマ女史が「ごらんなさい。どちらもずいぶん離れて群れを作っているでしょう」と両種別居の可笑しみを繰り返し語りつつ、自分のイメージを私に伝えようとした。「ね、そうでしょう」と彼女はあちこちの両種の群れを指さしたと。ツェベックマ女史は少女のころ、中国人との雑居地帯で暮らし、中国語も堪能だった。ただし雑居地帯とはいえ、蒙と漢は互いに別々に群居し、決して入り混じらなかった。さらには成人後、中国という政治状況の中で苦労したという経験が彼女にある。一見似たような顔つきの蒙と漢は、内側から見たら全く違う民族なのである。そのことを暗に言いたくて彼女はヤギとヒツジの群れをしつこく語っているのではないかというくだりは鋭い人間洞察というべきである。

 遊牧民のテント・パオに泊まってラクダの乳酒を飲み、草原の草の香りをかぎ、満天の星を眺め、馬で草原を駆け抜ける青年の姿を見て、司馬氏はモンゴルを体感している。「我々は、日本人の祖先だ」とモンゴル人はよく言うようだが、大相撲のモンゴル出身の力士を見ても、それが実感できる。大いなる親和性がある。モンゴルと友好を深める努力が求められる。

「線」の思想 原武史 新潮社

2024-01-08 17:05:21 | Weblog
 本書は2020年の刊行だが、最近文庫化されて人々の眼に触れやすくなった。「鉄道と宗教と天皇と」という副題がついていることからわかるように、旅行記をベースに宗教的論考がなされているという点で類書とは一線を画している。著者は夙に鉄道マニアとしても有名で、最近は朝日新聞土曜版beに「歴史とダイヤグラム」を連載して、現皇室と鉄道に関わるの話題を提供されている。以前著者の『レッドアローとスターハウス』(2012年 新潮社)というのを読んだことがあるが、西武鉄道と多摩の団地が何を生み出したのかという論考で、結構面白かった。レッドアローは西武の特急電車、スターハウスは星形住宅で、高度経済成長期に都心池袋から郊外の団地を結ぶ鉄道によって人々の生活が都市化されていく様子を描いたものだった。

 その中で興味深かったのは団地の増加と共産党の躍進が正比例しているという指摘だった。なるほど団地であれば活動家を住まわせ、自治会を通じて住民をオルグしやすいという側面は確かにある。ソ連でも団地を通じて共産党の支配を強化することが行われたという話を聞いたことがある。著者も実際44歳まで、団地住まいであったようだ。西東京市のひばりが丘団地、東村山市の久米川団地、東久留米市の滝山団地、横浜市青葉区の田園青葉台団地を転々として、一戸建てに転居と年譜にある。著者は慶応普通部、慶応高校を経て、早稲田大学政経学部に進学卒業しているが、早稲田に行ったいきさつが面白い。著者曰く、「団地育ちの自分は慶応になじめないと感じ、慶応大学の推薦入学を辞退して早大に入学した」と。慶応在学中から同級生との格差を思い知らされ続けたのか。それはそれで苦しいことに違いない。「軽井沢の別荘に今度遊びに来ないか」とか「今度うちのクルーザーに招待するよ」とか言われても返事に困ることは確かだ。でも庶民派としてのアイデンティティーを持ち続けて学究生活を全うしたのは偉いと思う。その感性は文章に現れている。

 中身は鉄道の沿線の神社、寺院、キリスト教の教会、天皇陵、新興宗教の道場などを漏れなく訪問して蘊蓄を傾けている。地域の歴史をわかりやすく学べるので大変参考になる。中でも第四章の「古代・中世・近代が交錯するJR阪和線」が地元なので面白く読めた。天王寺の駅のホームの分析や南海和歌山市駅とJR和歌山駅の歴史解説等々、流石鉄道マニアというべき論考が続く。そして旅行記に必須のご当地グルメ探索もぬかりなく入っている。和歌山ではラーメンと鯖寿司、そして駅弁の「小鯛雀寿司」のレポートが庶民目線で語られる。他の章でもそうだが、当地の尊厳を傷つけない敬愛の念がにじみ出ていて心地良い。都会人は往々にして田舎(方言を含めて)を上から目線で悪口を言いがちだが著者にはそれがない。さすが庶民派この沿線の風景を知っているものはああなるほどと思い出すほど緻密な描写である。

 ただ一つ残念だったのは新興宗教「ほんみち」泉南支部の見学は断られてしまったというところだ。「ほんみち」は、天理教山口宣教所の所長だった大西愛次郎(1881~1958)が天理教かた分派して1925(大正十四)年に発足させた「天理研究会」を前身としている。1950年に「ほんみち」と改称したが、戦前には「大本教」と同じく不敬罪や治安維持法違反で二度にわたって弾圧されているとのこと。その巨大な神拝殿の写真(121ページ)は圧巻で、天理教の建物をはるかに凌いでいる。その見学レポートを読みたかったが、残念である。というのも私が住む奈良県の中部に「ほんみち」が広大な土地を取得しているのだが何年たっても建物が建つ気配がない。また信者が沢山移住してくると、生活保護を申請する人が多いので、当該の市町村は大変だということを知り合いから聞いた。だから泉南市は財政的に苦しいのだと。まあとにかく本書は上質の紀行文であった。  


ブルシャーク 雪富千晶紀 光文社

2023-12-20 10:23:05 | Weblog
 本邦初、驚愕必至の本格サメ小説!!とあったので読んでみた。サメが主役の小説とは珍しい。これで思い出すのは1975年に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の映画『ジョーズ』だ。とある平和な町の海辺で人を襲い出した巨大なホオジロザメの恐怖と、それに立ち向かう人々を描いた海洋アクション・スリラー作品である。映画冒頭の場面がスリラー映画そのもの。女性の海水浴客が沖を遊泳中サメに襲われる場面、サメの姿は見えずただ女性の顔だけが大写しにされる。そして恐怖感をあおるバックミュージックのもと、女性は下半身を食いちぎられる。

 正体不明のものに襲われる恐怖というのは口では表せない。後半での巨大なホオジロザメと人間の戦いの場面は圧巻だった。初期のスピルバーグはこの手法を使った作品が目立つ。1971年の『激突』もその流れの作品で、乗用車に乗った運転手(デニス・ウイーバー)が荒野のハイウエイで大型トレーラー型タンクローリーを追い越す。しかし追い越した直後から追い掛け回されるという話。昨今のあおり運転を先取りしており、最後はトラックを崖下に墜落させてやっと恐怖から解放される。『ジョーズ』はタンクローリーをサメに変えたものと言えよう。それにしても最後まで相手の姿が見えないというところがミソで、これが恐怖感を与えていた。私はこの映画が好きで、ビデオで何度も見た経験がある。スピルバーグはすごいと思ったものだ。

 サメを小説にした場合、映画と違って視覚に訴えることはできないので、大きなハンデがある。映画のように恐怖感を読者に与えることができるのだろうかというのが私の興味であったが、結論的に言うとスリラーの要素は極めて低くなっている。しかし中身はバラエティーに富んでいて、結構読ませるものになっていたと思う。場所は駿河湾の近くの東常湖で、ここでトライアスロン大会が行われる予定だが、最近、湖畔でキャンプしていた男女や地元の人間が姿を消すという事件が起こって、これは巨大なサメに食われたのだという噂が流れ、地元の大学教授や大会関係者がその真偽を調べるうちに、オオメジロザメがここに生息しているということがわかる。
 
 このサメは淡水にも適応できることがわかっているが、どうやって海から遡上してきたのか調べるが、わからない。そしてどうして巨大化したのかということも謎だが、それについての説明も盛り込まれている。サメは『ジョーズ』と同じで前半は姿を現さないが、トライアスロン大会の当日表れて参加した選手に襲い掛かって食い殺す。この場面は相当の迫力だ。麻酔銃を撃って弱らそうとするがうまくいかない、サメはますます荒れ狂い襲い掛かる。その中で地元の研究者で渋川という女性が槍を持ってサメに立ち向かうが、サメに呑み込まれてしまう。あわや一巻の終わりと思った瞬間、サメの胃の中から槍で突き破り、サメを殺して生還する。この場面B級映画のような感じで笑ってしまった。

 駿河湾近くの東常湖に住むオオメジロザメ、どうしてここに海からのぼってきたのかは不明。また巨大化したのも不明だが、虫瘤が湖に落ちてその化学成分が巨大化の原因とも湖畔にある化学工場の排水が原因とも示唆されるが断定はされていない。またトライアスロン大会をめぐる主催者との研究者との実施をめぐっての軋轢。海外の大会参加者の家族との人間関係の問題等々、様々な要素を盛り込んで話を作ろうとして努力されているが、ちょっと欲張りすぎている感じがした。登場人物が多くて誰が主役かわからず、大会参加者の外国人の家庭問題まで言及されているので、読んでいて人物のイメージが希薄になっているからだ。推理小説のように登場人物の一覧表があったらよかったのにと思う。でも最後まで読ませるという点では、及第点かなと思う。著者は日大生物資源学科出身の45歳の女性作家で、モダンホラーの旗手と目されているらしい。なるほど本文にも生物に関する蘊蓄が傾けられている。これを機に他のホラー作品も読んでみたい。

帰艦セズ 吉村 昭 文春文庫

2023-11-25 15:49:56 | Weblog
 本書は短編集で七編の作品で構成されている。いずれも存在感のある人間の諸相が描かれており、読みごたえがある。私は前から吉村氏の小説の愛読者で、大体の作品は読んだと思う。いずれも綿密な調査に基づいて書かれており、浮ついたところがない。本書の作品は太平洋戦争に従軍した兵士の人間模様を描いたものが多いが、改めて戦争の理不尽さが浮かび上がってくる。

 タイトルになっている『帰艦セズ』は橋爪という男が、戦時中に小樽の山中で死んだ巡洋艦・阿武隈の機関兵・成瀬時夫の消息を追いかけるという話。橋爪も成瀬も逃亡兵だったことが味噌で、当時の軍隊の常識からいえば銃殺相当の犯罪者であるが、橋爪は何とか終戦まで生き延びた。成瀬は巡洋艦・阿武隈の機関兵であったが、小樽に停泊中に外出したが、帰艦するときに官給品の弁当箱を紛失してしまい、懸命に探したが見つからず、乗っていた巡洋艦に戻れず、そのまま小樽の山の中に隠れ住み、ひとり飢えて死んだのだった。弁当箱が人間の命と等価だったのである。官給品は天皇陛下から与えられたものであるから、これを失くせば軍法会議にかけられ重罪が課せられる。そのため成瀬は帰艦できなかったのである。この真相を家族に伝えることの是非も大きな問題としてとらえられている。橋爪が息子の死の真相を母親に告げた時の母親の当惑ぶりが目に浮かぶ。事実を知らせないほうが良かったのではないかと橋爪は悩むのだ。

 戦争の悲劇がここにある。勝ち目のない戦争をアメリカに対して仕掛けた日本は、精神力で勝てと国民を鼓舞したが、それが軍隊にも浸透して弁当箱が一兵士の命と等価であるというゆがんだ思考を作り上げた。兵隊は武士と同じで死んで当たり前という非常にゆがんだ思想を作り上げた。太平洋のあちこちの島で繰り広げられた玉砕戦法をはじめ、神風特攻隊など人命軽視の風はここに極まった感がある。この大日本帝国の軍人が、配属将校となって旧制中学に赴任した話が、第四話の「果物籠」である。

 これは吉村氏の体験に基づいていると思われるが、彼が中学生の時、配属将校として赴任してきた井波中尉が厳しい軍事教練で生徒たちを震え上がらせるという話。中尉は生徒に妥協することなく教練を続け離任するが、戦後同窓会に招待される。その時もあの教育は間違っていなかったと反省するところがない。井波中尉にとってあれは間違っていたといえば、自分のアイデンティティーがなくなるので、できなかったのであろう。これが正しいと信じる、一種の宗教のようなものだ。その後、生徒たちに井波の訃報が入る。心臓麻痺で亡くなったのだ。そして生徒の代表が果物籠を持って弔問に駆けつけるという話。大日本帝国を支えた元軍人のあっけない死。何かむなしさだけが残る。

 他の五編も佳作ぞろいで、吉村氏の力量がいかんなく発揮されている。一読をお勧めする。

中国共産党支配の原理 羽田野 主 日本経済新聞出版

2023-11-07 09:01:13 | Weblog
 副題は「巨大組織の未来と不安」で、著者の新聞記者としての活動の中での知見をもとに書かれている。私は本書に先立って『中国共産党 その百年』(石川禎浩 筑摩選書)と『中国共産党 暗黒の百年史』(石平 飛鳥新社)を読んでみた。前者はアカデミズムの中での著作で、あからさまな反共産党の記述は少ない。これに反して、後者は反共産党の言説で満ち溢れている。これは石平氏の履歴を見れば納得できる。彼は北京大学卒業後、民主化運動に傾倒し、来日後日本に帰化して反中国共産党の立場を明確にして、評論活動を行っている。共産党の暗黒の活動と毛沢東をはじめとする幹部の真の姿を暴露して、党の伝説化・神聖化に待ったをかけているという点において貴重だ。特に第五章の『周恩来、美化された「悪魔の化身」の正体』は類書ではあまりお目にかかれないもので、大変面白かった。

 因みに現外相の王毅は周恩来の秘書の娘と結婚しており、その縁で外交部に就職してとんとん拍子に出世した。彼は北京第二外国語大学の出身で、この大学は毛沢東の命令で通訳を養成するために創設された。彼の妻はこの大学の同級生である。大学の格からいうと外交部への就職は難しかったが、先述の縁故で入れたのだろう。コネが幅を利かすという共産党の特質がはしなくも出た感じだ。王毅は日本語科の出身で、日本語はペラペラだ。強硬発言を繰り返して習近平に気に入られ、この度70歳を超えたにもかかわらず政治局員になった。でも今後どうなるかわからない。習近平の気分で、失脚する可能性もある。権力の一極集中は部下を疑心暗鬼に追い込んで、忖度がはびこって政治が硬直化する。習近平はそれをわかっていて、自分から改めることができない。独裁政治の最悪の側面が出ていると思う。

 今の中国共産党は本書でも指摘されているが、結党目的の共産主義の実現はすでに失われ、政権党として君臨することが自己目的化している。体制の維持に汲々とする姿は北朝鮮と変わらない。先日元総理の李克強氏が心臓発作で亡くなったことが判明した時、死因をめぐって様々な憶測が飛び交ったが、それこそ今の共産党に対する市民の評価が表れたものと言えよう。もしかして習近平が暗殺したのではないか云々。李克強氏の旧家に菊の花を手向ける多くの人々の画像は圧倒的だったが、彼を悼む集会等は当局によって禁止されているようだ。天安門事件の轍を踏まないという強い意志を感じる。

 14億の民を一人の独裁者で治めることは所詮無理な話で、彼を取り巻く官僚制と軍と公安の助けが必要だ。独裁者はこれらに日々眼を配り、味方につけておかなければならない、あとは市民生活における自治組織の活用だ。日本における隣組、自治会のようなものが必要になる。本書によれば、中国では「社区」というものがその役割を担っているとのこと。北京市内には3000前後の社区があり、郊外に行くと一回り小さい小区が無数にある。住民によって選ばれた「居民委員会」が社区の運営にあたる。新型コロナウイルスのような問題が起きるとどのような対策をとるべきかを話し合う。そして「居民委員会」を統括するのが「共産党社区委員会」だ。共産党にとって社区は末端組織で、人民を「指導」する最前線となっている。このような人民統制組織は非常に強固で、個人の自由な意見表明は難しくなる。密告等も奨励されたりしたら人民は黙るしかない。加えて定期的に行われるであろうマルクスレーニン主義の学習会に出席を強要されたりしたら本当に嫌になってしまうだろう。利権団体の共産党が、マルクスレーニン主義とは笑わせる。

 この社区の責任者にどのような人物が選ばれるのかということはレポートされていないが、黒社会のやくざ者が選ばれたりしたら大変だ。田舎に行くとやくざと警察が癒着していることが多く、これが中国の暗部になっている。最近も鄭州というところで、レストランに入った女性が地元のやくざに暴行を加えられたにもかかわらず、地元の警察が動かなかったという事例があって批判が殺到した。私もSNSの画像をニュースで見たが、近代国家とは思えない状況が展開していた。都市部と農村部の落差は大きい。このアメーバのような人民統制組織がある限り、共産党の崩壊は難しいのではないかというのが素朴な感想である。

 

ハンチバック 市川詐沙央 文藝春秋社

2023-10-19 10:23:13 | Weblog
 本書は第169回芥川賞受賞作で、作者の市川氏の経歴が話題になった。彼女は、1979年生まれの44歳で、筋疾患先天性ミオパチーという難病(小説のタイトルはこれに由来する)により、人工呼吸器を使用しているために発話に体力を使い、リスクもあるとのことだ。朝日新聞のインタビュー記事によると、病気は幼い時から判明していたが、14歳のとき体調不良のため入院して以来、療養生活という名の引きこもり状態になった。このままではという思いがあり、自分にできることは小説を書くことだと考え作家を目指したとのことである。同時に早稲田大学の通信課程に入り、卒業している。最初は純文学は書けず断念し、女性向けのライトノベルやSF、フアンタジーの賞に20年間応募を続けた。この度本書で、文学界新人賞と芥川賞を受賞した。文章はエッジが利いていて、適度のユーモアもあり、作者の聡明さが窺われる。これは私小説ですかとの問いに、自分と重なるのは30%と答えている。

 小説の主人公井沢釈華は作者と同じ病気で、両親が終の棲家として残してくれたワンルームマンションを一棟丸ごと改造したグループホームで暮らしている。背骨が極度に湾曲しているために常に息苦しく、読書もままならない。「息苦しい世の中になった、というヤフコメ民や文化人の嘆きを目にするたびに私は『本当の息苦しさも知らない癖に』と思う。こいつらは30年前のパルスオキシメーターがどんな形状だったかも知らない癖に」とイラつく。また「このグループホームの土地建物は私が所有していて、他にも数棟のマンションから管理会社を通して家賃収入があった。親から相続した億単位の現金資産はあちこちの銀行に手つかずで残っている。私には相続人がいないため、死後はすべて国庫行になる。(中略)生産性のない障害者に社会保障を食われることが気に入らない人々もそれを知れば多少なりとも溜飲を下げてくれるもではないか?」と健常者にカウンターを浴びせる。この資産の話は30%に入っているのだろうかと興味が湧いた。というのも私は彼女の経歴を知って、少しでも印税が入ればと思って本書を購入したからだ。彼女が知ったら「薄ぺっらい同情なんかするんじゃねーよ。こちとらと金持ってらー」と啖呵を切られそうな気がする。本当なら林家三平じゃないが「どうもすみません」と言うしかない。

  主人公釈華は十畳ほどの部屋から某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」と呟く。この項について本文では、貧しい小学校の同級生たちについて「あの子たちのレベルでいい。子供ができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、産んで。そういう人生の真似事でいい。私はあの子たちに追い付きたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追い付きたかった」と書いている。障害者の視点でこのように性的な問題をはっきり述べたのは今まで無かったのではないか。これも健常者に対するカウンターである。障害者にとって一番大事な問題を隠蔽してきたことへの抗議だ。ところがある日、グループホームのヘルパー田中にツイッターのアカウントを知られていたことが発覚する。そこで田中とのやり取りがあって、田中との性行為が展開されるのだが、その部分は割愛。

 この63ページの小説は作者によると「自分としてはせいぜいオートフイクション。重なるのは30%という感覚です」ということだが、障害者の本音をぶちまけたという点で斬新で、物語としても破綻がない。芥川賞の本家、芥川龍之介の作品に通じるエスプリがある。芥川龍之介は短編の名手であるから、芥川賞はこの流れに沿って選ばれていることを改めて確認できた。冗漫な新聞小説ではだめなことははっきりしている。

木挽町のあだ討ち 永井紗耶子 新潮社

2023-09-28 13:26:18 | Weblog
 本書は第169回直木賞作で、今回は垣根涼介氏の『極楽征夷大将軍』とのW受賞である。垣根氏のはまだ未読だが、本書はいかにも娯楽小説という感じで直木賞にふさわしい。読んでいて作為が見え見えという作品は多いが、本書はその作為を意識させないところが良かった。逆に言うと、構成と主題が明確だということだと思う。初出は『小説新潮』に6回掲載されたもので、新聞小説ではないことがポイントである。新聞小説の場合は大体一年間ダラダラと掲載されるので、一日掲載分の原稿では山が作りにくく、細かい細工は読者に忘れられてしまい、これは面白いという作品はなかなかないのが現状だ。

 因みに最近、白石一文氏の『神秘』(講談社文庫)を読んだが、これももとは新聞小説(毎日新聞連載)で長編である。壮大なスケールで描いているのはさすがだが、やはり冗漫さは新聞小説の宿命として残っている。主人公は末期のすい臓がん患者の編集者で、彼がふと電話で知った、不治の病を治すという女性を探すために神戸に移住して、その女性とゆかりの人物に出会って、最後には本人にも出会って同棲するという驚愕のストーリーだ。自分の妻(女医)との出会いと離婚、それを縦軸にしてそれをめぐる人物が横軸に配されて錯綜するが、最後は予定調和的に幕を閉じる。錯綜する人間関係をあらかじめ設定することで、この小説の構成はほぼ終わっているが、これを作り上げた作者の力量は大いに評価されてよいと思うが、これが直木賞や芥川賞の対象になるかと言えば、なかなか難しいのではないか。主人公が末期のがん患者であるにもかかわらず、元気に動き回るさまはなんかリアリティーがないように感じた。

 振り返って夏目漱石の作品も朝日新聞に連載されたものだが、新聞小説のダラダラ感がなくてすっきりまとまっているのはやはり彼の力量のなせる業であろう。一日の分量が今より多かったということもあるであろう。それにしても早く次が読みたいという気持ちを起こさせるのはすごい。

 本書はタイトル通りあだ討ちの話であるが、その「真実」を探るというのがテーマである。あだ討ちの関係者と、彼らを取り巻く芝居小屋の人間の物語を紡ぐことで、あだ討ちの真相が明らかになっていく様は見事というしかない。あだ討ちは殺し殺されという悲惨な結末になるのが普通だが、このあだ討ちはそうではない。実際は読んでからのお楽しみだが、著者の江戸文化に対する蘊蓄も随所に披瀝されていて面白い。本書は267ページで、これぐらいの量であるからエッジも効かせることができるのであろう。今回の芥川賞受賞作『ハンチバック』(市川沙央 文藝春秋)はこれより短い93ページであった。新聞小説はいつまで続くのか。

アイヒマンと日本人 山崎雅弘 祥伝社新書

2023-09-14 13:57:19 | Weblog
 アドルフ・アイヒマンは1939年国家保安本部ゲシュタポ局ユダヤ人課課長となって以降、多くのユダヤ人を強制収容所に送り込み、絶滅計画を実行したが、戦後は数年間ドイツ国内に潜伏した後、アルゼンチンに逃れた。イスラエルの諜報工作機関モサドはアルデンチンに向かい、1960年5月11日に自宅前で拉致しイスラエルに連行した。翌年4月にアイヒマン裁判が始まり12月に死刑を宣告され、1962年6月1日に処刑された。56歳であった。本書はアイヒマンの人生をたどり、アイヒマン裁判の問題点を指摘したものであるが、新書の割には中身が濃い感じがした。これは巻末の主要参考文献を読むとなるほどと納得させられる。これだけの資料にあたれば内容も深くなるというものである。

 ナチスの幹部がアルゼンチンに逃亡する事例が多かったのは、当時アルゼンチンがアメリカとの関係が悪く、ドイツと仲が良かったことに由来するという指摘があったが、私はこの事実を知らなかったので勉強になった。ドイツ降伏後戦犯として行方を追われていたが、モサドに捕まって連行されるまでの15年間の生活が細かく記されていて興味深かった。特にアルゼンチンでの住居の移動の地図や、最後に住んでいたブエノスアイレスの自宅付近での拉致の詳細な地図は労作と言える。
 
 ユダヤ人絶滅政策は、1942年1月20日に行われたヴァンゼー会議で議論された。中身は①移送、②強制収容と労働、③計画的殺害の三点であった。ハイドリヒをトップとして高官15名と秘書1名、そこにアイヒマンもいた。いわばこの絶滅計画の中枢にいたのである。ところがアイヒマンは裁判で私は上官の命令を忠実に実行しただけで、罪はないという趣旨の弁明を繰り返した。軍隊においては上官の命令は絶対で拒否できないという趣旨である。この裁判を傍聴したユダヤ人哲学者のハンナ・アーレントはアイヒマンを極悪人ではなくごく普通の役人で、彼の仕業を「悪の凡庸さ」がなしたものと表現した。このレポは『イスラエルのアイヒマン』(みすず書房)で読むことができる。これに対してユダヤ人の中から反対の意見が続出し、大きな問題となった。ジェノサイドの主犯が極悪非道な人間ではなく平凡な役人だったというのは納得がいかなかったのであろう。しかし逆に言うとアーレントの指摘は、平凡な市民が悪事の一翼を担う可能性があるということを物語っている。

 このアーレントの指摘を裏付ける心理実験がアイヒマン裁判の後、アメリカで行われた。イェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラムによる、人間の服従心理に関する実験、通称「アイヒマン実験」である。心理実験という触れ込みでアルバイトを募り、その人たちを先生役にし、別の応募者を装った俳優を学習者役に仕立てて実験室に入れる。学習者の手首には電極が繋がれ、記憶力の問題を出して間違ったら電流が流れるスイッチを押すことを伝える。電流の強度は30段階に分かれていて、間違うたびに一段階、強度を上げていく。最も強い電流でも安全で心配はいらないと説明する。ミルグラムが注目したのは、個々の応募者が「どの時点で実験の継続という指示に逆らうか」というものだった。「道徳による明確な訴え(もうやめてくれという学習者の苦悶の叫びへの罪悪感)の中で、人々がどのように権威に反抗するかを調べること」がこの実験の狙いだったのだ。

 結果は予想に反して応募者40人中、26人(65%)が学習者の悲鳴や抗議にも関わらず実験を再度まで継続し、最大電圧のスイッチを押したのだ。普通の個人がとんでもない段階まで実験者の指示に従い続けたのだ。これをアイヒマン裁判につなげると、アイヒマンは「サディスト的な化け物」ではなく、「机に向かって仕事をするだけの凡庸な官僚に近い者」だというアーレントの指摘は的を得ていることになる。「悪の凡庸さ」というのは的を得ている。

 ドイツではこの反省を踏まえて、ドイツ連邦軍の各軍人は「上官の命令には従わな刈ればならない」が、「自身及び第三者の人間の尊厳を侵害する命令」や「国内法及び国際刑法により犯罪となる命令、「職務上の目的のために下されたものではない命令」である場合は、上位者の命令に「従わない」態度を選んでも、不服従の罪には問われないと明記されている。さすがドイツというべき内容で、人権意識の成熟度が違う。アイヒマンの上からの命令に従っただけだという弁明はやはり人権意識の放棄ととるべきだろう。ヒトラーの命令に反抗することは困難を伴うが、それでも唯々諾々ではなく面従腹背の意識をもって一つでも意を唱える行動をすべきであった。

 この「上からの命令問題」は軍隊、警察のみならず、民間の会社でも話題になっている。大手中古車販売店の幹部の理不尽な命令で、どれだけの社員、顧客が涙を飲んだか。内部告発もあったが、それが表に出ることはなかった。つるんでいた損保会社も同類だったことがさらに問題を大きくした。しかし「天網恢恢疎にして漏らさず」の言葉通り、この会社も破産の危機に直面している。おごれるもの久しからずという言葉はは真理に近い。小さな成功体験は人間を傲慢にする。経営者はこの中古車販売会社の失敗を他山の石として、この言葉を肝に銘ずべきだ。