読書日記

いろいろな本のレビュー

ポル・ポト  

2008-06-08 15:19:40 | Weblog

ポル・ポト  フィリップ・ショート  白水社

 本文と注で880ページを超える大著で、読了まで2週間かかった。ポル・ポトは別名サロト・サル。その他、ポル、ブーク、ハイ、大叔父、長兄、「87」、ペン、「99」等の名を持つ。怪人二十面相みたいな奴だ。カンボジアがフランスの保護国であったとき、パリに留学してマルクス・レーニン主義に触れ、これが後のカンプチア共産党の結成の伏線なった。極貧農業弱小国を独立国家として作り上げること、それは純粋な農民をベースにして、清く誠実な社会を作ることであった。ポル・ポトによれば都市は堕落するもので、都市住民は汚れた存在で浄化すべきものらしい。農民を主体にして革命を行ったのは毛沢東だが、彼は毛を尊敬しており、文化大革命についても惜しみない賞賛を与えている。毛の知識人の農村への下放政策は確実にポルポトに受け継がれている。プノンペンを廃墟にして市民を農村に移住させたのはまさに毛の影響だ。それにしても、一部の幹部がこれだけの国民(150万人)を虐殺したのはなぜか。本書はクメール・ルージュの蛮行は指導者の無知・無教養と人々の怠惰な国民性が重なったためと分析するが、これに関しては異論があるようだ。(巻末の訳者あとがき参照)
 この社会主義革命は私有財産の没収、貨幣廃止、完全平等を実行しつつ企てられたが、如何せんそれを実務的に遂行する人材がいなかった。実用的技能を持たない無能な人々による社会革命イデオロギーが、どんな人々にもある悪しきナショナリズムの極致である民族浄化運動のようなものに結びついた代物だ。文明社会から取り残されたような農民が都市のインテリを弾圧するという構図で、革命は実行された。いわば奴隷社会の実現だ。著者は言う、「物質的・精神的私有財産」の破壊は、革命の衣をまとった仏教的な超越だった。人格破壊とは非実在の達成だったと。ポル・ポトがこの世に上座部仏教の理想郷を実現させようとしたのか否かはまだまだ論証が必要だが、意見としては面白い。しかし大量虐殺というのは思わぬところで起きる。そのメカニズムを理論的に検証できたらと思う。