読書日記

いろいろな本のレビュー

松井石根と南京事件の真実  早坂隆  文春新書

2011-08-27 21:43:01 | Weblog
 南京事件については昭和40年代前半に、朝日新聞の記者であった本多勝一が「中国の旅」というルポを紙上に連載して旧日本軍の中国での暴虐ぶりを描いて話題になった。なかでも、二人の将校が百人斬り競争をしたというのは衝撃的で、当時中学生だった私も読んで衝撃を受けた。そこで南京事件のことも触れられたはずである。中国人被害者のインタビューで構成されたものだったが、中国寄りの内容だということで本多は右翼から命を狙われ、地下に潜伏せざるを得なくなったことは有名だ。その後、鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』(文藝春秋)が出て、言われているような大虐殺はなかったということをアピールした。以後40年近く、あった、なかったという議論が繰り返された。その間、江沢民は南京にこの事件の記念館を造り、三十万人が犠牲になったと石に彫りこんだ。彼は国内の民衆の共産党に対する不満を反日政策で目先を変えようと、愛国教育という名の反日教育を徹底させたのである。中国侵略は事実であり、この件に関する正義は常に中国側にある。したがって南京事件の犠牲者30万人と「白髪三千丈」的誇張表現で言われようと、正面から反論しにくいことは確かだ。
 南京事件で総司令官であった松井石根は東京裁判で死刑になったが、松井自身は中国人民を愛した中国通の軍人で、南京戦でも軍律違反を厳しく取り締まったが、現実には中国人民に対する暴力を防げなかったということを詳細に綴っている。今まで松井の経歴と南京事件の関わりを書いたものはあまり書店に並んだことはなかったと思う。その意味で、今回の本書の記述で松井の名誉回復をはかろうとしたことは、「犠牲者30万人」のアンチテーゼとして中国に一矢報いようということかもしれない。一読して松井の誠実さは理解できた。さらに東京裁判の不合理もそれなりに分かるが、だから無実だということにはならない。松井が人格者だったということと南京虐殺はなかったといことは別問題である。本書では、ともすると松井の再評価を焦るあまり虐殺はなかったという文脈で展開されているところが気になった。前掲の『俘虜記』で大岡昇平はフイリッピンの日本兵捕虜の中で中国を転戦してきた兵が南京での暴虐ぶりを大岡に述べる記述があることを考えると、虐殺はあったのだろう。それが30万人だったかどうかは疑問だが。
 何度も言うが、正義は中国側にある。あちらは義勇行進曲(抗日戦争を闘い抜くテーマ)を国歌にしている以上、いくら松井が国民党を倒して中国人民にとってもっとふさわしい政府の樹立を模索したとは言っても、他人の領地に勝手に入り込んでの施策の議論に正義はない。