読書日記

いろいろな本のレビュー

動的平衡2 福岡伸一 木楽舎

2012-05-06 08:05:42 | Weblog
 生命現象は本当は「メカニズム」と呼べるような因果関係に基づく機会仕掛けで成り立ってはいない。絶え間なく動きながら、できるだけある一定の状態=平衡を維持しようとしている。これが「動的平衡」の定義だ。そこで、そういう状態にあるものに対して干渉を加えれば、いっとき、確かに平衡状態は移動して別の様相を示す。しかし、間もなく揺り戻しが起こる。これは花粉症の話題で著者が述べている見解だ。氏によると花粉症は病気ではない。したがって薬では治らないとのこと。私たちはこの季節、医者に行き、薬を処方してもらうが、多くは抗ヒスタミン剤だ。これを飲めば、花粉症の症状は緩和される。ただし、その効果はその場に限って和らぐに過ぎない。結論は、抗ヒスタミン剤を飲み続けると、より過激な花粉症体質を自ら招いてしまうという逆説が起こる。これが生命現象の本来の姿である。以上、薬やサプリメントに頼る現代人に警鐘を鳴らしている。
 本書は九章構成で生命現象の不思議を解説しているが、中でも第八章の「遺伝は本当に遺伝子の仕業か?」が興味深い。かつてリチャード・ドーキンスは『利己的な遺伝子』という本で、遺伝子は究極のところ、自分自身を増やそうとする行動のプログラムであること、生物はそのプログラムを実現するための器、もしくは乗り物に過ぎないという説を展開した。「利己的な遺伝子」とは、自然淘汰の単位は遺伝子であり、生物の多様な性質は遺伝子の生存や増殖にとって有利であるために進化したとする見方を説明するための比喩的表現である。ドーキンスは、生物の性質はその生物個体にとって有利であるから自然淘汰によって進化したという「個体の視点」ではなく、利己的な遺伝子という「遺伝子の視点」からの方がより多くの現象を説明できるとしたのである。
 氏はこれに対して遺伝子活性化のタイミングを制御する仕組みが、遺伝子A、B、C、Dとともに世代を超えて受け渡されれば、同じA、B、C、Dというセットを受け継いでも、それが作動する結果としての生物、つまり現象としての生命は、異なる特徴を発現できると、ヒトとチンパンジーの進化の例を引いて説明している。このような遺伝子そのものではなく、遺伝子活性化のタイミングを制御する仕組みの受け渡しが最近、特に注目されてきており、それをエピジェネティックスと言い、遺伝子科学の新しい時代の扉を開くだろうと予測している。これによってドーキンスの説も覆される日が来るかもしれない。