読書日記

いろいろな本のレビュー

千思万考  黒鉄ヒロシ 幻冬舎

2012-05-20 15:38:35 | Weblog
 本書は日本史に登場する歴史的人物のエピソードを著者が分析したものにその人物画をつけたもの。氏は著名な漫画家であるから絵のうまさは言うまでもないが、文章も相当のものだ。今回第一巻「歴史で遊ぶ39のメッセージ」と第二巻「天の巻」をまとめて読んだが、取り上げられた人物は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめとして64人。日本史の裏面が味わえる。例えば、千利休の項では次の通り、
 「秀吉との蜜月時代にあっても、二人の意識の底には不協和音が流れ続けていた。一方は権力を以てその音を直そうとし、一方は絶対的な美意識で組み従えようとした。軋む音は、出会いの瞬間から奏でられ、秀吉の耳には利休の死後も消えなかった。二人が乾杯のために持ち上げた盃の甘い蜜の底には、苦さが沈殿していた。何かの拍子に浮かび上がってくる微量の苦さは、かえって甘さを強くする。一方が切腹を命じ、一方が命じられたとき、攪拌されて蜜は味を変え本性を現した。茶の湯と美を媒介として、文化と政治で結ばれていた二人の手が離れる。可能性としての自らの姿を、秀吉は利休の中に見つけ、利休は秀吉の権力を利用して美の実現を夢想した。(中略)最初から盃は二つあった。重なった盃は、客席の位置からは一つのシルエットに見えたが、舞台上の特に秀吉からははっきりと見えた。秀吉は位置を下げよと小声で命じるが、利休はそっちこそ下げよと気合を込めた。芝居が終わり、緞帳が下がって、観客の胸に残った演技。利休の美意識と茶の、今日に続いての健在ぶりが証明する。美の王の立場を主張することによって、利休は茶道の殉教者足らんとした。他の宗教の王達がそうであったように、美の王にも自己犠牲を支える強烈な意思が求められた。権力や政治の王の如きが、美の王に勝てる筈もなかった」
 秀吉との確執を政治と文化の二項対立の構図に腑わけし、政治は文化を支配できないことをこれほど簡潔にまとめた手際は称賛に値する。小説家としてデビュウしても大丈夫だと思う。最近文化・芸術にに対して補助金カットでいやがらせをしている首長が話題になっているが、これを見ればそれが不可能であることがわかる。歴史の教訓を学ばない者は後で手痛い目に逢うだろう。全編このような鋭い文章と素敵な人物画が楽しめる。