読書日記

いろいろな本のレビュー

コーヒーの科学 旦部幸博 ブルーバックス

2023-05-12 15:13:33 | Weblog
 著者は薬学者でコーヒーの科学的分析がメインだが、コーヒーにまつわる話題が豊富で、参考書として手元に置いておくとよい本だ。そんな中で私が興味を持ったのは、モカコーヒーのことを詩人高村光太郎が『智恵子抄』で歌っているという指摘だ。モカコーヒーあるいは単にモカとは、イエメンの首都サナアの外港であるモカからかつてコーヒー豆が多く積み出されたことに由来する、コーヒー豆の収穫産地を指すブランドである。その詩とは「冬の朝のめざめ」というもので、智恵子に対する愛情が西洋的・中東的フレイバーでまとめられた独特のもので、大変素晴らしい。指摘されるまでこの詩のことは知らなかった。恥ずかしいばかりである。紹介しよう。

                    冬の朝のめざめ

冬の朝なれば ヨルダンの川も薄く氷たる可し われは白き毛布に包まれて我が寝室の内にあり 基督に洗礼を施すヨハネの心を ヨハネの首を抱きたるサロオメの心を 我はわがこころの中に求めんとす 冬の朝なれば街より つつましく

からころと下駄の音も響くなり 大きなる自然こそはわが全身の所有なれ しづかに運る天行のごとく われも歩む可し するどきモッカの香りは よみがえりたる精霊の如く眼をみはり いづこよりか室の内にしのび入る われは此の時 

むしろ数理学者の冷静をもて 世人の形くる社会の波動にあやしき因律のめぐるを知る 起きよ我が愛人よ 冬の朝なれば 郊外の家にも鵯(ヒヨドリ)は夙に来鳴く可し わが愛人は今くろき眼を開きたらむ をさな児のごとく手を伸ばし

朝の光りを喜び 小鳥の声を笑ふならむ かく思ふとき 我は堪へがたき力のために動かされ 白き毛布を打ちて 愛の頌歌をうたふなり 冬の朝なれば こころいそいそと励み また高くさけび 清らかにしてつよき生活をおもふ 青き琥

珀の空に 見えざる金粉ぞただよふなる ポインタアの吠ゆる声とほく来れば ものを求むる我が習癖はふるひ立ち たちまちに又わが愛人を恋ふるなり 冬の朝なれば ヨルダンの川に氷を噛むまむ

 「するどきモッカの香り」は詩全編にあふれる愛の賛歌とマッチして心地よい。冬の朝の寝床は今一人きりでさみしいが、間もなくわが愛人がそばで一緒に朝を迎えるであろうという確信が読み取れる。愛の力をこれだけ恥ずかしげもなく歌えるというのは、やはり光太郎も若いという感じがする。後の「千鳥と遊ぶ智恵子」の「人間商売さらりとやめて、もう天然の向うへ行ってしまった智恵子の後ろ姿がぽつんと見える」の展開がうそのようである。逆に言うといくら光太郎でも人生の先は読めなかったということか。まあ『智恵子抄』に作為がなかったとは言えないので、「千鳥と遊ぶ智恵子」の現実から過去を潤色した可能性も否定できない。百歩譲ってそうだとしても、「冬の朝のめざめ」の愛の賛歌は感動的だ。

 この詩に見られる通り、コーヒーは生活に潤いを与えるもので、悲しい時も楽しい時も手放せない。喫茶店がなくならないゆえんである。