天の川由々しきことに臍がある 永末恵子
空気の冴えた田舎の暗闇に初めて天の川を見たのは、三十近くになってからだった。夜空の中央に白っぽく明るんでいる帯が天の川だと教えられたときには「MilkyWay」の命名の妙に感じ入ったものだった。が、同時に頭上の銀河は想像していたきらきらしさにはほど遠く、その落差にちょっとがっかりもした。永末の句は言葉の展開に、ふっと虚をつかれるような意外性がある。俳句とともに連句もこなす作者は、付けと転じの呼吸から俳句の上五から中七座五へと綱渡る感覚を磨いたのだろうか。予想のつかない言葉の転がりに読み手がどのぐらい丁寧に付き合ってくれるか定かではないが、それもお好みのままに、と言った淡白さが持ち味に思える。中天にかかる「天の川」を思う気持ちは「由々しきことに」と普段使わぬ古風な言葉に振りかぶられ、身構える。そこに座五で「臍がある」と落とされると、なぁんだ、と気が抜ける同時に臍があること自体が由々しきことのような不思議な感触が残る。頭上に流れる壮大な天の川から身体の真ん中にある臍へ。その引き付け方に滑稽な現実味が感じられる。『借景』(1999)所収。(三宅やよい)
【天の川】 あまのがわ(・・ガハ)
◇「銀河」 ◇「銀漢」 ◇「雲漢」
無数の恒星の集まりで、川のように見える。秋には天頂に来るので、目立つ。最近は都会では殆ど見ることはできないが、山などでは帯状の天の川が鮮やかに観察され、実に美しい。英語ではミルキーウェイ(Milky Way)というが、まさに空にミルクをこぼしたようである。また、七夕の伝説とも結びついている。「銀河」「銀漢」「雲漢」など呼び名も多い。
例句 作者
天の川逢ひては生きむこと誓ふ 鷲谷七菜子
死出の衣も産着も白し天の川 西川織子
銀漢のこの世におくるほの明り 道山草太郎
天の川濃きひとところ大魚棲む 栗山恵子
草原や夜々に濃くなる天の川 臼田亜浪
僧と見し比叡の銀河凄じき 伊藤柏翠
老いぬれば銀河を仰ぐことも稀 田中延幸
笛吹のひとりが銀河より降りる 佐野鬼人
嬰生まるはるか銀河の端蹴つて 小澤克己
うすうすとしかもさだかに天の川 清崎敏郎