竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

盆過ぎや人立つてゐる水の際  桂 信子

2019-08-16 | 今日の季語


盆過ぎや人立つてゐる水の際  桂 信子

旧盆が終わった。久しぶりに家族みんなが集まり親類縁者が交流しと、盆(盂蘭盆会)は血縁共同体のためのお祭りでもある。そのお祭りも、慌ただしくするうちに四日間で終わってしまう。掲句は、いわば「祭りの果て」の風情を詠んでいて巧みだ。死者の霊魂もあの世に戻り、生者たちもそれぞれの生活の場に帰っていった。作者はそんな祭りの後のすうっと緊張が解けた状態にあるのだが、虚脱の心と言うと大袈裟になるだろう。軽い放心状態とでも言おうか、日常の静かなバランスを取り戻した近辺の道を歩きながら、作者は川か池の辺にひとり立っている人の影を認めている。しかし、その人が何故そこに立っているのかだとか、どこの誰だろうだとかということに意識が向いているのではなく、ただ何も思うことなく視野に収めているのだ。私の好みで情景を勝手に決めるとすると、時は夕暮れであり、立っている人の姿は夕日を浴び、また水の反射光に照り返されて半ばシルエットのように見えている。そして、忍び寄る秋を思わせる風も吹いてきた。またそして、あそこの「水の際(きわ)」に人がいるように、ここにも私という人がいる。このことに何の不思議はなけれども、なお祭りの余韻が残る心には、何故か印象的な光景なのであった。今日あたりは、広い日本のあちこちで、同様な感懐を抱く人がおられるだろう。この種の風情を言葉にすることは、なかなかに難しい。みずからの「意味の奴隷」を解放しなければならないからだ。『草樹』(1986)所収。(清水哲男)

盆の月】 ぼんのつき


名月の一ヶ月前、すなわち陰暦七月十五日の月。その年の秋の最初の満月。地方によってはこの日に盂蘭盆会が営まれる。

例句 作者

町中の闇は城山盆の月 上﨑暮潮
山里の盆の月夜の明るさよ 高浜虚子
盆の月ひかりを雲にわかちけり 久保田万太郎
故郷に縁者の絶えし盆の月 橋本蝸角
盆の月海辺の墓に灯をともす 内藤吐天
盆の月山にちかくて山照らす 木附沢麦青
浴して我が身となりぬ盆の月 一茶
百姓の広き庭なり盆の月 川島奇北
山里は早寝早起き盆の月 五十嵐哲也
盆の月拝みて老妓座につき 高野素十