秀吉が明智光秀に勝てると確信したのはいつか?
それは先日の記事、サブタイトル「やはり明智光秀はイエズス会に良く思われていなかったのかも知れない、と考える理由」を見ていただければわかるかと思います。
反乱を起こした荒木村重を説得する交渉役には明智光秀、松井友閑、羽柴秀吉が任命され、その後の高山右近に対しての説得役として赴いたのは、羽柴秀吉と松井友閑、それに宣教師でした。
「明智光秀がどうもイエズス会やキリシタンから良く思われていない」と仮に秀吉が気が付いたとすればですが「イエズス会を味方につければ必ず明智光秀に勝てる」と秀吉は確信したのではないでしょうか。
だとすればキリシタン武将の高山右近を使って明智光秀を叩くあらゆるシナリオを考え、そして実行したのが山崎の戦いだったのかも知れません。
更にこれは定かではありませんが、本能寺にいた信長を討つのに高山右近を使って発端を作り、明智勢がやむなく巻き込まれるようにした可能性も考えられなくも有りません。
秀吉が信長を討つには「自分が必ず勝てる明智光秀を、とりあえず信長亡き後のトップにしておくように流れを作り、それから光秀の明智勢を料理すれば良い」と言う計算になります。
そして高山右近の近縁の中川清秀は既に1580年、秀吉と内誓紙を作り連携を約束させていたのですから尚更に秀吉の目論見通りに事を進めやすかったのだろう、と言う事は容易に考えられて来るわけです。
果たして真相はどうだったのでしょうか。
それは先日の記事、サブタイトル「やはり明智光秀はイエズス会に良く思われていなかったのかも知れない、と考える理由」を見ていただければわかるかと思います。
反乱を起こした荒木村重を説得する交渉役には明智光秀、松井友閑、羽柴秀吉が任命され、その後の高山右近に対しての説得役として赴いたのは、羽柴秀吉と松井友閑、それに宣教師でした。
「明智光秀がどうもイエズス会やキリシタンから良く思われていない」と仮に秀吉が気が付いたとすればですが「イエズス会を味方につければ必ず明智光秀に勝てる」と秀吉は確信したのではないでしょうか。
だとすればキリシタン武将の高山右近を使って明智光秀を叩くあらゆるシナリオを考え、そして実行したのが山崎の戦いだったのかも知れません。
更にこれは定かではありませんが、本能寺にいた信長を討つのに高山右近を使って発端を作り、明智勢がやむなく巻き込まれるようにした可能性も考えられなくも有りません。
秀吉が信長を討つには「自分が必ず勝てる明智光秀を、とりあえず信長亡き後のトップにしておくように流れを作り、それから光秀の明智勢を料理すれば良い」と言う計算になります。
そして高山右近の近縁の中川清秀は既に1580年、秀吉と内誓紙を作り連携を約束させていたのですから尚更に秀吉の目論見通りに事を進めやすかったのだろう、と言う事は容易に考えられて来るわけです。
果たして真相はどうだったのでしょうか。