武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

骸骨と人(スクラップブックより紹介768)と ビート・ゼェネレーション

2024-03-13 20:01:40 | Weblog

1階は、アトリエ&居間&キッチンになっています。

机の上の横に、スクラップブックが乗っていました。

それを開けて、チラッと見たとたん、ズーと眺めることに。

以前見た時よりも、加筆されていて完成度が高くなっているページがあって、

進化していました。

雑誌や写真の切り抜きに、自身の絵の切り抜きが貼られていました。

それに彩色が加えられ、「こんな絵あったけ?」と思ったり。

上の骸骨の絵がそれになります。

目が漫画の描く瞳のようにウルウルと輝いていて、

「何だ!この骸骨は!」と心の中で叫んだ。

左の目は、月夜。

右の目は、太陽が照る。

そして、内股で憤慨する骸骨。

頭には、何か刺さっているし・・・。

見ている内に、ちょっと笑ってしまった。

骸骨のところは部分で、全体はこんな感じ。

↑この人物の写真と呼応している。

一番上の靴は、ニューバランスのスニーカーの写真。

靴底が虹色だ。

「こういう靴、履きたかったのか?」とも思ってみる。

裸足の人物の写真の上に靴。

文明との対比?

写真の人物は、米国の詩人アレンギンズバーグだ。

写真の出所は、アレンギンズバーグが撮った写真集。

これは、今で言う自家撮りでしょう。

武内は、この本を所蔵していました。

(今買うと、8800円するらしい)

この本の写真は、破り取られ部屋のあちこちに貼ってあった時期がありました。

この写真集で印象に残った写真は、

台所でぼそぼそとした食事を取りながら、憂いのある表情で写っていた老人で、

その後ろには、ジュリアン・シュナーベルの割った皿を塗りこんだ絵が無造作に飾られていました。

不思議でならなかった。

その人物とシュナーベルの絵が結びつかなくて。

シュナーベルは、1980年代に活躍した画家で、新表現主義の画家。

まだまだ、シュナーベルが有名でない頃、絵を購入するような人だったのかな、と想像したり。

 

アレンギンズバーグは、第二次世界大戦後の文学に影響を与えたビート・ジェネレーションの中心人物。

乱暴な言い方をすれば、ヒッピー文化やベトナム反戦運動とも結びついた。

時代との相性が良かったのだと思う。

裸の写真は、自然回帰の思想からと思われる。

以前、もう1人のビート・ゼェネレーションの作家、

部屋の中で、ジャック・ケルアックの「地下街の人びと」という本がやたら目についた時があった。

「これはいいから、君も読みなさい。」と言われたことありました。

「もう、地下とか薄暗いところの話?暗い話と違うの?」と言うと、

なんてことを言うのだ!という顔で、わたしを見ていたっけ?

文体、文章に特徴があるのだろうな、という事は分かる。

武内が好きな文体は、

支離滅裂な表現やセンテンスの継ぎ目にくる単語の羅列に美意識を感じるもの。

わたしにとっては、苦痛になりそうな予感があって、未だ未読。

このタイプの作家に、ウイリアム・バロウズもいて、それも好きなようだ。

彼の小説に、「ジャンキー」というのがあり、

わたしは、遠巻きに背表紙を見るだけである。

というわけで、ビート・ゼェネレーション、御三家の本が我家にはあるのです。

 

そんなことを考えていた日の夜、1階に行くと、めずらしくヒロク二さんがテレビを付けていました。

画面を見ると、若いボブ・ディランが写っていました。

(3月12日のNHKの放送で)

それを見て、ボブ・ディランの番組は見るのか・・・、と思っていると

いきなり、ボブ・ディランとアレンギンズバーグが一緒に墓の前で写っている写真が映し出された。

わたしは、スクラップブックを見てから、ギンズバーグのことを考えていたので

このシンクロニシティに驚き、ブログの内容はこれにしようと決めた。

ギンズバーグが映し出されると、ヒロク二さんは「アメリカ人てのも面白いねぇ。」と言い、

キング牧師が映し出されると、「マーティン・ルーさー・キングも素晴らしい人なんよ。」と。

その後、黒人の公民権運動の様子が写った。

それを見ながら、このビート・ゼェネレーションの思考は、

今までの価値観を否定するような動きのムーブであり、アメリカらしいと思いました。

ヨーロッパでは、キリスト教からの重圧に対抗するために、

悪徳を行う、サド侯爵が現れ、フランスの哲学者サルトルが「神は死んだ。」と宣言する。

アメリカは、イギリスのプロテスタントの人々が移り住んだという経緯があり、

こちらもキリスト教の教義がきつく、なんらかの縛りから解放されたいという欲求があったかもしれない。

アメリカでは、ビート・ゼェネレーションがその役割を担なったのかもと。

ヨーロッパと違うのは、個人の反抗ではなく、大衆性があったことだと思う。

それは、一種の文化のように伝播力があったことにも驚く。

日本にもヒッピー達がいたと思いますが、この人達はどういうことを思って感化されたのか?

わたしはこういう時代を通過していないので、単なる流行のようにとらえていて、

ヒロク二さんに「ヒッピーだったの?」と聞くと、

「俺は、ヒッピーじゃない。画家だ。」というのですが、格好がそれぽい写真がチラチラある。

頭だって赤くて爆発していた写真を見つけたら、

「愚かしいことをしていたもんだ。」と言いながら、その写真は取り上げられた。

恥ずかしい過去の写真ということなのか?

ヒッピーと言われたくない感ありあり。

また、ヒロク二さんは、ジャズやロックにも傾倒して、ロック喫茶も経営した時期もある。

その頃は、8mmフィルムを取っていたという事です。

このビート・ゼェネレーションと言われた、文学、音楽、絵画に、接近し肉迫していたよう。

芸術の分野に限り、影響を受けまくっていた感じだ。

影響を受けた作品は、もしかしたらキッチュに見える作品かもしれないし、

センテンスとして、意表をつく形や線かもしれない。

ボブ・ディランは、ギンズバーグに影響を受けたと語っています。

最後は、ギンズバーグの『吠える』の文章を一部抜粋して、終わりたいと思います。

吠える

ぼくは見た ぼくの世代の最良の精神たちが 狂気に破壊されたのを 飢えてヒステリーで裸で、

我が身を引きずり ニグロの街並を夜明けに抜けて 怒りの麻薬を探し、

天使の顔をしたヒップスターたちが 夜の機械のなか 星のダイナモへの いにしえの天なる繋がりに焦がれ、

貧乏で襤褸ぼろでうつろな目でハイで 水しか出ないアパートの超自然の闇で 煙を喫って夜をすごし 

都市のてっぺんをふわふわ超えながらジャズを想い、

高架の下で脳味噌を天にさらし モハメッドの天使たちがよろよろ 光を浴びた長屋の屋上を歩くのを見て、

輝くクールな目で 方々の大学を通り抜け 戦争学者たちのただなか アーカンソーと ブレイクの光の悲劇を幻視し、~略~

柴田元幸訳、抜粋

こういう詩は、読んで体験しないと分からないと思います。

この感じ、ヒロク二さん好きそうです。

わたしは、物語派なのでこういうのは、苦手なんです。(汗)

 

↑もうすぐ咲きそうな木蓮のつぼみ。

買い物帰りなのですが、ビルの間の青空によく映えていました。

都会にも、春が来る。

これから、木蓮の花を見るのが楽しみです。

今日は、読まないビート二クの本を外から観察しているような感じで、

説得性が薄い気もしますが、武内の感性が少し分かる内容でもあったと思うのです。

内容が分かり難いというか、分からないものが好きな人です。

感覚派なんでしょう。

今日も、最後まで読まれた方、ありがとうございます。

 

 


発芽(メモ紹介767)と 香月泰男の絵画“苦と喜び“

2024-03-05 16:56:08 | Weblog

大きいサイズのメモ。

52×39cm。

クレヨンと鉛筆、色鉛筆を使用。

わたしは武内の絵を最初に見る人である。

そして、意表を衝かれ気持ちが落ち着かなくなる人でもある。

この絵もそうでした。

「武内の頭の中は、いったいどういう風になっているのだろう。」とか、

「いったいこれは何だ!」とか、

「これは理解されるのだろうか?」とか、

「こうやって、摩訶不思議絵画によって、食えなくなるのか?」という不安が出てくる。

そう、初めて見た瞬間、驚くのが常。

しかし、時間が経過し見慣れてくると、目が慣れるのか、いろんな思いが出てきます。

今や気持ちは春待ち状態。

そんなこともあって、発芽しはじめた種のようなイメージを持ちました。

ピートバンの上で、ちょこんと根を出し始めた種のようだと。

昨年撒いたビオラの種は、まさしくこんな感じで、その後、双葉が出てきました。

そんなふうに見ていると、このメモの絵はたいへん可愛らしく思え、

明るい気持ちになる。

この絵を見ながら、夕食を食べていると、春を考えずにはいられない。

そう思って、横にいた武内を見た。

目が合うなり、「ウクライナのことを考えると憂鬱でねぇ。」という言葉が・・。

武内は、幼少の頃は戦中で、空中から狙い撃ちされたという経験があるので、

(飛行機の荷の重さを軽くする為に、アメリカ兵が捨石のように弾を消費することがよくあったという事です。

 決して殺そうと思って打ったものじゃないらしい。

 冗談半分に打ったんでしょうと、戦時の事に詳しい編集者の方が教えてくれました。

 冗談だとしても、エグイな、とわたしは思うのですが)

その恐怖や平和がない時代を思いだして、ウクライナのことを考えているようでした。

「そういう中で、わたしが絵を描くということは、どういうことだ。」

と、切実な顔をして言い、わたしを見る。

こういう問いかけは、答えがなく難しい。

武内の苦悩している姿を見て、かなり重苦しくなって憂鬱になっているようだ。

時々、こうやって重苦しくなることも悪いことではない。

親身になって思いやっているのが良くわかる。

武内のヒューマンな面が出ている。

そこで、わたしは、

「もし、ウクライナの人が絵を見て、心が明るくなって希望を持つ絵があったらいいじゃない?」と言った。

「そういう絵があったらいいじゃない?」と繰り返した。

その時、本当にそう思ったのです。

武内は、ちょっと気を取り直したようで、仕事台の前に座りに行った。

そういう絵があるなら、見てみたいものだ。

未知の分野ということです。

 

 

こういう話題になったことで、取り上げたい画家がいます。

「香月泰男」という画家です。

よくNHK等でも取り上げられる画家で、太平洋戦争にて、ソ連に抑留されシベリアの強制労働をさせられ、

この原体験を描いた画家として、よく紹介されます。

わたしは、この<シベリアシリーズ>を見て、

「なんとも暗く辛い絵だ。」という気持ちで一杯になり、黒い絵柄が脳裏に焼きついた。

それから、香月泰男という名前を見ただけで、その絵柄が浮かび見ないようになった。

このシリーズの絵を見ると、全部同じ気持ちで埋め尽くされるからだ。

↑香月泰男《復員〈タラップ〉》1967年 油彩・方解末・木炭、カンヴァス 山口県立美術館蔵

これが、シベリアシリーズの一枚。

↑こちらも

《ダモイ》 1959年 油彩・方解末・木炭、カンヴァス 山口県立美術館蔵

こういう絵が、わたしの脳には、この方の絵とすり込まれました。

ところが、美術雑誌、芸術新朝で紹介されたページの香月泰男氏を広げると、

↑こんなページが出てきたのです。

こちらは、山口県にあった香月泰男宅の台所の壁画。

思わず、「台所が、なんと素敵なこと!」と、うっとりしたのです。

ここで、香月泰男氏の絵のイメージが一転したのです。

他には、パリの街角を描いたものや、ブリキのおもちゃがありました。

↑この絵は、パリの街角を描いていますが、なかなか洒脱です。

シベリアシリーズとうって変わって、軽いタッチ。

↑このブリキの人形達も洒脱で、今にも動き出しそうだ。

もう、動いているのかも。

これは、<おもちゃ箱>シリーズだそう。

その雑誌の香月泰男の特集を眺め終わってから、

あの<シベリアシリーズ>ばかり紹介するのは、やめた方がいいのではないだろうかという思いが・・・。

評価が高いのが<シベリアシリーズ>らしいが、それもどうだろうか?

わたしには、どちらも等価に思われます。

人生の中には、辛いときもあれば楽しい時もあり、その両方があるということは貴重だ。

香月泰男氏の紹介では、その両面を取り上げてこそ作家を知ることになると思いました。

そのことによって、シベリアシリーズも違った観点から鑑賞することが出来そうです。

 

最後に、種を継いで育てているビオラに新しい色合いの花をつけました。

↑電球の色で暖色がかって写ってしまったのを、

なるべく花びらの色を再現と思いカラー調整で出してみました。

グレーがかった藤色に黄色の花びら。

食卓の机に置いていると、ヒロク二さんが、「新しい顔だねぇ。」と言う。

「もう、ビオラの花が顔に見えるのなら、あなたもわたしの仲間だね。

 長年見ていると、顔にしか見えないのォ。」

と言い、笑った。

このビオラの種は採取して、今年も育てるつもり。

 

今日は、大きなメモを紹介しました。

武内の絵を見て、脳がくるくると回転していつもと違う部分に刺激が行く時があります。

その感じが伝わっただろうか?

ウクライナでの紛争のことから、わき道にそれ、

シベリアでの過酷な試練を受けた「画家・香月泰男」の絵についてを書きました。

わたしが思い込んでいたように、暗く辛い絵の画家という認識を変えて、

美と生きる喜びの絵も素晴らしいと思って頂ければ幸いです。

最後まで読まれた方、いつもありがとうございます。

 

 

 

 

 

 


花(作品紹介766)と ヒロク二さんへ水垢離の進めを

2024-02-27 14:48:09 | Weblog

和紙に顔彩の作品。

以前、わたしが顔彩の作品の束を見つけ、取り上げたことがありますが、

現在、その紙の束を、武内が点検しています。

わたしが見逃していた絵がありまして、

今回は、その一枚を選びました。

もしかしたら、以前見ているにも関わらず、気にとめなかった絵かもしれない。

少々、わたしも年を取り、絵の見方や好みが変わったりしているのだろうか?

いい意味で言えば、絵画の深みを感知する能力が進化したというふうに、自身のことを思ったり。

きっと、以前は「な~んだ。」と、この絵の前でいったかもしれない。

子供が描いたような絵なのですが、

花の形が立体的に見えて、ユニークなこと。

花びらと茎、葉がほとんど同じ太さで描かれていること。

バックのバラバラとした線が、花が立て向きなのに対して、横の動きをしていること。

黄土色の花に対して、紫~緑がかった茶色の色合い。

この4つの特徴が、調和しています。

花姿は静かなので、日本の花なのでしょう。

また、顔彩の頃は仏教にも傾倒していたので、

どことなく、彼岸を感じるようなところもある。

この頃、武内は孤独で破れかぶれになったり、気を持ち直したり、

侘びしさを抱えて、散策する日々だったようです。

(よく喋る人なので、その頃の心情をもういいと思うぐらい話してくれるのです。

 話が行ったり来たりするのを並べ替え、あの時、この時の心情を頭の中でマッチさせて聞く。

 今でも、理解不能なセリフがあって、

 「私は、きょくほくなんよ。」と言われ、字は「極北」として、どういう意味なんだろう?

 と、思いながら本人を見て、究極に寒い所にいる武内の心情??等と思っていた。

 たぶん、違うでしょう・・・。

 未だに分かりません。

 話が脱線しそうなので、(  )の部分終わります。)

この絵は、紙の白い部分が多く、余計なものが描かれていないだけに、

精神が剥きだしているように思われ、

「侘び然び」に通じるものを感じます。

実際、寂しく、侘しかったようです。

当時、話を聞きながら、「侘しかったのね。」と言ったら、

「侘しいんじゃない、おそろしく孤独だったんだ!」って、怒られた。

わたしは、心外でした。

 

 

暖かい日があり、その暖かさを味わってしまうと春が待ち遠しい。

育苗しているビオラもやっと花をつけ始めている。

緑の葉の間から、紫や黄色、白、茶色が見え初めている。

「やっぱり、花はいいなぁ。」と思う瞬間です。

ヒロク二さんは、寒さが戻ると花が萎れるが如く、弱る人だ。

パワーをアップする為に、ガスストーブとクーラーで暖房を入れる。

その異様な暖かさの中で、わたしは汗をかき、

次々と上着やセーターを脱ぎ、夕食の準備をすることも。

「寒いちゅうのは、いかん。すべてが嫌になる。」とまで言われると、

「それだけで、すべて嫌になるって短絡的すぎない?」とわたしは言う。

「それに、これだけ暖かくして部屋にいるのに。

 こうやって雨風しのげる場にいることに感謝はないの?そう思わない?」

と、説教気味な発言を付け加えた。

すると、怒りのトーンが落ち、少しまともになった。

意地悪なわたしは、トーンが落ちたところを狙うかのように、

「わたしは、入浴前に冷たい水を浴びているからね。

 最近、寒さに強くなったみたいで。

 あなたもやってみたら。いいわよ~。」

と、笑いながら言った。

すると、上目ずかいに私を見て、

「そういう人意外といるよね。修行で滝行とかあって修行僧がよくやっているのは知っている。」と。

わたしは説明した。

「わたしレベルの話なんだけど、何がいいかと言うと、

 水を浴びる前に洗面器に水を溜めるじゃない、やっぱり嫌だなって思うのよ。

 そして躊躇する気持ちがあるじゃない。

 それを思いながら、エイ!ヤ!と水を浴びると、

 思ったほど苦痛じゃなくって苦難を越えたような気がするわけ。

 普段の生活でもやってしまわないと嫌なことってあるじゃない。

 そういう時、やってしまえばいいんだって、思う時があるのよ。

 いいと思わない?」

と、締めくくり、ヒロク二さんの顔を見た。

なるほどという顔はしているのだが、好きな話題じゃないという雰囲気が漂う。

そこで、「水垢離をしているからって、それで素晴らしい人になるとか、そういうことはないと思うけど。」と言うと、

とても嬉しそうな顔に変わり、

「それはそうだよね。」と落ち着いた知的な感じで頷いている。

たぶん、水垢離で素晴らしい人になるわけないという部分に安心を感じているのだろうと察する。

だから、それはしなくていい、自分には関係がないと。

そこで、また震え上がらそうと思ったわたしは、

「それで、水垢離は夏にすると水浴びになってしまうから、冬にしなくちゃいけないのよ。

 だから、今やっている。

 瞑想の指導の先生は、真冬のつららが垂れ下がっている滝に打たれている写真があってね、

 半身水に浸かっているのよ。もう、滝の冷水にあたると、気が遠くなるって言われていて、

 身体が丈夫でないとしてはいけないと言われている。」

ヒロク二さんの顔を見ると、寒さ全開の表情だ。

暖かい部屋で寒そうな顔をしている。

「あなたも、やってみたら?」と言うと、

「やりたい人がすればいい。」という答えが返ってきました。

だけど、寒さで嫌になる発言は、この後、控えたようです。

夏に強いヒロク二さんは、夏になったらクーラーを切れと言い、

立場が逆転します。

けれども「暑いからすべてが嫌になる。」」とは、わたしは言いません。

 

 

 

最後に、育苗中のビオラ。

↑手振れしてしまいました。

今年は、紫色の花が多い。

茶色の花と思って植えた種からも紫の花。

そして、黒に近い紫色の種からも、上記のタイプの花。中央にブッチが入っているという新種(わたしのビオラでは)に。

下の3枚の花びらに白い縁があるのも、今までにないタイプです。

昨年は、蜂がよくビオラの周りを飛んでいましたので、

虫によって新しい交配が進んだのかもしれない。

去年、無かった花姿のビオラが多くなっています。

↑今、花をつけ始めているビオラ。

もう、種を継いだビオラを育て始めて何年経つのか。

上の写真のビオラとは違う紫のビオラが育っています。

花がうさぎビオラの形で紫色。

春になって、わんさかと花をつけて欲しいと思います。

 

今日は、夫の描いた絵を「侘び然び」等と、独自解釈しました。

漢字では、「侘び寂び」と書くのが一般的だと思います。

「然び」としたのは、時間の経過によって出てくる内面の本質を表すという意味になるそうで、

こちらの方がしっくりくるからです。

またもや、褒めすぎかもしれません。

パッと見たら、子供が描いた絵のように見えるという感想も

素直でいいと思っていますが。

日常は、お互い屁理屈の言い合い。

屁理屈の水垢離論でした。(笑)

今日もこのような文章を最後までお読み下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


部屋(作品紹介765)と 坂道を行くと

2024-02-20 09:54:40 | Weblog

この絵は、アトリエに貼られていました。

それを見つけた時は、「この絵は素晴らしいですね。」と言われず、

「武内さんらしい絵ですね。」と言われる部類かな?と思いました。

この絵はインパクトはあるので、

つい目がいってしまう絵で、その度に眺めていました。

電球みたいに見える顔の部分はピンクのクレヨンで描かれていて、

それが目立つのです。

ブログを書く前に、この絵のことを聞いてみようと思い立ち、

「この絵について、何か言って下さい。作者として、何か一言ないですか?」と聞いた。

少し笑いながら、「見る方が、好きにみたらいい。」と言う。

はぐらかされているような感じでもあるので、

「それはそれなんだけど、作者としてこの絵について一言でもいいから言って欲しいのよ。」と、食い下がる。

そうしたら、「この絵は1分ぐらいで出来たからねぇ。」と言い、

「こういう絵は、描いている内に派生する絵で、この絵以外にもたくさん出来てくるんだ。

 例えば、今描いている絵があるだろ、(目の前の絵を描く振りをしながら)

 ちょっと行き詰った場合、この小さな紙をこっちへ持ってきて、(横に重ねられている別のメモを取り出す)

 これの続き・・・・、続きというわけでもないか・・、

 このメモに色を擦り付けて見ると、勝手に手が動いて出来てくることがあるんだ。

 失敗というか、全然ダメなものもあるけどねぇ。

 この絵は、そういうふうにして出来上がった絵で、

 顔の表情がキュートに仕上がっているから、壁に貼っている。

 この絵はそれ以外なにものでもないよ。」と。

思うような答えは返ってこなくて、過程の話が詳しく語られたのでした。

「好きに見たらいい。」と言われましたので、

わたしの主観的見方を言いますと、

“窓辺にある卓上照明“のように思いながら見ていました。

コンセントが伸びていて、スイッチらしきものまであるという具合に。

窓の外は、嵐で、怪しげな屋敷の一角。

錬金術でもやっていそうな人物の住まう部屋。

怪しさが全開の絵と思っていました。

鉛筆とクレヨンで描かれています。

先ほどの話からクレヨンで描かれた絵は、

わりと短時間で仕上げているのかもしれないと思いました。

1分というのは、本当?

大げさに言っている感があります。

 

 

2月というのに、暖かい日がありました。

その日は、ヒロクニさんが散歩すると言うので、

このチャンスを逃してはいけないと思い、家の用事は後回しにして散歩に付き合うことにしたのです。

家の近くにある坂を登るというのでついていきました。

すると、小さな公園があり、滑り台やブランコがあり、その近くに保育園があったのでした。

さらに上に行く階段があり、上ると高台のようになっていて、

葉の落ちきった木と鉄棒だけがポツンとあり、

座る所もなく、私達は突っ立っていた。

あまり手入れをされていないようで、地面にはあちこち石が転がっていて、

頂上の公園は、子供は危ないからいくなという注意をされているに違いない。

周りを見渡すと、近くに山が迫り、下には民家と畑があり、所々に葉ものを植えている様子が見て取れる。

頂上は殺風景で、寂しさを感じる公園だ。

山の方を見ると、山の中腹に寺が立っているのが見えたり、

禿山になっている箇所が、目の前にせまって見える。

このせまり方が神戸だな、と思う。

この日は、いい天気で春の陽気すら感じる日だった。

そのせいかヒロクニさんは、薄紫色のセーターに黒のジャケットといういでたちで、すっと立っていた。

背筋がまっすぐ伸びて、立っている姿は一本の棒のようだ。

家で見る姿は、よれたトレーナに股引姿で、ぶつくさ言う口というのが固定されているので、

「この人、外にいる姿の方がいいんだ。意外と見栄えするな。」と思い、

いつもとは違うヒロクニさんを見たという感じ。

御歳86才、今年で87歳だ。

個人差はあれ、86歳でこの感じはいいのかもしれないと思い、

やっぱり普通の人とは、エネルギーが違うのかもしれない等と思う。

家にいても絵を描いている時も、椅子に背もたれはなく丸椅子で前かがみになって制作。

そして、足を踏ん張っているらしい。

今でも長時間制作だ。

以前より、仮眠を取るとぐっすり寝るけれど・・・。

歩くことを生活に組み込んでくれたら、きっとパワーアップするに違いない。

やはり、もっと歩かせないといけない・・・と決意した。

わたしの周りで、1日に1万5千歩~2万歩を歩くという目標が掲げられている。

わたしもよく歩いたと思っても1日8千歩止まりなのだ。

大体、6千歩がいいところ。

そう、ヒロクニさんが現役でいる為には“歩くこと”だ。

まず、意志を持ってもらわなくてはいけない。

そこで、自ら買い物へ行くとあちこちと回り、歩数を増やす。

帰って来てからは、「歩くと、やっぱりいいわね。」と言い、

「わたしも年齢より動けるようにしておかないと思ってね、

 身体は動かしておかないと錆びると思うわ。」と言う。

こうやって、お前も歩くのだという啓蒙をしているのです。

時々、そうかもしれないと思うのか、

「春になったら、街に出るから一緒に行こう。」と言うことが増え、

「春になったら、小旅行しよう。」と。

そして、時々玄関がガラッと開く音がする。

股引姿で、家の近くを歩いていたようです。

歩くことを気にしているようで、効いてる~と思いクスッと笑ってしまいました。

お年寄りは気遣ってあげないといけないとは思いますが、

我家の場合は、老体に鞭打つ、負荷をかけ、元気を維持するという論理に落ち着きそうです。

後は、実行するのみ!

ここをヒロク二さんがクリアするのが難しそうだ。

口ばかり動く人だからね。

 

 

突然の暖かい日が訪れ春が待ち遠しくなりました。

以前の住まいで植えていた花、2013年の庭の写真から。

↑ヒヤシンスの球根が大きかった頃の庭。

手前は、プリムラとカルーナをあわせて石で囲ったりして、

うっとりとしていたのを思い出します。

↑こちらは、亡きジルと桜草。

外が好きな猫でした。

友人の猫ちゃんの訃報を受けて、飼い主の心配をしていたので、

思い出したのでした。

かつての猫達を。

キタハマも可愛かった。

 

今日は、散歩から目標2万歩(どんな周りかは秘密)という出来そうにない話。

目指せ、2万歩ということで終わりたいと思います。

老人は、鞭打て!わたしにも言い聞かせることにします。

たいしたことない話題を長々と書きました。

最後までお読み下さった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


少年の雲(色鉛筆作品紹介764)と小澤征爾氏のサン=サンースを聴いて(追悼)

2024-02-12 22:48:25 | Weblog

色鉛筆で描かれた作品です。

右下の空間にタイトルと描かれた日のことが書き込まれています。

「少年の雲」2011.4月と。

古代に描かれた地上絵のような雰囲気もしなくもない。

赤茶で描かれた野太い線がそう思わせるのでしょう。

しかし、タイトルは「少年の雲」となっています。

最初は、緑の線で囲まれた形が、小さな雲のように思い、

これが少年の雲なのか?と思って見ていました。

ちょっと離して見ていると、

この茶色い線で描かれてのが、少年を表し、

水色の部分が空の青で、残りの部分は全部雲なんだと思い至りました。

この絵を眺めていると左方向へ雲は流れ、

雲は流れにまかせて形を変えていっているようです。

そう思うと、緑の線で囲まれた形は、千切れ雲のように思え、

手前の雲なのか、奥の方にあるのか?と思ったりして、

雲が揺らいでいる様子を感じたり。

平面的な絵なんですが、ゆったりした動きがあって、

ちょっとふわふわした浮遊感覚が味わえます。

遠目で見ると、楽しくなる絵かもしれません。

 

 

小澤征爾の訃報を知り、驚いていました。

ヒロクニさんも「惜しい人が亡くなるのは、寂しい。」と。

以前、小澤征爾指揮のサン=サーンス の交響曲のCDアルバムをひきりなしに

拝聴していた時期がありましたので、寂しい感情に襲われました。

失う感覚といいましょうか。

ヒロクニさんは、このサン=サーンスの交響曲を聴きながら、

空間のことを考えるヒントになっていたそうで、

指揮する小澤征爾氏になったつもりで、空間を指差し、混ぜ、かき回すような仕草をしていました。

そして、なんらかの説明を力説します。

それは、「こっちの空間から、ここを取り出して、また送り返す。」という具合で、

自分の絵画造りと重ね合わせていたと思います。

そのこともあり、長い期間聴いていました。

わたしの方は、ヒロクニさんが言う空間の発言もあり、

空気が大きく広がっていき、また寄せてくる空気の動きが大きく循環していくような感じがいい、

と思いながら聴いたものです。

また、ひとつの時代が終わりを告げているようでもある。

昭和の世代の人が亡くなると、

どんどん新しい時代に突入していっているというのを身近に感じるのです。

それでも時間は過ぎて行く。

次の時代のことを思うと、「わたしも昭和よね~。」とつくづく思います。

 

 

 

最後に、小澤征爾氏の指揮の演奏を。

サン=サンースの聴いていたアルバムを失念していて、見つけられませんでした。

そこで、ヨーヨーマのチェロ演奏も好きなので、

上記のものを選びました。

武内からは、ヨーヨーマが好きだと言うと、「何で、そんな奴がいいのか?」と言われるのです。

「だって、育ちも良さそうで、この柔和な笑顔。そして、このチェロの音色。

 それに東洋人らしく、時々一歩引くという技も持っていて、いいの!」

と言い返します。

一歩引いた後で、前に出てきたりとして、ベートーベンのピアノソナタでは

遊び心もあり、名演でした。

そんなことも付け足して言うと、

ふ~ん、という顔で、

アファナシェフのCDを置いて行きました。

その趣味を見て、ヒロクニさんらしいと思ったものです。

↑こちら

「ピアノ界の隠者」とか、「ピアノ界の鬼才」と言われているようで、

ヒロクニさんらしい選択。

激しい印象でしたが、独特なものを感じました。

しかし、わたしは穏やかだけど遊び心もあるヨーヨーマが好きなのでした。

ヒロクニさんは、「色鉛筆画の鬼才」と言ってもいい存在。

淡くてさっと塗るという色鉛筆画から、逸脱し、

筆圧強く塗りこめる執念の塗りと、独自の絵柄。

アフェナシェフの鬼才ぶりと通じる部分があるのかもしれない。

 

「世界の小澤征爾」と言われた指揮者。

惜しい人が亡くなったと思います。

ベートーベンのような風貌になっていました。

大きな存在を亡くしたと感じます。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

今日は、訃報を受けてから思っていたことを書きました。

音楽を聴くと、その聞いていた当時の心情や時代背景がすぐ思い出されます。

普段忘れていたっことも、音楽を通してよみがえってくることもよくあります。

音楽というのは、時間や空間と心に密着する不思議なものだと思いました。

サン=サンースを聴いていた時のアトリエの雰囲気や、時代が持つスピード感などもよみがえってきます。

人の記憶と音楽も密接な関係にあると思うと、不思議です。

そして、豊かな気持ちになれるなら、とても素晴らしいことだと思いました。

 

今日は、短めの文章になりました。

だけど、あれこれ思いをまとめるのに2日も要しました。

我家では、音楽担当は武内の役目になっています。

音楽なしでは生きていけないヒロクニさん。

それぐらい音楽好き。

その横で、あれこれ聴いているわけでございます。

今日は、夫を「色鉛筆画の鬼才」とか書いてしまい、褒めすぎかもと内心思っております。

今日もお読みになられた方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 


花を撒く(色鉛筆作品紹介763)と ケルト人の文化と歴史

2024-02-04 15:50:02 | Weblog

夜の街か?

赤と黒の色使いが印象的な絵。

花を撒き散らしているのは骸骨か?宇宙人か?

どことなく“ワルイ奴ら“のように思える・・・。

わたし的には、不良少女といたずら好きな妖怪が徘徊する街といったところ。

退廃ムードもあって、世紀末的な絵かもしれない。

今朝、額に入っていたこの絵を外しながら、

「この絵をブログに使おうと思って」と言うと、

「ああ、この絵をね。いいと思うよ」と言い、

「この絵は夜、このライトで照らして見ているよ。

 暗がりに、この絵が浮かんでいるといいんだよ。」と説明されました。

その絵の前に小さなライトがありました。

その様子を思い浮かべ、「確かに暗がりに映えるかもしれない」と思ったのでした。

仕事部屋で寝るのが復活して、横になりながら見ているようです。

 

 

その仕事部屋&台所にて本を読んでいると、

制作の手を休め、「そんな本読んで、どうするの?」と聞いてくる。

その本は、「ケルト人の歴史と文化」というタイトル。

この本になります。

この「どうする?」という質問は、「いったいどういうことよ」と思いながら、

答えた。

「ケルト人というのを初めて知ったのは、ローマの歴史からなんだけど、

 ブリテン島にローマ軍が遠征に出た時に、その地にいたのがケルト人で、

 戦車を自在に操って、獰猛な戦い方をするという民族として登場したの。

 それに最近、イギリスものをよく読むでしょ。

 アーサー王物語も面白く読んで、これはケルトの伝承をまとめたものらしくて、

 こういう物語の土台を知りたくて読んでいるの。

 たまたま図書館で見つけたというのもあるけど」と。

わたしは分かり易く言ったつもりなのですが、ヒロクニさんにとっては、まるで関心がない分野。

それから、いろいろな質問を受けるのですが、

ケルト人のいた年代が現代に近く思っていたりして、話がかみ合わない。

わたしも読んでも忘却の彼方にならないよう簡単なメモを取りながら読んでいたのですが、

「そんなメモ、とってもしょうがないじゃない」と言われた時は、

読書を妨害されている気がした。

この時間、ヒロクニさんは子供みたいで、単にかまって欲しかったと気づいたのは静かになってから。

急に寝ていました。

(疲れていたのかも。子供がぐずるような感じもする・・・。)

ケルト人というのは、古代(紀元前7000年)からいた部族で遊牧民的なところもあり、

分散していった民族です。

ヨーロッパはブルターニュ地方、ブリテン島、アイルランドに文化が残っています。

ケルト人は、多神教で植物や動物、石や木にも神を見出す信仰があったということから、

妖精がイギリスに登場するのは、こういうことかもしれないと思いを巡らせる。

わたしが注目している物語に関することでいえば、

ケルトの国では、職業詩人(語り手)集団を手厚く保護し、

身分も貴族としての待遇を受けていたという事と、

この職種につくには、神話や英雄物語を350以上記憶し暗誦できなければ資格がない。

それには、12年の歳月をかけたと言うことです。

ケルト人は、文字を持たなかったので、キリスト教が文字をもたらすまで、

口承で文学を高めていったと。

わたしが好きになった「アーサー王物語」は、

ケルトの伝承をまとめた人物が何人かいて、普及したものをわたし達は読んでいるようだ。

わたしは、はっきりとした作者というのがいると思っていたからね。

あの有名な石のサークル“ストーン・ヘンジ”も石を信仰するケルト人の作ったものだと知ると、

不思議な感じがした。

中世の柄の刺繡をしていた時に、どんぐりの木の図案があって気にいってしたりしていましたが、

イギリスの図案だったのです。

ケルト人の植物信仰で重要な木は、

オーク(カシワ、ナラ、カシの木)やヤドリギ、イチイ、ハシバミ(ヘーゼルナッツ)。

この本を読んでから、象徴的な図案だったんだと。

今取り上げた木は、イギリスの小説にもよく登場するなぁ~と改めて思うのでした。

そして、特に面白いと思ったのは、この箇所。

■抜粋

『異界と現実世界(この世)のあいだにはどこかに何らかの通路があり、

 場所と時間によって、その通路が開かれ往来が可能となる。

 つまり、異界から現実世界へ入ってくることができる一方、

 現実世界から異界へ入っていく「相互乗り入れ」が出来る状態になるとされる。

 通路が開かれた時、異界から死者の霊、悪鬼、魔物、変身した者などが現実を訪れてきたり、

 逆に現世にいるものが異界へ出かけていくことがあると信じられた。~略~

 異界があるとされた場所は、

 地面の下(洞穴の奥、井戸の底、泉、沼、湖の下)

 山の上(丘の頂上、林や森の奥、渓谷など)

 海の下や上、島。また暗い所、奥まった所、危険な所、謎めいた所』

こういう世界感を読み、現在読まれている物語にもこういう要素がふんだんにある。

世界感が物語そのものだ。

身近な所では、「葬送のフリーレン」の漫画も魔物や魔法が出てくる。

ケルト社会には、「ドルイド」という賢者もいて、それが魔法使いの要素になっているようです。

知恵者なのですが、「アーサー王物語」では、“マーリン”という魔法使いが登場します。

フクロウにも変身し、このマーリンの助けによってアーサー王は苦難を克服する。

もし、マーリンが登場しなかったら、物語は味気なくなると思う。

手に汗にぎり、ハラハラする要素が薄められてしまいそうで。

そういう意味においても、フィクションが力を持つ。

物語好きなケルト人は、物語を作る資質も持っていたと思うが、それを高める情熱を持っていたと思うのです。

そういう遺産があって、今の読み物にもつながっている。

そう思うと、文化というのは練り上げられていくものなのだと思いました。

ローマ人は、ケルト人のことを「野蛮だ」とか、「気が短く喧嘩っ早い。」「好戦的」と言っていたらしいが、

そんなことばかりではないように思います。

この度の読書、イギリスの土地のことを少し知ったような気持ちになりました。

丘砦(ヒル・フォート)のこともよく分かった。

風景描写でよく出てくるのですが、いま1つ飲み込めてなかった。

古代ケルトの首長の生活の場、遺跡のことでした。

 

今日は、どれほどの人がケルト人に関心を持っているのか?と思うと、

ポピュラーな話題ではないなぁ・・・と思いました。

それでも、あえて読んで下さった人がいるとしたら、本当にありがとうございます。

最近、イギリスものをよく読むようになってしまって・・。

ヒロクニさんには、「歴史はあんまり興味ないんだよ」と言われてしまいました。

 

 

最後にケルト人が残した「ケルズの書」から

円環と文様の独特の美を追求したものです。

ロマンを感じます。

 

 

 

 

 

 


玉葱(色鉛筆作品紹介762)と 古いスケッチから

2024-01-28 17:43:12 | Weblog

玉葱の絵。

しかし、背景がカラフルでモダンな玉葱に見えます。

以前の家で、玉葱を庭で育てていたので、それを描いていたようだ。

今思うと、庭には花、野菜とよくあれだけ熱心に育てていたものだと感心します。

絵を見ると、玉葱の首の部分や葉をよく観察して描いているのがよくわかる。

首の部分が、ねじれたような表現になっていて、独特の表現だ。

脳内で、茎の部分が縄編みになっていたのだろうか?

アクロバットな表現に驚きます。

武内は、作品を分類してペーパーバックにまとめるという癖があり、

そこから見つけました。

あと、4袋ぐらいが放置されています。

先回の雨の絵も、今回と同じペーパーバックから選んでいます。

このペーパーバックには、やや古いめの絵が多く、

「こんな絵も描いていたんだねぇ~。」と思いながら見る絵が多い。

その中では、今日の玉葱の絵は新しいほう。

庭がある頃の絵なので。

それと、メモの類が多く、捨てていないということは、

このメモから派生する作品があると思われる。

仕事部屋に骸骨の絵が貼ってあったので、見ていたら、

「この絵は失敗なの。後で破るから。」と言われ、

そんなに出来が悪いだろうか?と疑問に思った。

失敗作という絵も、メモから絵にしたということを聞いていたので、

現在はメモの点検、見直しをしている時期なのだと思います。

引っ越しをしましたので、紙の分類をしている内にメモと作品の点検が始まっているようです。

その中から、古いスケッチを見つけました。

↑こちら

スケッチブックから切り離されて、1枚だけがありました。

このスケッチを見ながら、わたしが武内と結婚する以前の風景、

すなわち40年以上前、1980年ぐらいの明石駅の裏のなのだと。

木造の建物が多く、山陽電車も高架に上ってなくて、路上を走っていた頃だ。

そして、線路のわきには、草がぼうぼうと生い茂っていたのだろうと。

ローカルな当時の明石駅の様子が想像される。

電信柱の様子も見ていると、木だったりしたのか?と思えてくる。

そして、意外と絵に情というか体温があり、武内の感傷的な部分がよく出ている。

上記の玉葱の絵と随分違う印象です。

武内は若い頃、それも高校生の途中から画家の生活スタイルになって、

突き進み洋画家の仲間入りをする。

洋画家時代は、風景画が多かったと聞いているので、

どんな絵だったのか、見て見たいと思っているのですが、

それは手元になく、見たことがないのです。

このスケッチを見ると、洋画家時代があったのだなぁ~というのがよく分かり、

その頃の油絵を見てみたいと思うのだ。

わたしは、武内の人生の後半の伴侶なので、前半部分は分からないことが多いのです。

その絵は、淡路島にあるらしいという事だけが、はっきりしています。

裏町の風景が多いと当人は、言う。

今と随分違う作風かもしれないと思うと、見てみたい。

 

こういう事を書いて、途中で一息いれに1階に行くと、

台所&仕事部屋にいるヒロクニさんから、

「あの時代は、風景画が多かったし、淡路島を行ったり来たりするうちに、

 自分の帰る家もないような状態になってもて、あれ?おかしいな。

 俺ってどうなっているの?て思ってねぇ。」という話が。

(淡路島に単身赴任状態だったのだろう。そう思いながら聞く。)

思わず、わたしのブログの内容とシンクロニシティしてる?と。

こういう事もあるのか・・・と、驚いていました。

 

その前に、ローリングストーンズのメンバーのキース・リチャーズのソロを聴く時がありました。

この人って、歳をとれば取るほど演奏する姿が「これほど楽しいことはない!」という表情が良く、

ちょっと見ていたのです。

youtubeでは、途中からソロの曲を聴いていました。

音が枯れたような味わいもあって、その音が心地よかった。

そして、また1階に降り、一息ついていると、

ヒロクニさんが、そのアルバムをかけたのです。

同じ曲聴いている・・・と思い、

シンクロニシティ?と

いろいろなヒロクニさんの解説付きで聴くことに。

「こいつら、ロックのいい所は、いわゆる勉強をしましたというのじゃなくて、

 いや、いろいろ学習はしているんだけど、

 そういうのとは違って、ひょいと才をつかむ瞬間を逃さないのが、いいんだよ。

 それに、このチープさ。

 このドラムの真ん中を叩かないで、端の叩く音を聴いてごらん。

 実に、チープな感じもあって、いいだろう。

 キースもいつもより開放されているし、

 こういうのが、才能なんだよ。」

と言い、才を感じながら音を聴いていたみたい。

わたしは、そういう事はわからないので、黙って聞いていました。

わたし自身は、音楽について語るのは難しく、いつもこれで言いたいことは伝わっているのか?

という疑問を持ちながら書いているわけです。

頭の中で、音楽はジャンル分けされることがない。

若い頃、レコードショップで見た分類である“プログレ”という文字を見て、

大きい声で「プログレって、いったい何なのですか?」と言った人なのです。

店員の人の反応から、とんでもない質問だったような・・・。

話がそれそうなので戻しますと、

「才能があるからやるのじゃなくて、やり続けるうちにひょこっと出るから、

 それに気づいて、さっと広いあげる。

 それが出来ることが凄いわけで、気が付かなかったずんべらぼうだ。」

「学校の勉強ではなくて、そんなものはどうでもよくって、

 勉強というのは、こういうことでもあるから。」

と、教師の息子であるヒロクニさんが言う。

ヒロクニさんは、才の部分を確認するのと同時に、

自分の才はどう出るか?という問いかけをしていたみたい。

わたしは、80歳になったキース・リチャーズの姿がよく、見ていると楽しくなる。

と音楽一筋に生きた人を見て勇気を出したかったのでした。

ヒロクニさんも、絵一筋。

いい感じになって欲しいと思っています。

しかし、手強い相棒だ。

↓最後は、失敗作という仕事場に貼られた絵を。

↑右の骸骨の絵は、破り捨てるのだそう。

その周りには、絵のメモが。

走る骸骨なのか?と思いながら、今日はこの辺で終わりたいと思います。

 

才能というのは、長所のことでもあると思うのです。

そう思うと、だれにも才能というのはあるのです。

そういうふうに思い、わたしも「長所かも・・。」ということを磨くことをしている途中。

ヒロクニさんは、才について語りながら、「恥もかくこともしないといけない。」と言っています。

時々、「この人って恥知らずかしら?」と思うことがある夫ですが、

大目に見ることにしています。

今日も最後までお読み下さったかた、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


雨(作品紹介761)と 花士・珠寶さんの「献花」

2024-01-20 16:26:35 | Weblog

今日は、雨。

そして、雨というタイトルの絵を見つけました。

ガッサとペーパーバックに入れられた、紙の束の中から。

この絵は、マジックとアクリル絵具を使用。

バラバラとした線に、太い黒の線がさらにバラバラと重ねられています。

いつもの色鉛筆や鉛筆で描く絵とは、

随分雰囲気が違う。

俳画のような趣の画風。

こういう面も持っていて、永田耕衣の俳句に親しみ、兵庫県加古川市を散策する時期があったそうです。

永田耕衣氏は、兵庫県の郷土作家で加古川の作家です。

武内流に言うと「風狂な精神」に親しんでいたということになる。

わたしは、「夢の世に 葱を作りて 寂しさよ」という句を教えてもらい、

夢と葱と寂しさの三つが頭の中で混ざり合い、

「白っぽい土の上に立ち、畑を耕し、土の表面から玉葱の白い部分と緑が眩しい。」という光景を想像して、

なんとも言えない寂莫感を感じたのでした。

実際に、加古川の地を一緒に散歩し、鄙びた風景を見ているうちに、

土地に「寂しさ」というものがあるのかもしれないと思ったものです。

この「風狂さ」のある作品は、顔彩を多く使用していて、

自然を抽象的に描く作品が残っています。

それから、急に「風狂」には見向きもしなくなり、色鉛筆画に励んでいます。

この絵は、マジックで描かれているので、最近に近い作品だ。

ということは、表現方法が違うけれど、「風狂」が自然に出てきた。

その作品を見つけたということかもしれません。

この永田耕衣氏は、たくさん俳画も残していますが、

武内は、俳画には興味が薄く「句」の精神が好きだと言っておりました。

野に出て歩いている内に、暗雲が垂れ込め、急に大粒の雨が降ってきて、

3人の人が慌てて走っているように見えますが、

皆様はいかがでしょうか?

 

 

今週は、初めて「献花」というものを見に行きました。

献花は、青蓮舎、花士・珠寶(しゅほう)さんによるものです。

活ける植物は、枝や葉、花がありますが、彼女の手にかかると残された枝や葉がスッとして美しくなり、

その過程を見ているのが、非常に楽しく目を奪われていました。

また、大きな枝ぶりのものは、枝が落とされていく度に、

気持ちに余分なものがなくなるようなものがあり、

こういうのも体験しないと(実際に見る・場を同じにする)分からないことなんだと思ったのです。

終わってから、雑談もあり、その内容も面白いものでした。

花を活ける時に、自分が出てもいけないというような事を言われていて、

花も今回は、コレというふうに、決めないで使う植物を選ぶと言われていました。

非常に謙虚な姿勢で、献花に望まれているのだな、と思い、

西洋が、自分の意志や主張を明確に表現するのに対し、

植物を中心に沿え、それを最大に生かす為に自分を主張しないという姿勢は日本独特。

どちらが、良い悪いではなく、物事によく合っていればどちらでもいいと思います。

花士というのは、室町時代からいたそうで、男性が担っていたと。

室町時代というのは、学校の教科書では、書かれていることが少なく、あまり知らないな、と思い、

日本の室町時代に興味が湧く。

このように、文化的な刺激を受け、家に帰りました。

写真は、うまく撮れなかったようで暗く写ってしまい残念。

↑梅の木の幹に白い苔が生えていて、その部分の白がとてもいいのですが、

この写真では分かりません。

小菊とよく合っていて、「侘び然び」の感覚があってじんわりきます。

↑もう少し明るくすれば・・・、と思いやってっみましたが、難しいよう。

またもや、残念だ。

 

献花の様子は、撮影できませんので、

花士・珠寶さんの動画を紹介します。↓

とても、美しい方。

一緒に写真を撮ってもらいましたが、

わたしの劣化が激しく、ここに載せれません。

(開き直れない・・・)

植物の声を聞き、美に添って生活している人は内なる美を備えているのだと思います。

珠寶さんからの、「ヒロクニさんにもまた会いたいな。」との言葉を伝えると、

「嬉しいねぇ。」と一言。

交流があった時間を思い出すと、懐かしい。

皆、若かった。

わたしも20代だったからねぇ~。

 

 

今日は、いつもの夫婦喧嘩ではなく、文化的な内容になりました。

「俳句」「華道」と日本的なことが中心で、ヒロクニさん流に言うと「和風」。

わたしも「献花」を拝見して、美しい気持ちをもっと持たないと!と思った次第。

いつも「うるさいわね~。」とか、「いい加減にしなさい。」と小言を言ったりして、

ムカつく日常を送っているとダメだ・・・、と危機感を感じだぐらい。

それでも、時間は流れていく。

思った時に、少し意識して流れを変えてみたい。

今日も、最後までお読みになった方、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 


流れに添って(銅版画作品760)と ミロの絵をよく見ると

2024-01-13 13:57:24 | Weblog

武内の作品の中で、とても珍しい銅版画を紹介します。

とりあえず、「銅版画というものをやってみたという」時期があったそうです。

作品は、保存状態も悪く、染みも浮き出ているような状態。

これが、今まで見もしなかった溜めていたメモの袋から出来きたと。

わたしにとっては、初めて見る作品なので、「へぇ~!」と驚くと同時に、新鮮さを感じる次第。

武内は、「つたない作品だけど、俺も試行錯誤してたんだな。」と、

銅版画を持ちながら、片方の手で顎を触り含み笑いをしていました。

そして、メモとして壁に貼られています。

流れる五線譜に音符と釘(ネジのような)、そして旗。

案山子のような4部休符もある。

ハート型と流れる線。

よく登場する「桜島」。

小さなモチーフと黒色の野太い線が、

細くの伸びる線を強調しているのか、つい見てしまう。

これまで武内の絵を見てきたわたしとしては、

武内の絵の原型が集約されているようで面白い。

それに、遊び心もあって、「苦悩・・!」という絵ではないので、

このシュールだけど、弾けた感覚で軽快感があるところが好きだな、と思いました。

↑この絵の左下の部分を大きくすると、なんか懐かしい。

何が懐かしいって、赤ちゃんの頃のベビーベットの周りにあったオモチャって、

こんな感じの絵が描いてあったような。

この箇所を見て、「ヒロクニさんがこんな絵を描いていたなんて信じられない。」と思っています。

犬の表情、すごく可愛い!

 

寒くなって、暖房をつけていますが、

1階と2階では、室温が全く違う。

普段2階にいることが多いのですが、ヒロクニさんのいる1階に入り浸っています。

ヒロクニさんのいる部屋は、気分が悪くなるくらい暖かい。

もう、温室。

2階にもストーブを持って上っているのですが、

暖房費、ガス代と電気代がウン万円という請求書を見てから、

2階ではストーブをつけないことにしたのです。

パソコンを打つ階段の上がりが框は、寒いのですが、

木製のパグ(犬)の木彫りの上に足をのせると足が冷えないのを発見し、

犬の置物のを踏みつけて、ブログを書いています。

床の冷え込みが緩和されて、丁度いいというわけだ。

犬の耳の角っこで、足の裏をギューと押すと、凝っている部分が刺激され、いい感じだ。

しかし、可哀想な扱いをしているという自覚はあるので、心も少々痛めてます。

一番の発見は、木は石のように冷たくならないということ。

日本は木の家が多いのも、理由があるのかもしれない。

(西洋は、石の建築が多い)

 

それはさておき、一緒に同じ空間にいると、

「ちょっと、そこの鉛筆を持ってきて。」とか、

「珈琲を入れて。」とか、

「ご飯を温めて。」とか、いろいろ言われることになる。

一番言われることは、「この絵、見て。」と言い、

描きかけのものや、出てきた絵を取り出しては、

描いている心情などをいろいろ語る。

絵と一緒にあったミロの絵の切り抜きを取り出してきて、

こちら↓

「この絵はギターを弾いている人物の絵だけど、

 よく見ると左下に犬コロがいて、その隣の渦の上に猫ちゃんがいるだろ、

 その上の白い部分にも猫ちゃんがいる。」と言う。

フムフムと聞いていたが、上の白い部分が猫には見えない。

顔があるような気はするんですがね。

渦の上の猫は、↓これだと思いますが。

「そして、蝙蝠もいる。」

こちら↓(右端の真ん中)

本当だ・・・、と気づかされる。

そして、「この顔のところを見てごらん、魚だろ。」と続けていうので、見てみた。

こちら↓

なんとも奇妙な顔・・・。

そして、最後に絵の下にある緑と黒の四角い部分を指し、

「この部分はなくてもいいかもしれない。」と。

わたしは、緑の部分を見て、

「空間の為に描いていると思うよ。

 バックの緑と呼応させて、空間に奥行きを見せてるって。

 この部分がなくなると、絵に奥行きがなくなるって。」といやにきっぱりと言った。

すると、「そうかもしれないな。」という返事が返ってきた。

食い入るように、絵を見ている姿に感心していました。

わたしは、印象しか頭に入っていなかったので、

何もみていないのに等しかったのです。

ミロの顔が多く描き込まれている絵を見て、

もしかして、ヒロクニさんの絵もバラバラのようで顔のように見える絵があり、

ミロの絵からも影響を受けているのかも?と思いました。

その後は、「この絵どう思う?」が多くなり、

この質問って困ることがあり、どう答えようかと考えていると精神力を使います。

その執拗さに芸術家って自分に関心がある生き物だな、とつくづく思う。

わたしは、精神力を使い果たすと、寒いけれど2階に上りる。

そうすると、今度は飼い猫のピーちゃんが、待ち受けているのだ。

かまって欲しいらしく、

押入れに入って「隠れてるつもり」をする。

押入れに隠れて、急に勢い良く飛び出してきて、わたしを驚かせているつもりというやつ。

何度も同じ行為をするので、その度に、

「ピーちゃん、そんなところにいたの?」と、驚いたふうに言うと喜ぶのだ。

喉をゴロゴロ鳴らしている音が、激しく聞こえ楽しいらしい。

こちらも執拗。

このようにアットホームさが滲み出る我家。

しつこさによって、濃い日常を送っています。

 

最後に、育ったビオラの写真。

↑黄色と赤紫に茶色がかったビオラ。

このビオラを見て、ビオラなのですが「山野草」の趣が感じられます。

種を継いで育てると、いろいろなビオラが咲くので、それが面白い。

台所に飾りました。。

 

今日の絵は、シュールな銅版画でした。

ジョアン・ミロの絵もシュールな作品です。

共通項があったと思います。

武内の銅版画というのは、この1枚だけ。

銅版画というのは、拭き取りが難しく、職人にならなくてはならない部分があります。

そこが、性に合わなかったようなことを言っていました。

武内に合う表現方法というのは、いきなり絵具や色鉛筆で描くなんだと思います。

銅版画は、何枚も刷れるという利点もありますが、

手から直に伝わって描くという行為が好きだと言っておりました。

今日も、最後まで読まれた方ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


明けましておめでとうございます。(大きいメモ・紹介759)

2024-01-05 14:51:15 | Weblog

明けましておめでとうございます。

昨年は、ブログをお読み下さった方、ありがとうございました。

今年もよろしくお願いいたします。

皇紀2684年

令和6年 甲辰 元旦(今日は、1月4日です)

 

今日の絵は、12月中旬頃から壁に貼られていました。

朝日のようで朝日でない。

日の出のように思えるが、山の形をしています。

メモ描きの絵ですが、大きいサイズで59cm×42cm。

壁に貼ってありました。

クレヨンと鉛筆で描いています。

何を考えて、こういう絵をいきなり描くのでしょうか?

分かりません。

理解するより、楽しんだ方がいいと傍らにいて思っています。

こんな2人ですが、絵と文で頑張って行こう!と思っていますので、

改めてよろしくお願い致します。

 

 

今日からは、正月気分から切り替え、日常が始まりました。

お正月は、朝はお雑煮を作り、

1日、2日とおせち料理を冷蔵庫から出し、料理を休む。

2日の日、食事のお膳を前に、「今日は、ごはん作らないの?」と言われる。

目の前の料理を指差し、「これが晩ごはんよ。」と言うと、

ヒロクニさんは「そうなのかぇ。」と拍子抜けした顔をしていた。

すかさず、「おせち料理をどうして作るのか、考えたことないの?」

そんなこと考えたことがないという顔でわたしを見ている。

「お正月は、煮炊きをしてはいけないの。主婦もゆっくりするためにするのよ。」と言った。

たまたま、ネットで『正月にしてはいけないこと』を検索し、煮炊きをしてはいけない。

火を使ってはいけないという項目があり、

それに附属するものとして、「主婦もゆっくりする」を付け加えたのです。

これを、勝手に付け加えるところが、腹黒い妻。

しかし、火を使わないとなると、雑煮も食べれなくなるので、なるべくということなんだと思います。

ヒロクニさんは、気を取り直して、「昆布巻き」を口にし、

「昆布巻きって、いいものだねぇ。こんなふうに料理を楽しむ正月は、あまり過ごしたことがなくってねぇ。」と言い、

いきなり、かつての妻の料理のことを話しだす。

こういう無神経さは、いつも凄い人だ。

ある意味大らかなのか?

別にいいのですが、かつての妻にも、わたしにも悪いと思わないのか?

言っていい事と言わない方がいい事ってあると思うのだが。

思慮の足りない人だ。

そして、しょうがない人だと思いながら、市販の昆布巻きを「美味しい。」と褒めちぎっている姿を見る。

ある意味、この単純さが彼を救っている。

このように、夫の長所と欠点の微妙な混ざり具合を認識する正月でもありました。

 

さっきの続き火を使わないこと意外にも、してはいけないことがあって、

■掃除をしてはいけない。

■四足歩行の動物の肉を食べない。

■刃物を使ってはいけない。

■ケンカをしてはいけない。

■お金を使ってはいけない。

とありました。

刃物を使ってはいけないというが、それも無理筋なと思い読んでいました。

火と一緒で、なるべくということらしい。

わたしの過ごし方としては、掃除をしてはいけないは簡単に守ることができ、

家でゆっくり過ごしたので、お金も使いませんでした。

何よりも難しいであろう「ケンカをしてはいけない。」が守られたこと。

今年からは、言い争いが減るのか?

この1年の結果を楽しみにして過ごすことにします。

してはいけない6か条には、それぞれに理由があります。

まず、「新年は神様が家を訪れて福をもたらす」この考えが基本にあるようで、

掃除は、その福を掃いてしまうから。

四足の肉は、元々日本には動物の肉は避ける風習があって、

祭事を行う人は穢れをさけていたことを考えると、

神様が来るように殺生をしないようにしていたと考えられます。

そういう意味において、避けるべきことなのだと。

刃物は、いい縁を切ってしまわないように。

お金を使ってはいけないというのは、新年の散財はよくないらしい。

落ち着いて過ごす日ということが重要のようです。

また、火を使わないには、火事を避けるということも含まれているそうです。

こういう事は、人々の心の中に日本の神様が根付いていてこそ、守られてきたような気がします。

わたし自身は、そういうことに無知なので、

こういう事項を知って、おぼろげながら日本の神様の性向を知ることになる。

わたしは、今まで生きてきた中で、「何らかの神のような存在はいる」ということを思っている人なので、

一々の神様のことは考えたことがあまりなかった。

日本特有の神様のことも、時々思ってみるというか、考えてみてもいいかもしれないと思い始めました。

新年は、神社に参拝したり自然にしている人を見ると、

どことなく清々しくていい感じだな、とよく思うのです。

「神道」ということにも、興味がわきますが、特に経典がないらしい。

とりあえず、「森羅心象あらゆるものに神が宿るという思想」ということらしい。

言い換えると、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊が宿っている考えとも言える。

こうなると、物を捨てられなくなると思うのよ。

「物が、わたしを捨てないで!」と言っていたらどうする?

可哀想と思うだろう。

ここまで来ると、頭はファンタジーで、イギリスの精霊を思い浮かべていました。

新年早々、妄想か・・・。

ヒロクニさんは、ファンタジーとかは読まない人なので、

わたしが読んでいる本のことを時々聞いてくるのです。

そして、聞いては「ふヘぇー。」とか「それで~。」「驚いた。」とか、

アホな子供みたいな顔していうのだ。

(ちょっとバカにされているようで、憎たらしい)

哲学書とか、フランス文学とかが好きな人からしたら、驚きのストーリーなんだろうね。

正月に読んでいた本は、“ダイアナウィンジョーンズ”でした。

“なんともいえない可笑し味“があり、それがこの作家の持ち味なのか?と思いながら、

フッと笑い、分かる感覚かもしれないと思いながら呼んでいました。

ハウルの動く家の2、「アブダラと空飛ぶ絨毯」です。

もう一冊は、“ジェフリー・チョーサー”の「カンタベリー物語」。

どちらもイギリスの作家です。

イギリス人の独特感性というのは、皮肉、嘲笑、ユーモアの混ざり加減絶妙で、癖になります。

時間が取れたので、まとまった読書が出来て、よい正月でした。

静かなお正月よ。

ケンカせずにね。

 

今日は、今育てているビオラの親の写真を。

↑以前の家で育てていたビオラ。

この黄色が気に入っていて、種を継いで育てています。

やっと2苗が同じ色。

まだ、つぼみを付けていなくて、色が分からないのが大半なのです。

↑中央の黄色いビオラも。

こちらは地植えに。

前の家は、庭が広かったのでチューリップの球根も地植えしていました。

4月の写真。

この頃は、花を育てるのに力を注いでいたのだなぁ~と、

写真を見ると自分がしていた事とは思えない。

だけど、やりがいのある庭で、花が咲くと気持ちが歓喜にあふれるという感じでした。

今は、ささやかな鉢植えをしていますが、

歓喜あふれる違うものを見つけるような気がしています。

 

今日は、正月から日本の神様のことを思いました。

新年は、皆様のところにも神様がきたでしょうか?

そうであれば、いいなと思いながら。

今日も年甲斐のない思いや考えを書きました。

こういうことを書くと、本当は少々恥ずかしさもある。

けれど、こういう恥ずかしい話で、ホッとして頂ければ幸いです。

最後までお付き合いして読まれた方、ありがとうございます。