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ヒロクニさんは、6月3日退院した。同じ病気の人の中でこれほど順調に回復した人も珍しく、同じ手術を受けた人の中でも一週間早く退院したということです。
それはよい事なのだけれど、4日にわたしは倒れ、食べるものも食べず昏々と寝ていた。ヒロクニさんは毎日来てくれと行くのはいいのだけど、看護婦の悪口や、わたしにも普通に言ってくれたら分かることを、怒りあらわに命令するし、おかしな意見や暴言の毎日でそれが、ストレスだった。毎日長時間いるのもしんどいが、怒りをぶつけられ通しで途中から「行きたくない」「早く帰りたい」の一念が強くなっていたが、看護婦さんにアタルようになると、冷遇されヒロクニさんにますます悪い影響があっても困るなぁ・・と思い頑張って行っていたのだ。
昏々と寝ている中で、意識がある時考えた。ヒロクニさんのわけがわからん罵倒というのは、結構聞いていると頭にくる内容が多く、罵倒を受けている間、物凄いストレスで我慢しているのだと気が付いた。わたしは、4年前ぐらいに酷いうつ病にかかってしまって入院したことがあるが、今回もそれに近い感じの寝込み方だった。具合が悪くて寝込んでいても、優しくはない。自分にとって不都合で女中が動かんから不満があるという感じの態度だった。母がわたしの通っていた心療内科に行き、そこから入院の運びとなった。3ヶ月入院して、休養を取ったことでじんわり良くなっていったみたい。今回寝込みながら、これほど疲れさせたのは「武内ヒロクニ」しかいない。ヒロクニさんといて、心がやすまるということはない。ヒロクニさんが入院したとたん、ヒロクニさんがいないということで日ごろの疲れが出ているのも感じていたが、1ヶ月も怒鳴ったり、いやな話を聞かされたりしているうちにますます疲れたよう。
わたしは思った。布団の中でゴロンと死んだマグロのように寝ながら。人を心底疲れさせといて、具合が悪くなってもなんの処置も、優しい言葉もなくこの生活は何だと?そのことを言ったら「記憶にない」。の一点張り。
わたしは、心の中で誓った。
正直言って、美術家の生活は貧しい。
時折ある、絵の売り上げや、イラストの仕事、本の印税(絵のみなので3パーセントの印税)では暮らしていけない。
全く仕事のない時は、働きハッチの上、ご飯の仕度も頑張っていた。今だって、わたしに依存して暮らしている。わたしは、ヒロクニさんと暮らすようになってから、睡眠薬がないと寝れない体質になり、今も睡眠薬と精神安定剤のお世話になっている。
わたしは、誓ったのです。
自分の健康を取り戻すために、離婚することを!
芸術家は我侭なのはいいけれど、思いやりもないのに自分の便利だけで人と暮らそうという考えにはついていけない。早く、別の女でも見つけてどっか行って欲しい。わたしは、健康になりたいのだ。
癌の手術、麻酔のせいで「記憶にない」と言い訳するが、麻酔の影響なんて1週間で十分さめるとおもうの。私自身が全身麻酔で手術した経験があるから、入院して3週間でも怒鳴ってて、それが麻酔のせいな訳ないでしょう?
わたしはボーとしていて、おめでたい性格だから気が付かなかったけど、精神的虐待を受けてたのかなぁという気持ち。お友達の所へ行くのも反対するし、同窓会も行ったらあかんというし。すべては、自分が1人でご飯を食べるのが嫌なだけ。わたしは、身体の具合が悪くなったら、自己管理が出来てないと思いこんでいたけれど、無理はもうしたくないと思っています。