この色鉛筆作品は、「城への誘拐」とタイトルが付いています。
ヒロクニさんは、ラジオで現代音楽を聴く日々が続いています。
台所で仙人みたいになって聴いています。そういう時なんか近づき難い感じがして、私はあまり気楽ではありません。台所で夕飯の支度にかかりながら、一緒に聴いていました。
ジェチント・セルシのような大家はなんとか聴けますが、その他の現代音楽は、「本当は醜悪な音楽なんじゃなかな?」とか「やっぱり、好んで聴く気になれないヮ」とか、いろいろ勝ってに思っている。
ヒロクニさんは、仙人みたいになっているので、そんんなにいいものなのか?とわからない私はソワソワしてます。夕食の準備に打ち込み、音楽を打ち消して生存しています。
現代音楽を聴くと必ず出で来るのは、「ベケット」の小説。バロック小説というのかな?
一冊だけ、ヒロクニさんの紹介でベケットを読みました。美しいイメージがする小説です。
ボキャブラリーがないので、陳腐な一言ですましてすいません。
そんな空気に彩られた色鉛筆作品と伝えたかったのでした
急に秋がきたような感じになり、本当に秋の花が咲き出しています。
玄関にある花壇のインパチェンスの花の横から、白いタマスダレの花が咲き始めています。
10月に咲く花なのですが・・・・。
このように道の脇に植えている花壇に彩りを添えてくれ、にぎやかになっています。
花を欠かさないようになってから、ヒロクニさんは花の絵を壁に貼るようになりました。
やはり、どいつもこいつも煮て食えないような花の絵が多い。
その絵をよく見るようになり、好きな絵は、どれもこれも「花を描きながら、花以外のことを考えている絵」が多いことに気が付くことに。
ヒロクニさんの選択の花の絵を見ていると、哲学的になっていくのです。
ひときわ目立ったのが下の絵です。(グラビアの切り抜き)朝井閑右衛門の絵
この絵は、台所のはずれに貼ってあったのですが、見ている内に「薔薇の花」がゴワーと固まりになっていて凄い感じといった第一印象から、この薔薇の絵からすがすがしい透明な空を思い浮かべるようになり、布の柄が空を駆け巡るような感じがし、やっぱりこの絵の持つ「精神性」を感じるようになった。
(「薔薇(法華壺)」1981年 油彩 81.7×104.5cm 神奈川県立近代美術館蔵
戦後描き続けられた薔薇の連作の中でも、ひときわ生命力に満ち、作家自身も気にいっていた作品とあります。
■簡単な作家紹介
洋画家。大阪生。本名は浅井実。独学で油絵を研究し、戦前は官展・光風会展に活躍、昭和11年の文展で五百号の大作「丘の上」が文部大臣賞受賞。戦後は井手宣通・須田剋太らと新樹会を、鳥海青児らと国際形象展を組織する。油彩を塗り重ね、色彩豊かな独創的作風を展開、つねに画壇の第一線で活躍しながら、画集もなく、個展もほとんど開かなかった特異な野人画家として知られる。昭和58年(1983)歿、82才。
この絵も一緒に貼られていました。
ヒロクニさんは「電線の絵なんだ」「なんとも凄い感性だよ」「古い絵もいいでしょ」と語りかける。
若い頃は、新しい美術情報を追いかけていたミーハーだったので、古い洋画などは知らなかったけれど、
ヒロクニさんから、絵を紹介されて見ている内に、流行も関係なくいい絵というものは、時間が経ってもいいのね!と思いました。
やはり、いろいろな作品から精神を知る楽しみというのが、芸術の楽しみだと痛感します。
「電線風景」1960年 油彩 76.6×82.2cm 神奈川県立近代美術館蔵
田浦のアトリエから見た風景を描いたものだが、のたうつ電線が不思議な激情を放出しているようだ。(解説)
この2枚の絵、台所に貼ってあります。