![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/57/6a50de009c082c832352e67c2855fb12.jpg)
アネモネ珈琲というタイトルが付けられています。
(私は、さっぱり意味がわからなかった)
初めてこの絵をヒロクニさんから見せてもらった時、正直「何なのだ?この絵は・・・・」と
驚いた。この世の中にある絵とは、凄く隔たりがあり、子供の描いた絵のように思えたのです。
額に入れられ、台所の片隅に長く置かれていた。
そうして時間が経っていった。
ある朝、ヒロクニさんは、
「白鳥は悲しからずや空の青
海の青にも染まずただよう」とつぶやき、「若山牧水だよ」という。
「幾山川超えさり行かば
寂しさの果てなむく国ぞ今日も旅行ゆく」とも言った。
私は聞いてもすぐ忘れるので、メモ用紙に書いてもらった。
あとで、調べて意味をちゃんと解釈したものを読んでみた。
最初の句は、群青の空の色にも染まらず、また紺碧の海の色にも染まらないで、
ただひとり純白な姿を波に浮かべている白鳥のなんと愛らしく、
せつないまでに悲しいことよ。
世に交わることもなく、ひとり清純の魂をはばたかせている自らは、
とりもなおさず、白鳥である。(引用ママ)
という意味。
ヒロクニさんも理解されるとか理解されないとかを超えて、
ヒロクニ流という白鳥なのかしら?と思い、横目で良人をジロリと見た。
ヒロクニさんは、寂しいとよく言う。
そういうヒロクニさんに、単に寂しがりやというレッテルを私は貼っているが、
もしかしたら、ヒロクニさんの言う寂しいという言葉は、万葉集などの「わびさび」の「さび」の意味が
少しはいっているのかもしれない。
そういう詩を覚えていて、口に出せる事に感心した朝でした。
若山牧水は明治時代の詩人です。
そうしてまた時間が経っていった。
ある日、この絵を見ても戸惑いがなくなり、秋のような涼しい天気が続くなか、
秋の入り口にぴったりな心情になった時、この絵に愛着が湧いたのです。
ヒロクニさんの絵は、時間を必要とする絵なのかもしれないと思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/71/7c2f145d715f3e4fb3c326e47423d1a4.jpg)
雨続きで、気持ちもどんよりしていた時に、この花を飾りました。
台所のちゃぶ台においています。
飾った瞬間、気持ちが華やいで、ホッとしました。
マリーゴールド、キバナコスモス、ペチュニア、千日紅を組み合わせています。
ヒロクニさんも気持ちが抑揚したらしく、「ありがとう」とおーげさに言ってくれて、
なんか誕生日みたいな感じでした。
(誕生日を何回言っても、覚えてくれない奴なのだ!)
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