なんとなく、難解な作品をとりあげてみました。
いつも私は、作品として額に入れられた作品をみているわけではなく、
「紙切れ」を見ている。
「紙切れ」で絵を見ると、メモなのか、完成作品なのか?実験作品なのか?判断が難しい。
個展などは、意識して作品を選択している。
ヒロクニさんと私の間で、納得した作品を額装しています。
一括して冷静に絵を選択している。
日常では、ヒロクニさんは失敗作やメモ、たくさんの絵がある。
ヒロクニさんは、出来上がりすぐは、「すべて素晴らしく思う」のです。
時間が経ってから、やっぱりこれはいまいちとか、やっぱりいいとかと判断して、嫌なものは破ってしまう。
こうやって、残っていった作品の中から、個展用の作品をさらに選ぶ。
これの繰り返しが、もう何十年も続いています。
この作品は、正直いって私は「いいとも、悪いとも、判断することなく、へぇーという感覚」で受け止めた作品です。
時間が経って、「風の吹く、けっこう強い風の吹く風景」みたいだなぁ~と感じるように。
そして、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」のあらすじなどを思いだしていた。
嵐が丘のあらすじは、愛と復讐の物語で、イギリスの片田舎ヒース(草)の生い茂る、荒れた土地が舞台。
イギリス・ヨークシャーのハワースだそうです。
孤児だったヒースクリフを引き取り、娘のキャサリンと幼いころから2人は慕い会うようになる。
ところが、上流階級の生活に憧れたキャサリンは、違う人と結婚する。
絶望したヒースクリフは、その土地を離れるが、非常に裕福になってこの地に帰ってくる。
そして、復讐がはじまる。というあらすじなのですが、
その復讐として起きる出来事で、キャサリンは発狂して死んでしまう。
そして、嵐の日には、吹く風から「ヒース」とヒースクリフの名を呼ぶ風が吹き荒れ、
ヒースクリフは、窓を閉め切った家で暮らしている。
そんな所に、田舎暮らしを夢見た若い男性が訪れる。
物語は、この男性が訪れる所からはじまります。
(あらすじの紹介の順番が逆になってしまってすいません。)
嵐の日に「ヒース」「ヒース」と風が叫ぶのです。
この描写が非常に印象に残っています。
この難解なヒロクニさん絵もきっと風景ではないだろうか?
美術評論家でもない私が、そう思いました。
周明菊が咲き始めました。
鉢に植えていたのが、鉢の地下から根を張り、繁殖中なのです。
風にゆらゆらと揺れている様子を見ていると、心がなごみます。
まだまだ、満開になりそうです。
我が家の猫ちゃん、ジルくんが水を飲んでいるところ。
ジョウロの開いているところに手をつっこんで、水をすくい、手についた水を飲みます。
いつも、「水を入れろ」とジョウロのところをクルクル回ります。
足が可愛い感じだったので、写真を撮りました。
背中からお尻にかけて白くなっているのは、ハゲているんです。
いつもケンカに負けてるらしく、ハゲが薄まったら、またやられてハゲるの繰り返し。
「ジルってケンカ弱いみたいだ」。とヒロクニさんに言ったら、
「そんなジルが好きだ」と言います。