武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

子供が描いたような絵(色鉛筆作品紹介498)と53年前の阿波踊りの写真

2018-08-19 16:14:35 | Weblog


四つ切の画用紙に描かれた絵。
ヒロクニ画伯曰く、「海」だそうです。

私は、ヤドカリに思えてしかたがない。
何度も「ヤドカリみたい」。と言ったが、「海だよ」。と言う。
「ちょっと、可愛い作品だね」。と言うと、「女は、可愛いですまそうとするな~」と。
もっと違う褒め言葉が欲しいのか?と思い、「これはやっぱり風景画だよね」。と言うと、
「よく気が付いたねぇ~」。と言い、「これってやっぱり空間処理の問題を考えながら作った作品だよね」。と言うと、
嬉しそうにしていた。

ぼや~と、長く絵を見ていると四色の虹のようなのが、グッと奥へ伸びているので、
広がりを感じるのか・・・・・とか、黄色の部分がなかったら、画面が安定しないのか・・・・・・、
と、色々気が付くのです。

しかし、初めて見た時のトンチンカンな絵という印象は強烈で、いつも驚かされます。

朝は、初めて油絵を描いた時のことを話していました。
ヒロクニさんは、「芸術家になりたい!」と中学生の頃、強烈に思ったそうです。
読書家だったヒロクニさんは、まず小説家にと。
「ところが小説家だと、だんだん死なないといけないような気分になるから、これはいかんと思ってねぇ」と。
「中学生の夏に始めて、油絵を描いてみて、先生に見せたら、『これはお前が描いたのではない』と、
断言しやがる」。「そうしたら、もう一枚描いてやるという気になってね」。
「描いているうちに、俺は、画家になろうと決心したんだ。即物的だし、何より見たら分かるというのに
惹かれてしまったんだろうね」。と。

何回も教師が、「俺が描いたのに、君が描いたんじゃない」と言うことを強調していました。
本当のことを疑われたのが、どうしても腑に落ちないだろうと、フムフムとその気持ちを想像すると、
なんか可笑しかった。
中学生の頃から、普通じゃない人だったというから、先生も扱いが大変だったろうなぁ~とも思っています。、


やっと、暑さが普通に戻り、昨日の夜は近所のお祭りに2人で出かけていました。
盆踊りを見たり、かき氷を食べたりと、夏の祭りを楽しんだのでした。



ニュースで阿波踊りのことやっていました。
ニュースをみても何がどうなっているのか、詳しいことは分かりませんでした。
だだ、私は徳島に住んでいたことがあったので、3歳くらいになると笠を付けて踊りに参加していたのです。
その写真は、実家にあるのですぐ取り出すことができませんが、レコードをかけて、歩き方の練習を
していた記憶があります。けっこう特徴があるのですが、子供の私には難しかった。
自分が持っている写真の中に、その頃の阿波踊りの写真が残っていました。
私が写っていないので、3歳になる前の頃の写真なので、53年前の頃だと思います。

アルバムより








母が写っています。
提灯に日本国土開発と。父は、日本国土開発の社員で、徳島に家族で転勤していた頃にあたるのです。
会社から参加していたようで、会社の前で、阿波踊りの衣装を着た集団写真からわかりました。
もう、昭和!!という感じ。父が終戦を迎えたのは小学生で、この頃の年齢は25歳ぐらいだと思うので、
戦争が終わって、高度成長へという雰囲気がすごくします。



記念写真。
左が母で、中央が父、右は同僚の奥様か、上司の奥様かも。
子供の頃、上司のお宅へ伺った記憶がありますが、すごく優しい方だった記憶があります。
両親とも、その上司にはお世話になったそうで、仲人さんでもありました。
母24歳、父26歳です。
現在父は81歳、見る影も無く今は「信楽焼きのたぬき」に変身しています。
母は78歳、髪の毛を赤く染めるので、皆から「白い目」で見られています。




そんな夏の日の夕食は↓ 揚げ物ばっかり!!



ヒロクニさんに「いわしのフライ」が食べたいと言われて、ついでに「天ぷら」を揚げました。
何を考えていたのか、山盛りの天ぷらを・・・・。
時々、人って可笑しなことをするものです。
小エビ、ゴーヤ、なす、じゃがいも、ごぼう、えのきだけ等を揚げています。









コメント
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