武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ダンス(色鉛筆作品紹介754)と ウィーン幻想絵画・ヴォルフガング・フッター

2023-11-27 18:35:08 | Weblog

色鉛筆作品。

ドクロを思わせる形は、人なのか?花なのか?

女性の顔が、そのドクロの顔と合体しているのは、ダンスを踊っているから?

老獪な紳士と踊る女性のようにも思えてくる。

音楽は、ワルツか?ラテン音楽か?

伸びやかに描かれた線からは、ゆったりとした空間を感じます。

出来上がったばかりの最近作なのですが、どことなく古風な感じもある。

それは、この絵にある男と女のありようからかもしれない。

骸骨と思って見ていると、退廃的な要素もあるのかもしれないと思えてきます。

顔にある小さい青い丸印が、ホクロに思え、人面の帽子を被った有閑マダムにも思えてきます。

人によって、見方がいろいろありそうな絵だ。

この絵にポイントがあるとしたら、

この画面からリズムを、音楽を感じるところ。

その音楽は、人それぞれにあると思います。

 

 

この絵を見て、「退廃的な要素もあるかもしれない。」と書いた瞬間、

頭の中で“退廃的な絵”って、どんな絵を自身が浮かべるか確認していました。

真っ先に浮かんだのが、「ウィーンの世紀末」の芸術です。

有名なところでは、クリムト(グフダス・クリムト)、エゴン・シーレになります。

クリムトは、性と死。官能の表現に退廃的なものがあります。

エゴン・シーレには、描かれた肉体に退廃が忍び寄って、エロスの中に死を感じさせるものがあります。

わたしは、エゴン・シーレには、痛ましさを感じてしまって、見ていると辛くなる。

素晴らしいと思う前に、辛さが全面的にきてしまい、あまり直視できません。

そう、なるべく見ないようにしている絵なのです。

この2人が代表する「ウィーン世紀末」の画家ですが、

「ウィーン幻想派」という片隅にある画家を取り上げたいと思います。

ウィーン世紀末の芸術の本流から外れたところに位置しているからか、

普段目にすることが少ない画家達であります。

あまり馴染みのない画家達でありますが、過去に日本で時々展覧会はあったようで、

好きな人は強烈に好きになる世界です。

まず、名前を挙げますと、ルドルフ・ハウズナー、ヴォルフガング・フッター、アリク・ブラウアー、

アントン・レームデン、エルンスト・フックス等がよく知られています。

わたしが知ったのは、高校3年生の時、

受験でデッサンを習いに行っていた教室で本棚から「ウィーン幻想絵画展」という画集を見つけました。

過去にあった展覧会での画集だったと思います。

その中で、ヴォルフガング・フッターという人の絵が強烈に印象に残りました。

まず最初に思ったのは、「変わった絵だ。」ということ。

次に思ったのが、「こういう絵も許されているんだ。」という事でした。

「では、その絵を。」と思い、ネットで調べてみましたが、

その画集に載っていた絵は見つからず、画集以降の作品しか見つかりません。

そんなことがあるとは・・・・。

ということで、わたしが見た絵に近いものを取り上げます。

↑タイトルは「不良少女」

わたしが画集で見た頃の作品と比べると随分おとなしくなった印象。

ヴォルフガング・フッターの絵の特徴、人工的な絵具の使い方、

リボンが舞っているようなところがある印象は変わりません。

画集に載っていた作品は、艶のあるリボンが何枚も重ねられていて、

それで絵が出来上がっていたことを思うと、少し物足りない。

↑もう一枚。

海の風景のような絵はこの度はじめてみました。

↑こちらは、陸地。

こういう表現がなんともいえない。

ヴォルフガング・フッターは、1928年に生まれ、2014年没。

わたしが絵を見た頃は、1979年。フッターは、51才。

そう考えると、若い時に描いた作品が画集に載っていたのだと考えます。

このあっさり感は、いい年齢になり、後半恵まれていたのかもしれません。

わたしが画集で見た作品は、熱い体温を感じさせるものでした。

ちょっと、ギラギラしているというか・・。

その絵が探せなかったのが残念ですが、と書きつつ、

もう一度探してみました。

こちら→Wolfgang Hutterで検索。

数点を見つけました。

↑この絵を見て、白菜を想像し、リボンのような表現とつるっとした表現に

目を奪われていたのを思い出します。

それと、雰囲気。

↑画集より色が浅く写っています。

鳥のような人をじっくり見た記憶が。

それと中央の仮面を被ったような鳥の人物。

この顔が気に入っていました。

↑こちらは、画集にないものでしたが、画集で見た仮面の人の顔が、

このようであったので取り上げました。

こういう絵が高校生のわたしにとって強烈な刺激であり、

今でも好きな画家です。

オーストリアは、ドイツ、チェコ、ハンガリー、スロバキア、スイス、イタリアが、

隣接しており、幻想派の画家達の絵を見ていると、

独特の幻想が、土着の文化になりたっているようで、

伝説が生きているのではないか?と思ってしまいます。

そういうことを感じさせる画家は、アリク・ブラウアーなのですが、

言葉で表現すると、「悪夢のおとぎ話」といってもいい絵があります。

不思議な色相の絵で、不気味さと可愛らしさが混ざっている。

↑色合いも変わっているが、光を感じさせる効果が不気味。

ウィーン幻想派の絵画はいかがでしたでしょうか?

変わった絵と何度も書いてしまいました。

だけど、思わず見てしまう絵。

今日取り上げた画家は、夫、ヒロクニさんはあまり見ない絵であまり興味もないようです。

画集がないので、話題にしにくいということもありますが・・・。

絵画って、本当にいろいろなものがあります。

私自身が高校の時からこういう絵に感心があったということは、

写実の絵には元から興味がなかったのだということに気がつく。

そういう趣向があって、ヒロクニさんと今一緒にいるのかもしれない。

「趣向」というものが、絶大な影響力を及ぼしているとしたら、

仏教で言う、「因縁」のようなかも。

「悪因縁」とは、言っていません。←ここがポイント。

 

 

今週は、実家、宝塚へ行ってきました。

歩く道々、やっぱり花が多いなぁ~と思いながら。

ヒロクニさんが言う、「宝塚は花が多い。」を実感します。

そこで、シクラメンなんだろうけど、花が開ききっているのが鉢植えされていました。

↑寄せ植えで、エリカ、ニチニチ草、しろっぽい茎と葉のもの。

中心に花の開ききったシクラメン。

このシクラメンを見て、ムムム?と思い、写真を撮ってしまった。

新種のシクラメンなのだろうか?

シクラメンも育てたことがあるのですが、このように咲いているのを見たことがない。

園芸店でも、見かけたことがありません。

ヒューケラや、葉牡丹も植えてあり、もう冬の花がたくさんあります。

この家の前には、向かいに小さい公園があり、小花とコキアが。

コキアの赤い色が、重なった部分が濃く写りきれいでした。

きっと、シクラメンを植えている方が、

公園の花を育てているのだろうな、と思われる。

やはり、花はいいなと思った瞬間でした。

 

武内の絵は、変わっていると思う方も多いと思いますが、

変わった絵というのを拾い集めていくときりがないぐらいあります。

今日は、変わっている絵VS変わっている絵で書いてみました。

美と言うのも、混沌とした美というものがあります。

そんなことを思って頂ければ幸いです。

偏狭なブログかもしれないと思いつつ、最後までお読み頂いた方ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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