6Bの鉛筆と色鉛筆で描かれた絵。
この絵は、以前取り上げたことがあったかもしれません。
中央の電車の部分とその下のわらびか、こごみが生えているような“波”の表現を見た記憶が頭の中でチラチラする。
電車と海辺は、武内の絵にセットで登場する絵は多いので、
違う絵のことを見たかもしれない。
引っ越しから、半年。
未だ見たことがない絵が、紙の束の重なりから見え、
「ちょっと見せて。」と武内に声をかける。
崩されたくない山の時は、「ちょっと待って。」と言われます。
そんな中から選びました。
この絵を見て、懐かしいと思うモチーフを発見。
左上にある、「コップに入った歯ブラシ」。
懐かしいモチーフで、最近は登場しない。
“97”と書き込まれているから、1997年作だ。
26年前に作品ということで、懐かしく思って当然だな、と思う。
黄色や赤色で縁取られた半円は、トンネルや地下鉄の入り口だ。
入り口にも表情があり、顔に見える部分がある。
街に人がいるというイメージと重複し、賑やかというか、絵がしゃべっているような雰囲気だ。
そう、武内ヒロクニさんは、よくしゃべる人。
この絵にも、そういう性格が表れていると見て取りました。
だけど、この絵の見所は、
多次元の空間がぎゅっと集められ、
1つの躍動する街の呼吸が感じられるところじゃないでしょうか?
「幻想の街」というタイトルが似合うかもしれない。
武内の中では、街の散歩で見たリアルな一画が、頭の中で融合され、
部分部分が重なりあうように、表現されています。
だから、幻想ではないと言っていますが・・・・。
見る方は、幻想と思ったほうが楽だと、わたしは考えます。
急に寒くなりました。
それで分かったことがあります。
今の家は、以前の家より機密性がよく、隙間風がない。
だから、意外と暖かく感じて生活しています。
外の風がピュ―ピュ―音を立てていても、わりと静かなんです。
以前の家は、窓ガラスが音をたてたり、風が直撃するとバン!という大きい音がしたりで、
ヒロクニさんは、「風ばっかり吹きやがって!」という罵りを・・・。
窓枠に入れられていたガラスにも隙間があったし、寒い家だったみたい。
わたしは寒いけれど、それは気にしなかった。
何よりも、透き通ったガラスから入る、陽の光りが好きだったし、
窓から見える庭を見るのが好きでした。
朝日が入るのが気にいっていたので、雨戸も開けっ放しでした。
寒さよりも、外を感じるのが好きだった。
夏は、網戸全開で、テントで寝ているかのような空気を感じて就寝。
家によって、過ごし方がありました。
そして、寒かった家から、暖かい家に。
この順序に感謝しています。
今、自分の中でゲームをしていまして、
「もしも・・・・・ならばどうなる?」
「もしもわたしが・・・・・したらどうなる?」という問いかけを自分にします。
ここで、つい思ってしまいがちな、
「もし、ヒロクニさんが死んだら・・・・、わたしはどうなる。」というのは、時々頭をかすめますが、
こういう問いは、いけません。
「わたしが」することであって、人がどうなるというのは「違反」という事です。
「もしも、透明人間になったら、何をする?」とか、
「もしも、わたしが男になったら、どうなる?」とか、
「もしも、わたしが人の心の中がすぐ分かってしまう能力をもったら、どうなる?」とかの想像をし、
その事態をこと細かくリアルに思い描くという脳内ゲーム。
透明人間になったら、人のプライバシーを覗き見したくなるに違いない。
そして、知らなくていいことを知って、落ち込む。
または、ホッとしたり、嬉しくなることもあるに違いない。
しかし、そういうことを続けていると、良心の呵責を感じていって、
「もう、透明人間じゃなくていい!普通の身体が欲しい!」って思いそうだ。
2番目の問いの男になったらは、まず立ちションベンをしてみる。
へーって思って終わりだと思う。
あまり思い付くことがなく、「わたしは女性であることに満足しているようだ。」という事に気づく。
男になりたいと思ったことがないのだ。
こんなことを思っていると、ヒロクニさんから、
「サホリって、女性に生まれて良かったって感じだね。」と言われる。
「どうして、そんなことが分かったの?」と聞くと、
「その方がいいよ。」と言う。
(質問の答えになっていない・・・、聞いてないと思われる。)
わたしは、読唇術のように考えを当てられて驚いてました。
ヒロクニさんは、男に生まれたのは当たり前だ!そこには一切の疑問はないという人。
男が絶対いいそうです。
人の心がすぐ分かってしまう能力をもったら、その人の本心がすぐ分かるわけで、
詐欺師なんかを察知するのにはいいかもしれないが、
人がわたしのことをバカにしているのを、はっきり知ったりすると、
複雑な気持ちになって、人間不信になるのじゃないかな?
薄々分かっていても、決定的というのはいけない。
人の本心がむきだしの状態をいつも見るわけだから、精神衛生上よくなさそうだ。
それに人の心は、流動的で揺らいだりしている。
その時、その時で変化するようなこともある。
悪心を抱く時期や、そこから開放され成長する時やいろいろだ。
その一時に判断出来ないこともある。
人の心の流れにも一喜一憂することになって、疲れるだろう。
やはり、特別な能力はいりませんとなりそうだ。
以上をやってみていましたが、発想に飛躍がありませんでした。
もう少し、楽しい問いをみつけたいと思うのですが、
頭が固いようで堅苦しい問いばかりに。
その上、想像するとどれも悪い結末になるものばかり。
いい問いを思案中です。
頭の中は、固い芯でもあるんじゃないか?と思うぐらい自由に動きません。
想像は自由でいいと思うのですが、意外とできないものだ。
頭の体操をしてみて、随分脳が老化しているというか、
あまり使っていない部分は錆びて動いていないというように感じました。
想像の部分も悪い方へ考えが行き勝ちだと自己判断。
何気ない語らいの時間に、
ヒロクニさんの「俺がねずみと結婚するの?」の一言の方がインパクトがありました。
わたしもその言動に合わせて、
「そうよ。特大のねずみよ。ちゃんと指が5本あるから、料理してくれるって。」
「顔にヒゲが当たると思うけど、我慢しなさい!」
と言う。
ヒロクニさんは、とんでもないことを思い付くのです。
やっぱり、変人。
「ねずみと結婚する。」そんなことを口走るなんて!
ヒロクニさんの横に、大きなねずみが寄り添っているのを想像すると、
笑えます。
後、笑った事といえば、道路にあるカーブミラーで立ち姿が全身映る所があって、
くっきりと私たちの姿が並んで見える。
歩きながら、それを見て、「あー、お爺さんとおばさんがいるよ。」と言い、
「おばさんも時々お婆さんが入っているし、爺&婆(じじあんどババア)がいるよ。」と鏡を指差すと、
「さほり、やめてくれよ。」と言いながら、頭をかいていました。
(やめてくれと言われると、もっとやりたくなる性分なわたしだ。)
「だって、見てごらん。」
「ズボンからパッチが見えていて、見事なお爺さんだよ。」と言うと、
笑いながら家に帰っていきました。
しかし、意外と長い付き合いになっているなと改めて思いました。
最後はささやかなわたしの楽しみのビオラ。
↑やっと花が咲きました。
黄色と茶色のビオラで、もう何年も種を継いでいます。
シックな色合いが気に入っています。
↑こちらは苗を生育中。
植え付けが遅かったので、つぼみを付けるのは、まだのよう。
春に賑やかに咲いてくれると嬉しいのですが・・・。
花を植えると、春が来るのが待ちどうしくなります。
今日は、寒かった宝塚の家のことなど。
今の季節は、柿がたわわに実り、柿の収穫をしていたのが思い出されます。
こっちへ来てから、何年かぶりに「柿」を買いました。
「もしも・・・・・ならばどうなる?」の訓練は、妄想ではなく、想像力を養う訓練のつもり。
楽しい想像力を使いたい。
1人遊び全開の話は、わたしだけが面白かったりしそう・・・。
このような内容を最後までお読み下さった方、ありがとうございます。