武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

静かな飛翔(色鉛筆作品669)と 地道な努力

2022-04-23 17:44:31 | Weblog

静かで密やかなところでの飛躍。

誰にも気づかれることなく、ひそやかに。

孤独な時間が発酵するが如く。

夜の海か・・・。

二次元の絵に重力を感じます。

濃い鉛筆と色鉛筆の絵。

 

鉛筆の塗り込め方に特徴があって、もう黒光り。

鉛筆の粉はまったく感じない。

印刷のような表面。

裏も鉛筆で黒光りしていて、紙は圧縮されたようになっています。

紙のふくらみのことを、よく話すので、

「こういうことをいつも言っているのか?」と思いながら、見ています。

実は、こういう効果が出る紙は、絵を描く用の紙ではない。

ロール状になった、印刷用紙です。

幅は、1m以上ある筒型のもの。

使い出した頃は、メモというか、いたずら描きに使っていましたが、

途中でつい、この紙で絵を仕上げてしまい、それからのめり込みました。

そのようだったと記憶しています。

筆圧の強い武内の描き方と、この紙の組み合わせで、こういう印刷のような絵が出来上がる。

今回の絵は、静けさを感じる作品です。

武内の飛び跳ねる感覚の作品で動きのある絵を見たあと、

夜のしじまのような感覚の作品を見ると、そのギャップに驚く。

しかし、ある種の独特さは、共通している。

わたしは、この絵は、夜の波に乗って人が飛んでいるようにも思え、

夜のサーフィンのような印象も。

抽象的な作品なのですが、重力ある地球上のことのように思いました。

形が優雅に感じられ、シンプルさが心地よい作品なのでは?

アトリエにあるファイルの中のものを失敬しました。

 

 

よく人が思うことなのですが、「年とったな・・・」と。

年配の方からすると、若いのに何をいっているのだとお叱りを受けそうだ。

今年で60歳になる(まだ、ですが・・)と思うと月日が経つのは早い。

1つの節目で、年齢のことを感じているところ。

これも人はよく思うことの1つで、今の自分の姿を省みて、

若い頃と気持ちは変わっていないということ。

それが、怖い・・・・。

わたしの場合は、年齢のわりに、簡単にいうと子供ぽい。

しかし、身体は甘やかすとすぐ劣化する。

しかし、30代ぐらいの若い人と話すと感覚が違うらしく、

世代差をくっきり感じ遠くを見つめる眼差しになる。

「わたし古いのね。」という具合。

お祖母ちゃん子だったので、八百屋さんのおかみさんから、

「あんた、若いのにそんな古いおかず作るの?」と言われたり。

それは、“ささげ”(細いさやいんげんみたいなもの)となすの煮物のこと。

さっぱりよりは、甘辛く煮る。

米粒は、祖母は子守唄の間に、

「一粒の米に、12升の水」が必ず入った。

そして、どれだけ大変で重要なことかと教えられるので、

その教育のおかげか米粒を残さなくなった。

ヒロク二さんが、茶碗に米粒がついているのを残すと、

目玉が飛び出そうになります。

最近は、老眼がひどいので、もしかしたら見えていない時もあるかもしれないと思い、

それほど厳しくしないようになりましたが・・・・。

近い将来「一粒の米に、12升の水。」とか言い出す、老婆になりそう。

残し物をしない人を見ると、「あんた、出世するわよ。」と言ってしまう。

でも、これはわたしにとっては、道理なのです。

「自分は運が悪いと思うなら、まず食べ物を粗末にするな!」もある。

今では、習性になった。

自分に教訓をたれるようになったのは、40代ぐらいから多くなった。

今、節目として、若い頃と変わったと思うことを1つ上げるとしたら、

「努力は大切だ。」と心から思うこと。

子供の頃、親から「勉強しろ。」と言われ、「努力しろ!」と言われると、

辛気臭く感じ、「嫌べ~!」って舌出す感じでした。

「ど根性感覚って嫌ね。」と軽蔑すら感じていました。

それが、こつこつと階段を上がるように努力することは、

自分の生きている間に、何が起こるかわからないという、

楽しみを与えてくれると思うようになった。

これが、一番大きい。

このブログも人から勧められて書くことになったのがきっかけですが、

2008年9月から初めて、今で14年になる。

その間に、「しあわせ食堂」の本が出版されたりした。

その上、出版社の社長さんから、

「本を出版するにあたって、奥さんの“面白おかし解説”付きが条件です。」と言われ、

普通なら「わたしは、そんな大それたことは・・・。」とか、

「いえ、いえ、わたしなんて・・・。」と、

今までの性格を考えると言いそうなのですが、出てきた言葉は、

「是非、わたしやらせてもらいます!」とふたつ返事。

意外な勢いに自分で驚いた。

たぶん、切羽詰っていて躊躇する暇もないということもあったが、

随分前向きだったのです。

若い頃から趣味でしている読書や、ブログをコツコツ書いていたという

地道な下地があって、前向きだったのだと思う。

もちろん、ヒロク二画伯という存在があってのこと。

ヒロク二さんの周りで、することがたくさんあった。

思うのですが、なりゆきとはいえ、自分の長所や好きなことをコツコツ努力していると、

「あれ?」というような意外なことが、どんな人にも起こる可能性ってある。

ブログを書くのを勧められた時、「何かめんどくさい。」って、

言い放ったりして、とても失礼な答え方をした。

「ヒロク二さんのブログを書いて下さいよ。」と何回も言われ、

「これ以上忙しくなるのはちょっと。」とか、

「いや、ネットとかどうしたらいいかわかないから・・・。」とも言い逃げていた。

ところが、病気になって療養しないといけなくなってしまい、

空いた時間にパソコンをさわっているうちに、やり方が分って書くように。

急に方向転換して、「あ~な~た~の・た・め・に、エンヤコラ!」と歌っていた。

ヒロク二さんに聞こえるように言いながら書いていると、

「自分の為だろ!」とヒロク二さんの声する。

「あなたの為でしょう?」と、当人の顔を見据える。

なんか迷惑そうな顔をしているヒロク二さん。

ロマンティストだから、サナトリウムに入っているような感じのほうが好きなようだ。

だけど、サナトリウムで療養している人に「今日のおかずは何?」と聞くような良人。

だんだん、「あなたの為に~。」ではなく、そんな日常を書くようになった。

そんなこんなで、文章の良し悪し抜きに、ただ続けています。

「ただ、続けている」という事実は、継続は力なりと思い、

米粒の話がわたしの血や肉になったように、

これも何かになるかもしれないと思いながら書いています。

文才があるとか思っているわけではなく、書きながら何か発見することがあると思っています。

「自分はこういう努力をしよう!」と、

ワクワクするような感じで考えてみると楽しいなと。

ある人から「苦労も楽しく。」と言われたことがあり、

「えっ!」って驚いたことがあります。

それから時間が経って、「努力する楽しみっていうのもある」と思い至ったわけです。

ただ、努力は人目につかないし、地味なものだけど、

じわ~とした血や肉になると思います。

「人に優しくしよう!」とかでもいいと思う。

「夫に優しく!」でも。

自分で書きながら、「夫に優しく」は、難しいかもというのが、怖い。

「夫に厳しく」だとやりやすいのですが、これじゃ、ヒロク二さんが可哀想だ。

努力しなくてもすぐ出来そうというのは良くない。

自分に何かを課す、実は思いついたことがあるのです。

(自分の中でのことなので、割愛しますが・・・)

ヒロク二さんは、特殊な人。

今年で、85歳だが、テレビもチラッと見るだけだし、大抵は絵を描いています。

長年の生活で、絵を描く以外のことはあまりしない。

茶碗の後片付けをしたあとは、これみよがしに、

「大変なんだよ。洗っといたからね。さほり。」と名前をつけて報告してくれます。

何となく、怒り気味な感じで言われるので、

「ありがとう。」と言いながら、顔は真顔になります。

この人の場合は、1つのことに絞られているのが見事すぎて、

絵を描くことしかないので、努力を超えているような感じ。

茶碗洗い、嫌なんでしょうか?

 

 

今日は、甘えん坊の我家の猫、ピピちゃんで終わります。

↑今、毛が抜ける時期らしく、服に毛がやたらつきます。

こうやって、膝の上や抱っこが好きなピー。

手の感じが可愛い。

模様のせいで、目を閉じたら、顔がどうなっているのか、さっぱりわからなくなるピー。

そこが、飼い主には可笑しく、ヒロク二さんは、

「おい、お前、顔がわからないよ。」とよく話しかけます。

わたしは、「ピーちゃん、そんなことでいいと思っているの?」

「顔、ちゃんとしないといけないのと違うの?」と、

無理難題を言って、笑います。

 

↑膝に乗せたまま寝かして、鼻を押さえた。

鼻に指をあてても、プイッとしない猫はめずらしい。

うっとりしているようで、いかにも甘えん坊な感じ。

この感じも愛おしい。

↑これは、丸く寝ていたところ、顔を持ち上げて写真を撮りました。

身体に比べて、顔が特に黒い。

「えっ。」って顔。

新しい言葉を覚えて、「ピーちゃん、来てごらん。」と呼ぶと、

テクテクという足音をさせて、しっかり歩いてきます。

「ピーちゃん、賢くなったね。」と、頭を撫でてあげると、自分からスリスリします。

ピーも、進化しているようで、なにより。

 

 

楽しく努力することって、何かワクワクしません?

もっと、若い時に気がつけば良かったと思いますが、それはしょうがない。

思い立ったら吉日。

そんなことを思いつつ・・・。

ブログにしては、長い文章をお読み下さり、ありがとうございます。

 

 


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2 コメント

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Unknown (ともりん)
2022-04-27 01:06:22
作品を見て「すてき」と直感で思いました。黒い背景が深い深い海の波のようです。デジタルでも、色のすべて、特に黒い部分にとても深みと厚みを感じます。たゆたう波です。
そして翼のような濃い青のなんと美しいことでしょう。深い水底のような青いラピスラズリを思い浮かべました。浮遊感があります。夜の闇の中を飛んでいる鳥のような気持ちになります。

年齢のこと、人はだいたい8歳くらいから考えていることは変わっていないなと思います。自分にいたっては4歳くらいから変わっていないと自覚しています。
老年になっても、男性は小学校低学年男子のような言動が大好きだし、女性はかわいくてファンシーなものや「おともだち」や「おしゃべり」が大好きだと思っています。
変わらないことがマイナスなのではなく、それは良いことだと思います。「本質は変わらない」ということは人格のベースがあるということなので、それをベースに加齢による形成がされていくということは人格全体に有効に働くと思います。
その「変わっていないこと」を自覚することにより、加齢や状況による変化を論理的かつ発展的に考えることができ、その先の自分自身の考え方へつなげることができると考えています。
いろいろ理屈を並べてしまいましたが、「古いのね」ということはないのではないかな、ということをお伝えしたかったのです。

お米のこと、まったく同意です。米粒は残してはいけません。「食べ物はすべてしっかりと食べる」は命をいただいて生きている生物として、当然のことです。
いくつか前のブログで、さほりんが「残り物が腐りかけてても、戦時中と思って食べるべし」ということ、改めて今回も同意させていただきます。本当にそのとおりです。

「しあわせ食堂」で頭をがつんと殴られてヒロクニ先生の作品に驚き、巻末に記載されていたブログURLにアクセスして、さほりんの文章に魅入られました。
さほりんの思想や日常の考えていることなどがこのブログでかなり素直に書かれていて、最初はその思想との距離感を少し考えましたが、ずっと継続して読んでいるうちに、なんとなく、さほりんの言いたいことの雰囲気が自分として腑に落ちてきたような感覚になりました。
「会って話しているわけでもないのに不思議だな」と少し面白いような不思議な感覚を感じましたが、相手が何を伝えたいと思っているのかなということを考えながら文章を読むということは、自分の想像力も鍛えられて良いことだと思いました。
「ブログが長文」的なことをいつも書かれていますが、それはそれでよいと思います。さほりんがご自分で考え調べ、感じたことを綴っている文章を拝読することは、面白いです。
自分以外の人の考えを知ることは、とても面白く参考になり、勉強になります。貴重なことです。さほりんはうわべだけで物を書いていないので、考えをアウトプットしていただけるのは、とても参考になります。

ピピちゃんが、甘えん坊の顔で笑ってしまいます。さほりんが大好きなのですねえ。そして、被毛がもこもこ。触りたいです(笑)。水色の首輪は、さほりんの新作でしょうか?フリルが付いているように見えます。

前回のお返事でいただいた「ヒロクニさんを横目に……」、すてきなシチュエーションだなと嬉しくなりました。
ヒロクニ先生が制作をしているアトリエの横で二人でお茶をしながら、「ヒロクニさんは……」という、さほりんのお話しを聞いて、笑ってお茶を飲んで、さほりんの焼いたお菓子を食べて「美味しい!」「ふふ、これはイギリスのレシピなのよ~」とおしゃべりをしている光景を想像しました。
そんなことを想像していたら、とっても豊かな気持ちになりました。

いつもていねいなお返事、ありがとうございます。
返信する
年齢について、いろいろありがとう。 (さほりん)
2022-04-28 17:31:45
コメントありがとうございます。
ともりんの年齢考の話し、人と言うのは「本質は変わらない」とあり、確かにそうだとしっかり確認しました。そうだとしたら、私はどういう風に変わればいいと思っているのだろう?そのことについては、抜け落ちていて、よくある大人っぽさを漠然と思っていただけなのでは?ということに気がついた。
「古いのね」の件は、甥っ子、姪っ子達と話していて、「うちの会社に昭和がいて困る。」という話題についていけなかったので、特にそう感じたのだと思います。「古くない」ということは、本質があってそれから発展して自分が形成されている(進歩がある)とすれば、いつも新しい自分に出会っている、進化しているというふうにとらえることも出来ますね。こっちの方が、正確かもと思い直しました。もう「古臭い」という言葉自体が、抽象的で、若い人がこの言葉を使うとしたら、漠然とした印象で使う言葉ともいえる。
自分で「古いのね」という言葉は、簡単に使うのをやめようと思いました。私も3歳の記憶がはっきり残っていることがあって、当時、子供ですがやはり今の自分があります。とてもいい指摘をありがとう。

偶然か、必然か分りませんが、本当にブログを書いていて良かったと、最近思うようになりました。いっとき、テンションが下がってもう書かなくていいかな・・・、と思った時があって、ともりんが助言までしてくれて、心を打たれましたよ。そのおかげで、また前向きに書けるようになったのではないかしら?私が思うことって、一般からずれるであろう意見もあるかもしれないが、そう思ってくれる人もいるかもしれないという希望な感じで書いています。ヒロク二さんの絵とも通じる感覚なのか?(冷汗・・・)ともりんが褒めてくれた通り、うわべではなく、本質にせまってみたいというようなことはあるかも。

今日の絵は、静けさと海の感じが好きで取り上げました。その感じは伝わったようで嬉しい。

ピーちゃん、もう甘いムードで身体もクニャクニャで脱力して委ねているでしょ。本当に、私のこと好きというのが、最近分る。毛が短いのに触り心地いいですよ。水色の首輪は、買ったもの。ちょっと、裁縫をする時間を見つけられなくて・・。前の紫のは、布から糸が出てだめになりました。

お茶を飲む想像、妄想大歓迎です。
そうですね、イギリスのレシピでスパイシーなキャロットケーキが今はありますよ。
(多量ににんじんをもらった)
お言葉に甘えて、長文の返信です。
ありがとうございます。
返信する

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