1
アイスクリームの絵?
枯れたバラの花の絵?
新しいタイプの骸骨の絵?
爆発物?
人の顔が見える・・・。
人に想像を強いる作品だ。
実は、この絵を取り上げようと思った時、こんなふうに見ていました。
2
逆さまに見ていて、腕組みする男の肖像か・・・、という具合に。
こう思いこんでいました。
サインを見たら、逆さまに書かれているので、間違っていたと思い、
武内に「わたし間違っていたわ、この絵の向きはこうだったのね。」と、笑いながら言うと、
「いや、この絵はこう向き。」と言って、「2」の絵であっているという・・・。
また、混乱して、あっち向き、こっち向きと絵を眺める。
武内は、確かに上記の「1」で作品を仕上げたのだけど、
久しぶりに、この絵を自分で見て、
「こっち向きの方がいいよな。だから、こっちが正しい。」
と、方向転換したと思われる。
「こっちのほうがいいじゃん。」と思ったら、
それまでの考えや思いは、簡単に捨て去る。
制作で独特の軽いノリを発揮している時は、
わりと「イケているとき」のようです。
しかし、生真面目というか、頑固というか、堅苦しいわたしの性格によって、
正統派の向きの絵を一番上にもってこられているのでした。
(こういうのを奥様が、権力を持っているというのでしょうか?)
アクリル絵具とクレヨンを使用。
何が描いてあるのか、人によって捉えかたがいろいろありそうな作品。
わたしは、「枯れたバラの花」に。
この絵は、ちょっと重い感じがする絵。
このところ、ヒロク二さんは、憂鬱らしい。
静かに台所でじっとして黙って座っているのを見かけると、ギクッとする。
「そこにいたの?」と声をかけずにはいられない。
「いや。」と、言いながらしんみりした様子。
急に「こんな世の中で、どうしたらいいと思う。」と聞かれる。
生真面目なわたしは、一瞬「どうしたらいいか?」を考え始め、
脳がギュッとそのことに集中していくようすを感じながら、
脳がなんだかしんどそうに動く。
急に「何で、わたしが考えないといけないの?」いう思いがして、
「普段、俺のいうことをきけ!みたいなんだから、どうしたらいいかはそっちが考えなくっちゃ。」と、
切り返した。
「問答、切り返し」の術とでも名付けようか・・。
まあ、一種のバリアーのようなものかも。
そうやって、一日の終わりの頃、夕食後ちょっとしたら、
「実は、あのウクライナのことを他人事とは思えなくて、なんか憂鬱になってしまって・・。」と。
「いや、自分は一緒に憂鬱にならなくていいのも分っているのだけど・・・。」
「それに、幼少の戦争の体験なんかも思い出して、やっぱり戦争で傷ついたりしていたのかな・・・、
とか思って、なんか嫌なんよ。」
「ウクライナの人を見ていると、ある種の親近感も湧いてね・・。」
そのことで、憂いていたんだと分り、少し安心した。
わたしは、「憂鬱になるというけど、それだけ親身になって憂えているのは、悪いことじゃないと思うよ。
ヒロク二さんのいいところだと思うけどな。」と言った。
「そう?」
「そうよ。」と、わたし。
それから、「こんな世の中で、どうしたらいいと思う。」と言わなくなった。
なんか、子供を諭す親みたいな感じの調子になってしまい、
それがヒロク二さんにとっては良かったのかも。
毎日、ウクライナのことで気を揉みながら、制作しています。
わたしも又、早く終わらないかと思っているひとりですが、
「平和とは?」どういうことを言うのでしょうか?
簡単にいうと争いがなく、日常が送れることですが、これを維持するためには何が必要なのか?
こういうことを考えます。
やはり平和である時から、悪い流れにならないように、未然に争いを防ぐことが大切だと思いますが、
それを判断する智恵のある人がいなくてはならない。
また、そういう人を見る目がある一般大衆がいなくてはならない。
一般大衆というのは、烏合の衆なので、好き勝手だ。
もちろん、わたしも烏合の衆の中のひとり。
しかし、烏合の衆とは言え、その質が上がるとレベルが上がり、
よき方向へ行くことが可能ではないかと思う。
その為には、感情に振り回されず、謙虚にものごとを受け止め、論理的に考えることが必要と思われる。
こう書きましたが、これ自体が難しい・・・・。
やはり、こういうことが起きるたびに、学ばねばならないことがあるのだと思います。
マキャベリの名言に、(イタリアの政治思想家、外交官 / 1469~1527)
■自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。
また、他にも
■決断力のない君主は、多くの場合、当面の危険を回避しようとして中立を選ぶ。そしておおかたその君主は滅んでしまう。
■議題が何であれ、進むべき方向と反対に議論は進み、本当に有益な意見を述べる者ではなく、うわべを取り繕った意見を述べる者が会議を支配する。
■愚者が最後にすることを、賢者は瞬時に行う。
時代が違うけれど、真理を突いていることが多い。
(『君主論』というのが有名で、時々読んでみようか?と思うことがあるけれど、
文章が難しそうだったらと思い、敬遠してしまっている。)
女は、現実生活で忙しい。
アトリエから見える庭。
↑ヒロク二さんのアトリエから写真を撮りました。
チューリップは、ヒロク二さんのリクエストで植えています。
↑近寄りました。
今年は、50個まとめ買いしたチューリップで5色セットだったはず、
そう、はずなのですが、赤い色とピンクが同じ色で、思っていた色が一色ない・・・。
赤がかったピンクの花が、多量に咲いています。
手前のチューリップは、昨年のもの。
ミニチューリップに、ワイン色と白のツートンカラー、くすんだオレンジがそうです。
↑陽の方向を向かって咲いているのが、横からとると分ります。
傾き方がいいな、思う。
↑チューリップの根元には、タンポポが。
ムスカリもチラチラ見えます。
花が咲くのは、ほんの一時。
昨年の秋から植え付け、冬の寒さに球根があったって、それが咲く合図だそう。
球根が寒いということを感じると、
春が来ることを知り、花が「咲かないと」というスイッチが入るらしい。
何事も、水面下で結果が出るまでに時間がかかり、
こつこつ努力したことが表面に出るのには時間がかかるのだと思いました。
世には、悪人の努力というのもあります。
悪人がゆえの無慈悲な努力。(こういう人のパワーは凄いから、怖い。)
だからこそ、善なる人よ、頑張れ!と思います。
最後の締めくくりが、変なわたしの意見でした。
今日も、ブログにしては、
長文になりがちな文章を読んで下さりありがとうございます。
ちょっとダークな感じの感情とか情景かな?どちら向きにしても、怒っているような苦しんでいるような骸骨は印象的です。
「1」は混沌としつつも凝縮されたエネルギーから何かが噴き出すような感じがします。「2」はダークなエネルギーを持つ色々な物をエネルギーとしてその上に何か形があるものがひっそりと存在しているような感じです。
「1」は躍動的ですが、「2」は静かに落ち着いている感じがします。
ウクライナのこと、「こんな世の中で……」と言うヒロクニ先生の気持ちが胸がきゅうっとなりました。とはいえ、それをさほりんに聞かれても困ります。どうしたら良いかは、誰もわからないことです。
3月中旬くらいから、ウクライナの戦場の夢をみるようになりました。そして、日本で空爆や侵略戦争のただ中にいる自分自身の夢も。そのときの私はなぜか19歳くらいでした。いずれもかなりリアルな夢見感で、目覚めた後は恐怖で寝られなくなります。
これをリアルで体験している太平洋戦争経験者の方の思いを想像するには私の想像力は稚拙すぎます。よく生きていてくれたものだと頭が下がります。
自身の平和、国家の平和、思想の平和、と各個人が考える平和は多種多様、そして多面的であると考えます。でも、その価値観と思想の違いを一方的に相手に強要することは、「平和」ではありません。
多様な人々が暮らすこの世界において、「平和」を実現するためには、常に考え続けることが必要です。
マキャベリの言葉は真実を突いているという、さほりんに同感です。『君主論』は読んだつもりになっていましたが、改めて考えると読んでいないことに気が付きました。読んでみます。気づきをいただき、ありがとうございます。
そして、「女は現実で忙しい」そのとおりです!
お庭のこのアングルが、本当にモネの庭のようです。草木の高さのバランスや点在する花々の感じが、とても好きです。
チューリップ、たいていは色別に整列して植えられて、しっかりまっすぐ上向きに育てられていると思います。さほりんのチューリップは野生の魅力です。ワイルドで生命力にあふれています。
真摯に誠実に時を重ねることで表されることを「美しい」と思えるような自分自身であるよう、努力していきたいです。
ウクライナのことは、本当に胸が痛みます。ヒロク二さんは、情の人でもあるので、感情に一番くるようで、時にプーチンを罵る声が大きくなって、顔が赤くなっていたりして・・・。その顔も見ごたえあるというか・・。見守るというか、祈るしか出来ないと思うのが本音の私です。よく、簡単に「祈っています!」アピールがありますが、本当に時間をとって祈っている人っているのかな?と思うこともあり(書いた瞬間に満足するというか、世間にはポーズの人もいるから)、本当に丁寧に祈っている方がいるとしたら、それは素晴らしいことだと思います。
悪夢は、ともりんのウクライナの人達への思いが、共感という形であらわれたのではないかしら?それだけともりんが心を痛めているのが分り、慈しむ優しい気持ちが伝わります。
太平洋戦争(大東亜戦争)は、祖母や母から聞く限り、焼夷弾が怖かったとよく聞きました。あと、食べものの話が多い。飢えって、怖いです。
ともりんの言うように、「その価値観と思想の違いを一方的に相手に強要することは、“平和”ではありません。」この部分は、同じ思い。どいうわけか、不和の原因は、大抵どっちかが一方を殴ることから始まっているような気がする。いかに殴られないようにするか?ここがポイントかも。マキャベリは、この辺をよく洞察しているのかもしれないと思いました。名言ばかり、目にしていて、読んでいないという・・・、今でも通用する部分があるかもしれないという興味があります。
チューリップは、1色少なくて、私としてはちょっと残念でした。モネの庭という素晴らしい栄光ありがとうございます。確かに、チューリップは、同じ色でまとめて植えていることが多い。それだと、理路整然としすぎるから、面白味がないのでしょうね。私としては。それに、欲張りなんだと思います。チューリップは品種も多いし、色もたくさんあるので、見たことがないものを見たいという・・。春の陽気を引き立ててくれるし。
誠実さは、私達ふたりは大丈夫よ!横目でヒロク二さんを見ましょう。
コメントありがとうございます。これから新緑が美しくなります。清々しい空気と共に、ともりんも癒されますように。