こちらの絵は、ボールペンで線描が描かれている上に、色鉛筆で彩色。
人の頭部らしきものが、描かれており、地図のようになっている作品です。
ボールペンを使用して描いていたときは、短い期間でしたので、
2008年~2010年に描かれた作品だと思います。
この頃は、やたら「ボールペンを買ってきて!太さは1.0ミリだからね。」と言われ、
私は、「黒、ブルーどっちを買えばいいの?」と答えていた。
このボールペンの作品も、下書きがなく一発勝負で描いていました。
途中、気に食わなくなったものは、破り捨てるか、気になるところだけを切り取っては、置いておく。
毎回書くけれど、下書き、エスキースというものはないのが、武内流なのです。
そのかわり、メモがたくさんあります。
最近、目のように見えるところは、目ではないのにも気がつきました。
ヒロクニさんの画集を眺めていると、目のような形は随分前から描かれているのに気がつきました。
楕円の中に、円が描かれているのは、宇宙にある惑星のような感じでも使われていたり、
ばらばらと散らばっていたり、必ずしも目ではないようだ。
私には、目に見えてしかたがなかったけれど、当人はそんな風に描いているわけではないのがわかりました。
私も思い込みが激しい方なので、この思い込みから解放されたとたん、肩の力がぬけて、
良かったと思います。
このメモは、板に油絵具。(大きいメモもある)
ヒロクニさんからの「刺繍にいいから。」ではなく、
私が「刺繍にいい。」と思って写真を撮りました。
円が浮いているように見え、空間があるので、こういう空間取りを刺繍でしてみるのもいいかも?と、
思いました。それに、色の感じも好いと思ったので。
この絵をジーと見ていたら、ヒロクニさんがやってきて、
「なんか空間がいいだろ。」と。
思っていたことは、一緒だったのね、と納得。
私はすかさず、「色もいいのよ。」と言った。
ヒロクニさんは、「そう?」と言って、アトリエに消えていくのであった。
色に関しては、私自身は多少のコンプレックスを持っていて、いまいち色の選択がうまくない。
自分の好きなようにしていると、厚ぼったく、重い色使いに仕上がることが多いので、
必ず色の全体をイメージしてから、色を使うようにしている。
ヒロクニさんは、マッチのラベルや、気に入った色彩のもの等をスクラップしていて、
色とか印刷の感じの好きなものを集めている。色に関しての訓練になっているのだろう。
着る物も、好きなピンクを見つけたり、好きなブルーのものがあると、
「この色いいね。」と必ず言う。
そして、全体的に軽い色彩感覚がある。
男性にしては珍しい色彩感覚だと思い、色彩に関しては脱帽しています。
ヒロクニさんは、絵画に関しては独学なのですが、自分なりの勉強方をあみ出すのは、天才なんじゃないか?と、
思うことがあります。今回の板切れのメモにしても、独特の勉強方だと思うのです。
過去の美術に関しての知識量も豊富で、そんな事まできっちり知っていたのかと思うこともしばしば。
私なんか、美術大学を出ていても、「そんな事、知りませんでした。」ばっかりなのです。
独学向きの人というのは、次から次、勉強することが自然に道筋だてて、してしまうのかも知れませんね。
それには、努力家でなくてはならないし、謙虚な姿勢も大切だ。
あと、情熱が続くというエネルギーは不可欠だし、大変だ。
ヒロクニさんは知らない事があった時は、
小学生のように、「僕、それ知りません。教えてくれないかなぁ~。」という姿なので、
横にいると、ちょっと噴出しそうになります。
その代わり、興味ない事の切捨てが見事で、その切り捨てられた部分を私が補うことになっています。
おもに、生きる智恵というか、生活なんですが・・・・・・。
我家では、秋の季節をいち早く感じるヒロクニさんは、ビリー・ホリディをかけています。
もう、寂しいらしい。
こちらは、10枚セットのCD。
ちょっと物憂げな歌声が、秋の季節に合いそう。
「さほりにいい曲は、どれかな?」と、言いながら、曲を選んでくれています。
庭は、倒れたカクノトラノオの花が咲き始めました。
今年は昨年より群生しています。
倒れているのは、毎年のことですが・・・・。
すくっと立って群生すると、とてもきれいなのですが、うまくいきません。
ピピちゃんは、すっかり膝にくるようになり、寝てもくれます。
里親募集の写真で、まん丸お目目が気に入って申し込みましたが、
やっぱり「目、丸い」という目は健在で、ヒロクニさんは、「こいつは、目が面白いよな。」と言います。
ふたりで、「そう、そう。」と頷いています。
この写真が「目、丸い」ピーちゃんなんです。膝で寝ながら、目、丸いのです。
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