武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

横顔(色鉛筆作品741)と 死とクーラーの関係

2023-08-10 17:17:56 | Weblog

武内の絵では、横顔が描かれることは珍しく、

古代エジプトの壁画を思い出してしまった。

何故、エジプトは横顔にこだわったのだろうか?

そんなことを思いながら、この絵を見ています。

引っ越し後、こんな絵もあったのか・・・という過程をすぎ、

今は出してきた絵は、再び収納されてします。

そんな中、ファイルを引っ張り出し、

「夏って感じの絵だ。」と思ったこの絵を選びました。

この絵も「何故?」と「何?」というものが心にクローズアップされる。

髪の筋、鼻スジ、空と呼応したかのような青い目。

そして、なんとなくファッショナブルな感じもして、

ファッション雑誌の1ページを見ている感触もする。

この感じ方は、わたしだけかもしれないが・・・。

武内は、「イラストなどの“グラフィック”を軽くみる絵書きもいるけど、

グラフィックって、とてもいいじゃない。」

と、わたしに語ったことがありました。

そういう要素を入れた作品な気がします。

それか、自然にそういうふうになった作品なのだと思います。

この青色から太陽の強い陽射しを感じ、

しっかり日焼けした女性のポートレイトがおしゃれだ。

この絵は色鉛筆のみで描かれています。

そして、表面は印刷されたようになっていて、

鉛筆の線は一切感じられないところがあって、

不思議な塗り込められ方なのです。

それが、雑誌の1ページのように思う要因になっています。

恣意的に描かれた黒い線が、けっこう美しい。

 

 

今年の夏は、ほんとうに暑い。

神戸に引っ越してから、わたしは近場から馴染んでいっていて、

はやく言えば、主婦らしい馴染み方。

野菜は、こちらで買ったほうが私的にいいとか、

加工品は、こちらで買ったほうが楽しみがあるとか、

水曜日はここがいいなど。

それが把握できてくると、気持ちが落ち着くというかゆとりが出来るようです。

ヒロクニさんは?というと、この地は子供の頃住んでいた場所と近いらしく、

知っていた道を歩くたびに、以前と随分変わっている様子に驚いているようで、

「驚いた。」と言い、

「マンションてのはなくて、以前はしもたやよ。

マンションのせいで風景が豹変していて最所分らなかった。」

等と話す。

わたしは、“しもたや”という言葉に馴染みがなく、

長屋のようになっていて木のサッシが窓に並んでいる家を想像していた。

意味を調べると「商店街て店を営まない家」となっている。

古い昔風の木造の町並みをのことかな?と思っています。

間違っている想像でもなかったようだ。

ヒロクニさんが小学校の頃と言うと、終戦後すぐだ。

変わってないはずがない。

けれど、記憶があるから以前の面影を追うらしい。

それ以外に、変わったことがあるとすれば、ヒロクニさんは神戸市に来てから素直になった。

「俺は、布団で寝ないんだ!」と押入れで寝たり、

毛布で身体を包んで寝る、家でホームレス状態で寝るのもやめ、

薄い敷布団だが洗い立てのシーツが気持ちいいと寝るようなった。

「クーラーは嫌いだ!」と言って、何故かわたしまで迷惑を被る我慢比べをする生活でしたが、

「クーラー入れておいたからからね。」と、わたしの部屋まで入れてくれています。

後、俺の発見のように語る内容があって、

「熱中症で死んだなんて、恥ずかしくて出来ない。」と言いだし、

「クーラーも付けずに死んだ。って思われる。」と憤慨した顔で言う。

「お年寄りが熱中症で死ぬっていうけど、もしかしたら、苦しんで死ぬというのじゃなくって、

きっと気が遠くなってスーと意識がなくなって死ぬのだと思うな。

だから、苦しい思いをして死ぬのではないと思うよ。」と。

俺って、凄いことに気が付いたという表情をしています。

しかし、この話を聞きながら、あながち真理かもしれないと思いました。

ともかく布団で寝ても、クーラーを入れても、

「堕落している。」と思わなくなったのはわたしにとっては有難いこと!

彼の中で「熱中症で死ぬのは嫌だ。」の方が、堕落に勝ったのかもしれません。

 

ところで、図書館でフランスの料理の本を借りてきました。

↑こちら

キッシュ、パイ、サブレ、パート・ブリゼ、ケーク・サレというパイ地で作る料理の本。

甘いお菓子から、甘くない惣菜のような塩味のケーキのレシピ。

この塩味のケーキに目を奪われました。

ある日、スモークサーモンを半額で購入しました。

これをどうしようかな?と思いながら、この本を手に取っていて、閃いた。

チーズも外国産の4種のチーズも残っているし、サーモンでキッシュをすればいいと。

あまり練らないで生地がポロポロしたものを冷蔵庫で冷やし、

スモークサーモン、チーズ、たまねぎと色味にパプリカを炒めたもの、オリーブを

卵と牛乳、生クリームに塩こしょうしたものを、焼きあがったパイ地に流し込み、

30分焼きます。

ポロポロした生地は穴が開いたり、ひび割れが出きて焼きあがるので、

あまった生地で穴を埋めておくというめんどくさい作業もあったが、

このポロポロ感がキッシュを美味しくさせていました。

そうして、ヒロクニさんに夕食勧めると、

「これは嫌なんだよ。」と。

理論でゴリ押しとばかり、

「これフランスの料理なんだけど、フランス料理好きじゃなかった?」と言う。

「これは、ダメなんだ。」という返事。

ようするに、肉料理がいいのだと気がつく。

新しい料理を作るということ自体が、

わたしにとっては調子が良く、気持ちが落ち着いたというシグナルなのですが、

空振りに終わったみたい。

もう、ふりかけを出しておいたわ。

私的には、美味に出来ていて、18cmパイ生地で作ったキッシュは2日で完食。

独り占め出来て良かったのかもしれない。

(写真は、撮るのを忘れ、ボロくなった生地になってから気が付く始末)

翌日は、蒸し豚を食卓に並べました。

「こんな美味しいもの、ありがとう。」ですって。

正直ものがゆえに、嫌味も言えない。

「キッシュは?」って、こういう時に聞いてみたくなります。

 

最後は、2019年の頃の夏の花。

庭がある頃の育ていていた花になります。

↑ニューギニアインパチェンスとインパチェンス。

どちらもピンク。

こちらの家に来てから、早2ヶ月。

ルピナスの育苗を持ってきましたが、全滅。

もう、干からびて茶色に。

玄関口に花を置いていましたが、ピンクのエキナセアまで枯れさせてしまいました。

花が恋しくなって、夏はどんなふうに花が咲いていたのだろうと過去の写真を見ていました。

玄関口に出る度に、「あー、あっ。」とため息。

水をやるのも忘れがちなって、今までのわたしは何だったと自分が信じられません。

あれほど、ガーデニングに励んでいたのに。

夏の終わりには、ビオラの種撒きです。

どうなることやら・・・、と心配します。

こういうのすべて、夏が暑いせいだと暑さのせいにしたくなります。

ブログの内容も時々する、わたし的簡単哲学のような考えが湧きません。

暑いと、“食欲”つまり、何を食べるかに意識が流れます。

こんな感じですが、最後までお読み下さった方、お付き合いくださってありがとうございます。

 

 

 


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