机の横に置かれていた絵になります。
右上に線描で描かれた人物の表情が目に入り、
「これ、また奇妙な。」と思う。
「しかし、この落書きふうの線がいいし、
頭にとんがりのあるヘルメットをかぶっている人物は、
宇宙飛行士に思えてくる。」
武内の読書としては、
SFというジャンルはなく、フランス文学、怪奇幻想文学、ミステリ好き。
それからシュールなものも。
そういうことを考え合わせると。
わたしの“宇宙飛行士”と言う想像とは、まったく違うところから派生しているでしょう。
たぶん、「宇宙」の「う」の字も考えていない。
そして、にある目玉のようなところにあるのは、「骸骨。」
黒の骸骨が黒がとりかこまれている。
二股に分かれた黒い線は躍動感はあるけれど、
どう思って見ればいいのか、分らない。
白と黒の対比を見ながら、「夜の街の絵?」と頭を悩ませています。
こうやって、絵の説明を試みるのですが、
本当のところは、「こういう絵を描こう。」と思って出来た絵ではないと思う。
意図的に気に入った“形”や“モチーフ”を描く絵もありますが、
普段から運動のように“線”や“小さい落書き”を溜めています。
そのメモから絵を新におこすこともありますが、
この絵は、ノートに描かれた落書き、それも白い空白が残っているものに
どんどん描き足していくパターンで仕上げられた絵だと思います。
こういうものにちょこっと描き、置いておき、
また、時間をおいてに描き足す。
そういうことを何度か繰り返されて出来上がる絵もあります。
そういう時、「この線ちょっといいな。」とか、つどつど思うと。
その線は、計算されて描いているものでもない。
よく言われる言葉になりますが、特に同業者から
「何でこんなふうになるのだろう?」と言われます。
普通は、こうならないだろうという部分がたくさんあるらしいのです。
「何で??」が総合され、
「アール・ビュルットの人」と勘違いされるようになりました。
わたしは、そこで「一応主人は健常者です!」と、アピール。
本当に、勘違いしている人が多いなぁ~と独り憤慨する。
絵は、本人もどうなるか分らない部分があって、
支離滅裂な作品やら、うまくセーブしながら出来たものやら、いろいろな絵がある。
シリーズになっているものから、単独で出来上がったスタイルのものとか。
始めから、仕上がりを意識していない。
そういう意味では、「何が起こるかわからない!」絵なのです。
わたしは「これ、いい。」「これ変。」「これ素晴らしい。」「何かいてるのォ~!」と、
好き勝手言っています。
個人の感想レベルで。
時々「これ、いい。」が共感できる人と出会えば、何か通じるものを感じ嬉しくなります。
今日の絵は、人物の表情に物語を感じました。
黒の使われ方も何かが秘められているか、隠されているようで、印象に残りました。
そのメモのいい、悪いは、武内の中で基準があることは確か。
この絵は、破らずにおいてあったということは、何かいいところ、気になるところがあるのでしょう。
それと、よくあるような絵を武内が描くのも変だ。
そういう絵は、他の方にまかせておけばいいのだと思います。
では、日常の一コマ。
ツクツクボウシが鳴きだし、夏の終わりの合図がある中、
「ちょっと散歩に行ってくる。」と、ヒロクニさんは出かけた。
わたしは、もうすぐ夕食が出来上がるのに・・・、と思いながら
「中途半端な時間にでかける奴だ。」と思いながら、扉が閉まる音を聞いた。
それが、いっこうに帰ってこない。
夜の10時半。
賑やかな話し声が家の前を通り過ぎたかと思うと、
玄関の扉が開き、「ちょっとビール持ってきて。」という声が。
玄関に出て、男性の肩を抱いて、「この人にお礼のビールを持ってきて。」と言う。
「いや。いらないです。」と言っているのに、放さないヒロクニさん。
どっかで一杯やってきて、連れをつれてきたという感じだ。
知らない人なので、「今、ビールを飲むのですね。」と言うと、
「お父さん、道に迷っていてね。」という。
すると、「この人は親切にも家まで送ってくれてたの。」とヒロクニさん。
事がわかったので、「ありがとうございます。」と言い、顔を見ると、
「早く帰りたい。」と顔に書いてある。
「帰路を急いでいらしゃるみたいよ。」と、
その人の服を放そうとしないヒロクニさんを見て言った。
ヒロクニさんは、よっぽど心細かったのだと思いました。
それと、この方に一時の事とはいえ、親愛の情を抱いているのもわかりました。
暑いのに肩をヒロクニに肩組みされている。
早くこの方をヒロクニさんから、解放しなくっちゃ!と思い、
「放してあげなさい。」とか言って離れてもらった。
湿度も高い日で、離れてくれないヒロクニさんから開放されると、
凄いスピードで帰路を急いでいました。
夕食を食べながら、話を聞いていると、
「あの道は、行ったことがないなぁ。」と思い、その道に入ったとたん分らなくなったと言う。
「道へ入った途端、トリップしてもて。」
「わからないから、前へ進んでもて。」
「そうしたら、もっとわからなくなってきてよ。」と、
異次元に突入していく様子を語ってくれる。
普通は、わからなくなったら元の道へ戻ると思うのですが、
追い討ちをかけるように、前に進むのが変なのだが、
ヒロクニさんの絵の進め方と同じで、
前のめりにのめりこんでいくのが武内流のようです。
「人をあまり見かけなくなってきたのに気が付いてねぇ。
これじゃあ、あまりにも寂しすぎると思って、
慌てて人に聞くことにしたんよ。」と言う。
そして、6人の人に声をかけたそうです。
そして、最後の人がスマホで住所を確認して送ってくれたそうだ。
感謝の気持ちを表そうが、「ビールを持ってきて。」だったみたい。
以前の迷子と違い、年齢のことを思うと徘徊老人に似通ってきているので、
少々ドキリとしました。
玄関が開くなり「ビールを持ってきて。」と言われた時は、何事かと思ったわ。
「ずっと部屋にこもって絵ばかりで、飽き飽きしてた。」
「そうしたら、このザマ。」
どういうわけか、怒っている。
大変だったのは、家まで送ってくれた親切な方だろうに。
しかし、初体験の
「ビール持ってこい。」は、一昔前の長屋に住むおかみさんのようで、
下町風情を感じて、面白いことでした。
こういう事は2度目で、宝塚市に住んだ頃にもありました。
隣の伊丹市まで、行ってしまい、しょうがなく走っている車を止めて、
「ここは何処なんだねぇ。」と聞き、
「歩いて引き返す。」と言うと、
「歩くには遠すぎる、車で近くまで乗せてあげます。」と言われて、帰ってきた。
今回は、スマホで住所を確認して送ってくれたそうだ。
以前の迷子と違い、年齢のことを思うと徘徊老人に似通ってきているので、
少々ドキリとしました。
「ビールを持ってきて。」と言われた時は、何事かと。
わたしも同じようなことをしていて昼間なのに、
「こっちの道でも大丈夫よね。」と思い行くと、
目的地からずれていくということが度々。
昼間でも土地勘がないとこうなんだから、夜道だと路地が迷路になる。
ヒロクニさんの描く街の絵は、地図のような感覚の絵もあり、
絵も現実も非常に接近していると思うので、
彼のとらえる風景は、独特なのかもしれないと思うのでありました。
幻想に近かったりして?
猛暑のせいか、街で花を見ると茶色くなって葉が枯れている植物達。
街ではニチニチ草はひょろ長くなって、花もまばら。
そんな時、宝塚の家の庭が恋しくなります。
その中から一枚。
↑小さい花のタイプのニチニチ草を植えていた頃があった。
今のご近所にも鉢植えがあるのですが、サボテンを植えている人が多い。
西日だけが強烈にあたる環境なので、行き着いた先がサボテンなのだろうか?
そんなことを思います。
今日は、武内の作画の様子から、作品について語りました。
雰囲気だけは、伝わっただろうか?
こういう人もいるのだと思って頂ければ、嬉しく思います。
(時に迷惑な奴ですが・・・)
今日も最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。
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