武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

放電(スクラップブックより紹介769)と ロアルド・ダール(マチルダはちいさな大天才)

2024-03-19 18:25:23 | Weblog

コミックのような作品。

絵の下の貼られた部分を見て、いろいろ集めているのね、と思う。

うまい具合に絵の大きさに合っています。

マジックと色鉛筆を使用。

この絵を見た時、描かれた部分も印刷されたような表面で、

自分の絵をコーピーしたものを貼っているのか?と思ったぐらい。

「放電してるじゃない!」と思い、

ビリビリする感じをこの絵から感じ取っていました。

このふざけた感じのする絵、なんか憎めません。

わたしは、武内に振り回されている妻で、怒り心頭することもありますが、

最終的に「憎めない人・・。」と思ってしまい、

トホホ・・、と思いながら笑って仲直りしてしまいます。

そういう武内の性格というか、性向を物語っているような気がするのです。

わたしにとっては、当人そのもの。

武内の立場からいうと自画像だと。

やはり、絵は作者の分身なのかもしれない。

黒に浮かびあがる線は、赤色だけでなく、青色が添えられていて、

それが電気がビリビリしているような感じを出している。

プラスとマイナスの2極の原理なのか?

そう思って描いていないことだけは確かだ。

選択は瞬時で、勝手に手が動いているから。

この絵にもスピード感があり、そうでなかったらこの絵は出来ていない。

遊びというか、実験といってような作品のせいか、スクラップブックに貼られていました。

先回の「スクラップブックより紹介768」に続き、今日もスクラップブックからの紹介です。

 

 

近頃、要領が悪いせいか、やろうと思ったことが進んでいない。

早起きしたらいいか?と思っても、

春眠暁を覚えずといった具合で寝るのが気持ちが良い。

春のような暖かい日が訪れてからは、

寒さに対抗して気合を入れていたのが緩んだようで、ぼんやりしている時がある。

図書館へ行くのに新しい散歩道を教えてもらったので、

明日は図書館へ本を返しに行こうと思っている。

そんな中、ちょっと印象に残った本があります。

「マチルダは小さな大天才」ロアルド・ダール著。

この作者は、映画にもなった「チョコレート工場の秘密」の作者でもあります。

読んでいると、ヒロク二さんからは、「その挿絵いいじゃない。シャレているじゃない。」と言われたり、

「チョコレート工場の秘密」の訳が、田村隆一だと言うと、

「へぇー。」と言い、「そうなの。」と感心していました。

ヒロク二さんは、ミステリー好きで詩人の田村隆一が翻訳しているのをよく知っているので、

「あの人が訳している!」

だから、いいに違いない、というふうに考えが流れていっていると想像する。

話は、超がつくくらい賢い5才の女の子が主人公。

マチルダという名前だ。

本が大好きで、図書館の本を次々読む。

その本たるや、

チャールズ・ディケンズ著『ニコラス・ニクルビー』

チャールズ・ディケンズ著『オリバー・ツイスト』●

シャーロット・ブロンテ著『ジェーン・エア』●

ジェーン・オースティン著『自負と偏見』●

トマス・ハーディ著『ダーバビル家のテス』

メアリー・ウェッブ著『大地に帰りて』

ラディヤード・キップリング著『キム』

H・G・ウェルズ著『透明人間』

アーネスト・ヘミングウェイ著『老人と海』

ウィリアム・フォークナー著『響きと怒り』

ジョン・スタインベック著『怒りの葡萄』

J・B・プリーストーリー著『友だち座』

グレアム・グリーン著『ブライトン・ロック』

ジョージ・オーウェル著『動物農場』●

というリスト。

(後ろの●印は、わたしが読んだ本)

この中から、これから読もうと思う本を見つけたりしながら、

この本の選択に笑いが・・・。

なんといっても、5才の女の子が読む本だからという事と、

作者が何故これらを上げたのかという思いも加わって面白い。

とにかく、知能指数が違う5才の天才女の子が登場する。

ところが、その子の親は俗物で本のことを“クズ”と言い、「もっと役に立つことをしろ!」と怒鳴る。

本を読むと怒られるやら、罵られるマチルダの押し込められた怒りは、ちいさな身体にもたまる。

そして、こう言い決意する。

「かつてナポレオンがいったように、攻撃されたときには、反撃することだ。

 それがただひとつの思慮深いやりかただ」と呟き、

冷静に仕返しのいたずらを計画するのであった。

学校へ入学すると、今度は、とんでもない怪物のような校長が待ち受けている。

ミス・トランチブルという図体が大きく、ハンマー投げの選手のような校長だ。

この校長は、小さい子供が大嫌いなのだ。

マチルダは、この校長のことを

「彼女、すごく危険な人ね。どんなにひどいことでもやりそうだわ。

 この学校にいるのは、コブラといっしょに檻のなかにいるようなものよ。

 足がすごく早くなくちゃならないわね」と言ってのける。

生徒たちは、この校長に髪の毛をつかまれ、ハンマー投げのように投げられ、飛んでいくのだ。

むりやり特大のチョコレートケーキを食べさせられたり、

耳をねじまげられたり、数々の悲惨な暴力をうけることになる。

こういう事態に助け舟を出す、優しい先生がいるのだが、

その先生さえ、簡単に牛耳ってしまうのが校長だ。

その校長への怒りが頂点に達した時、マチルダは特殊な能力を持った。

頭脳とその能力を駆使して、校長への反撃を計画する。

最後は、やっぱり賢いマチルダ!!

となって、爽快感すら感じる展開です。

このお話を「児童虐待」のように感じて、子供に読ませることは・・・。

というような感想を持つ人もいるようですが、

イギリス人らしくブラックユーモアを効かせているのだと思います。

あの怪物のような校長のセリフとか行動は、滑稽なぐらい凄い。

人間じゃなくて“熊”のような凶暴さすら感じる表現に、笑いが起るぐらい。

だから、生徒に対してもグルグル振り回して、教室の窓から飛ばす。

すべてが大げさに表現されている面白さがなんともいえない。

■セリフを抜粋すると、

「お前を見ていると吐き気がするよ!」とザ・トランチブルはさけんだ。

「お前は歩く黴菌だ製造工場だ!わたしはきょう、これ以上お前の顔を見たくない!

 顔を壁に向けて、片足で立ってなさい!」

「ごちゃごちゃいうんじゃない。さもないと、足じゃなくて頭で立たせるぞ!

 さあ、いわれたとおりにやるんだ!」

と、こんな感じ。

こう書いているうちに、中学時代の体育の女教師を思いだした。

わたしの苦難の時間。

わたしは、運動能力がなかった人だ。

その教師が、わたしを指差し、「悪い見本をやれ!」って、走り幅跳びを皆の前で1人やらされたことがあったのを。

嘘みたいな話だが、その教師の顔がゴリラだった。

悪い見本をさせられた後、「何考えて飛んでいるんだ?」と聞かれ、

「いや、特になにも考えてません。」と言うと、

「頭を冷やせ!運動場一周走ってこい!」と、木の植わっている運動場のはずれを指された。

みじめな感じで、1人走りました。

しかし、その風貌と女教師の陰険さの方が際立っていたので、それほど気にしませんでした。

それに、悪い見本をさせられるより、走る方がましだ。

時間稼ぎと思い、ゆっくりと走ったのでした。

しかし、よく指差されたものだ。思い出してきた・・。

バスケットの授業でも、ストップと言われ止ると、

「何を考えてこのポジションにいるだ!行ってみろ!」と言われ、

ボールがこないところにいるんですとは言えず、「分かりません。」というと、

また、「走って来い。」と。

なんの役割も果たさない場所にいる人間を見たら、イライラするのだろうね。

しかし、わたしは人に迷惑にならないように考えて、その位置にいるという・・。

そう、ボールが自分に来ないところにワザワザいる。

ボールがわたしの手に渡ったら、すぐ相手にボールが渡ってしまうからだ。

だから、私的には正解なんです。

それが、ゴリラの教師には気に食わないのだと思います。

急に思い出しだけれど、よく似た教師がいたものだと書きながら驚いた次第。

事実は、小説より奇なりなのでしょうか?

たぶん、モデルはいるんでしょうね。

わたしの他にも、走らされている子がいました。

体育の出来ない子が大嫌いな先生でした。

 

本の名前と著者がこれほど引用されている児童書ってないと思います。

この物語を通して、ロアルド・ダールは、「読書は素晴らしい。」

と、いうことも伝えたかったような気がします。

文中には、

C・S・ルイス著の『ライオンと魔女』

トールキン『指輪物語』

ディラン・トマス(詩)

と、イギリスの名だたる作家の名前が登場します。

イギリスの支柱となる書物が上げられているのだろうか?

作者のお薦めの著書なのか、興味深い。

 

先週の768の記事でとりあげた、花が満開でした。

木蓮と書きましたが、「こぶしの花」だったようです。

お休み前のスーパーの遅い時間は、安くなっているのではないかと思い、7時頃に行ってみました。

すると、もう花が満開に。

下弦の月とこぶしの花を見ているうちに、気持ちが高揚してくるのが分かりました。

なんとか月も写したいと思って撮ってみた。

こぶしの花は、なんと清楚で清々しいこと!

 

手にとって読む本で感銘を受けるのは、イギリスのものが多くなっていっている今日この頃。

地味な味わいが好きだ。

マチルダのように、反撃するのは、夫にだとすると・・・、

救われないわねぇ~と思いました。

 

今日は、児童書の紹介になりましたが、大人が読んでも楽しい本だと思います。

こういう大げさな人物の描写に驚いたし、それが非常にうまくいっている。

その驚きを伝えたかったのだ。

それは、伝わっただろうか?

子供でこの本が好きな子は、何回も読むそうです。

その気持ち分かるなぁ~と、思いました。

なんの足しにもならない、内容でごめんなさいね。

今日もブログを最後までお読みくださった方、ありがとうございます。

 

 


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2 コメント

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Unknown (ともりん)
2024-03-24 20:10:18
下の絵と一体感があるので、ヒロクニ先生が描かれた普通の作品だと思ってしまいました。そして、実は、ビリビリの赤いのは「深海で、はっちゃける蟹」と思ってしまったのでした。下の絵が人魚とタコだからそう思ってしまったのかも。

『マチルダはちいさな天才』、タイトルを耳にしたことはありますが、読んだことはありませんでした。ストーリーを読んで、「えっ、こんな話なの……」と驚きました。マチルダの賢いすごさを描いている本なのかもしれませんが、先生がひどすぎます。
このようなストーリーでも良いのかな、と、私には責任も関係もないですが、心配になりました。
本の紹介が興味深かったです。後ろの「●」何かな?と思って読んでいましたが、なるほど、さほりん既読の印だったのですね。こういうの書いてもらえると、楽しいです。読みながら「さほりんはこれを読んでのだな。私は読んでないなー、あ、これは読んでる!」と思っていました。
『動物農場』は、このブログでさほりんからご紹介いただき、読んだ本です。

昭和時代の学校の指導は、今では驚愕です。理不尽な怒声や罰(!)、体罰がはびこっていました。子供だからいいと思っていたのでしょうか。そんなことはなく、それをやられた子供の心に確実に傷を残しています。
さほりんの、「私的な正解」に胸がしめつけられました。教師の言葉と行動は中学生のさほりんの心を痛めつけています。教師はわかっていないのでしょう。もしくは、自分のうさばらしをしているのでしょうか。子供だからとあなどらないでほしい、感情や考えはちゃんと、あなたたち成人と同じなのです。
中学のときに部活動でソフトボール部に入っていましたが、守備でエラーをしたり打撃走塁でアウトになると、ビンタをされました。それは、私だけではなくほぼ全員でしたが、微妙にされない人もいたりして複雑でした。
こういうことは、心にとても深い傷を作ると思います。

夜のこぶしの花が美しいです。もう満開なのですね。夜桜と月明かりは狂気の「ルナ」を感じますが、夜のこぶしの花は月の反射の輝きのような静かさを感じました。

これから桜の季節ですね。近所の公園でも次々と桜祭りが開催される予定です。桜の季節になると、なぜか(やはり?)心がうきうきします。小さな花々が咲いているのを見かけると、とても嬉しくなります。
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「はっちゃける蟹」というのもユニークよ。 (さほりん)
2024-03-25 19:08:38
コメントありがとうございます。
冒頭の感想で「はっちゃける蟹」とあり、考えたこともない発想に拍手。私もパッと見て「放電」でしたので、そういうふうにも見える、感じるというのがユニークでした。確かに下の貼られた部分があるから、海を連想するのもうなずけました。私は、よくこういう雑誌の切り取りをしたなあ、とそこの部分に考えが行ってしまって・・・。普段、切り抜きに使われているような雑誌類を買わないから、「どこで手に入れた?」とそっち方面の事ばかり考えていました。ともりんの方が自然体で絵を見ていると思いました。蟹としたら、暴れん坊ですね。

「マチルダ~」は、けっこう強烈な部分があるといえば、あるかも。徹底的に無慈悲な校長の描写と会話が凄い。読みながら、「これって、いいの?」と思う箇所もある。最後まで読むと、こういうふうに書く理由も分かるんだけど。読み手は、この校長を憎まないといけないから。だけど、この本に難癖つける人もいると思う。そういう心配をしてしまうのも確かです。ともりんは、感がいいよね。簡単な紹介文からそれを読み取るなんて、凄いわ。
●印を入れながら、「老人と海」は読まないといけないかな・・。私も、ともりんと私が、ダブらない●印の本がどの本なのか気になるところよ。

中学時代の苦難は、終わったことだから大丈夫よ。辛さを思い計ってくれていたようですいません。確かに昭和時代の学校の指導は、理不尽なことが多くあったように思います。中学生という年齢もあって、気難しくなっていた私にとっては、中学校というのは、楽しくない時期でした。ともりんの所でも体罰や戒めの罰、理不尽な罵声があったのですね。普通の先生に混じって、とんでもない先生がいる。そして、その先生が周りと衝突もなく、普通に勤務できているというのが、腑に落ちないわ・・・、とその頃、よく思っていました。
ブログには書いていませんが、続きがあって、その先生いなくなったのです。私生活で痴情の縺れというか、付き合っていた男性を刺してしまったという事件があって、新聞とかに載ったことで、首になった。まだ、子供ながら、あの先生が恋愛をして、その感情から男を刺すなんて・・・、その女教師の顔を思い浮かべて思ったのは、あそこまでゴリラの顔でなければ、こんなことにならなかったのでは?と1人で考え込んでいました。
苦難の終わり方が、こんなふうなんて・・と、かわいそうな気持ちがしたのです。
意外なことに。
しかし、ともりんの言う、ビンタというのは、陰湿さを感じるわ。それって、愛情で殴るのではなくて、それをすると気持ちがいいからしているような。微妙にされない人がいるというのも・・・。薄暗い気持ちになるよね。
中学時代は、他にも嫌な先生が・・・。自分の考え押し付けタイプで、それがしつこかったのよ。
子供も学校という場所の世間で、揉まれるのでしょうか?いろいろ2人でこういう話題は、話したくなるね。

狂気の「ルナ」が、分からなかったわ。これは、ゲームなんでしょうか?

こちらは、川沿いに桜並木が近くにあります。歩くのを楽しみにしています。花も芽も大きくなる嬉しい季節。雨が早く止んで欲しいと思っています。雨ばかりだと、頭がはっきりしません。

お互い、嬉しい季節を楽しみましょう!
気持ちに寄り添ってくれる優しいコメント、ありがとう!
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