「coffee屋さん」というタイトルがついた絵。
コーヒーカップが多く描かれています。テーブルに置かれている様子が可愛い。
コロナの影響で、街に出ることが極端に減ったので、
もう、珈琲店でくつろいだりしていたのも思い出のようになっていて、
この絵を見て、喫茶店に行った時の雰囲気を思い出すのでした。
行き交う人、雑音や、人の声、雑多な雰囲気など。
ヒロクニさんは、スターバックスも好きだったりする。
よく行くのは、jazz喫茶なのですが、スタバのスイーツも気になる人でなんです。
私は、サンドイッチが気になります。
サンマルクカフェのチョコクロも好きで、自分が好きだからおみやげに利用したりしています。
神戸の街を歩き、ちょっとくつろぐヒロクニさんの珈琲愛が出ている作品です。
個展の最終日にヒロクニさんは、なんとか会場に行ってくれました。
「今日は暖かいから、行くのにはいい日だよ。」と声をかけた時は行かず、
「T氏が作品を最終日に取りに来られるから・・・、顔見たかったなぁ~と言っておられたよ。
たぶん、終わりかけの時間に来られると思うよ。」と言ったら、やっと身支度したのです。
冬の寒さが嫌いなヒロクニさんなのに、とても寒い日に来廊しました。
T氏とも会い、話こむヒロクニさん。
会期の時間が過ぎても話をしていました。
まわりは、片付けに勤しんでいましたが、気にせず延々話していました。
ヒロクニさんらしい・・・。
今回の個展では、いつもと違う気持ちが起こり、それに従ってみた私なのでした。
オンライン・ミュージアムの話が持ち上がってから、
ギャラリーの若いスタッフとの交流が多くなり、
個展の打ち合わせなどで話していると、チームになって一体となっている。
それぞれが持ち味を活かしながら、機能しているのがよくわかり、
意見を私に伝えてくれるので、その反応として、
意志を持って、「この人達に身を委ねてみよう。」と賭けを楽しむような感じになり、
この感覚が私を愉快にさせていました。
「アトリエの雰囲気を出したいから、メモのようなものを持ってきて頂けたら・・。」という提案では、
なるほどと思い、ヒロクニさんにその旨を伝えた。
すると、ヒロクニさんは、アトリエの雰囲気を出すメモではなく、
大きいメモ、A2サイズのドローイングを用意していた。
イメージと違うなぁ~と思いましたが、今度は、「ヒロクニさんに合わせたる!」と。
“自分の思い通りでなくても、受け入れるわよん!”のノリになった。
今回は、“受け入れるわよん”の連続でした。
意志を持って、受け入れるという思考が、私的には発見でもありました。
(長いものに巻かれろとは、全く違います)
この度の個展での学びというか、新境地でありました。
これから、若い方に教えてもらうことがいろいろありそうです。
個展会場で、ヒロクニさんもすっかり忘れていた作品がありました。
買われた方が、ギャラリーに持ち込まれた作品なのですが、
「こんな絵、俺描いてたの?覚えてない。」という作品なのです。
私も「この絵あまり覚えていない。」と思い、
「この絵を覚えていないとは、どういうことなんだ?」と。
たぶん、描いた直後ぐらいに個展で売れてしまっていた作品で、記録にも残していなかったようなのです。
久しぶりにじ~と見ました。
1990年作の色鉛筆の絵です。
こちらの絵。
↑アクリル板がライトで光っていて、全体が撮れなかったので部分を紹介します。
この頃から、目のようなものは登場していたのですね。
自動車の雰囲気が気に入って撮りました。
街の絵です。
↑これは、上記の写真の上の部分。
中央にいる人???のような人の憂いのある表情に都会を感じました。
この感じがたまらないと、思い写真を。
↑この枯木に哀愁を感じました。
寂しい風景です。
↑浮かんでいる街と人。
一筆書きのような雰囲気。
下地の白のタッチがヒロクニさんの塗り方です。
以上の4つの部分を取り上げましたが、一枚の絵に納まっています。
この頃の絵は、細かく部分が凝縮された絵で大きな絵になります。
ヒロクニさん、描く本人は、過去の作品を見て、
「ふ~ん。」とか、
「俺、こんな絵描いてたの?」と言うぐらいで、以外とあっさりしています。
過去の作品へのこだわりが少ない。
これからも絵を描くためにのことの方が重要なのか、
身体の肩こりの具合とか、疲労感を抜くことに一番感心があります。
家では、肩の凝りと、疲労の話ばかりなのです。
そして、「すまない、さほりチョット。」と言う。
マッサージしてということだとすぐ分かります。
まあ、80代は世間では「余生」らしいのですが、
あまりゆったりしないのがヒロクニさんらしくもある。
個展会場では、ヒロクニさんは、「老人が老人を励ますのは、大変やねぇ~。」と、ポツリ。
また、コロナで人と会う機会が減っていたせいか、1人のスタッフの女性にズーと話し掛けていました。
私以外の人と話すことは大切です。
それをその方に伝えると、
その方は、「役割が違うから、確かに大切ですよね。」と言って下さって、大人な方でした。
やはり、人柄が優しいのだなぁ~と思い、優しさって大切としみじみ思いました。
ビオラが続々咲いてきています。
↑やっと、ものねだりしていた黄色と薄い茶色のビオラが咲きました。
この黄色のビオラがすきなのです。
クラッシックな感じがするので。
この鉢には、この黄色のビオラの種を採取したものを育てていますが、
どういうわけか、黄色の種から、赤茶色のビオラに先祖帰りしているみたいなのです。
この赤茶色のビオラもあまり見ない色なので、好きではあります。
今年は、様々な模様の入り方のビオラが楽しめそうです。
↑寒い日がありました。
朝起きたら雪が積もった日がありました。
庭に薄っすらと雪が積もっています。
↑けなげにビオラが咲いていました。
寒さに負けず咲いています。
今は、三寒四温で暖かくなったり寒くなったりを繰り返しますが、
こうやって春に近づいているのでしょう。
いろいろな人がいて、楽しんだりおしゃべりしたり、静かに自分の世界にいたりするようです。
全体を観るのと、視線をずらして部分部分を観るのとで、印象が違う感じがします。
最初は「coffee屋さん」?と思っていましたが、ずーっと、何度も観ているとcoffee屋さんにしか思えなくなります。
作品から音を感じる、今まで考えたことがなかったのですが、さほりんの「雑音や人の声……」を読んで、はっ!と思いました。
確かに、音を感じます。他の作品も今観たら音が聴こえてくるはず!と、心が躍りました。
絵画は平面に描かれた色や線を観るだけではないのだな、と初めて感じました。
コロナにより不自由な生活を送っていますが、新しい流れも生まれてきているのですね。
オンライン・ミュージアムは、コロナ以前では「展示会のプロモーション」の位置づけ以上にはならなかったと思いますが、
コロナ禍の今は、デジタル技術とネットワーク通信環境の進歩で、別の楽しみ方ができる表現方法になったと感じます。
若い方たちの、時代に生きている感性は、新しい発見を感じさせてくれます。
さほりんの「受け入れるわよん」の気概は、すてきですね。
自分と違う考え方はどうしても否定したくなりますが、意志をもって相手の考え方や感性を受け入れてみるということは、なかなか勇気がいると思います。
その先には新しい世界と新しいが発見できる、とわかっていてもそれをできない人が大多数なのではないでしょうか。
1990年作の色鉛筆の作品は、ちょっとSFっぽいような感じがしました。やはり、目とビームが強烈です。
ヒトのギラギラした欲望の中を、自動車がひょうひょうと走っているように感じます。
ヒロクニ先生の街の作品は、まさに「街」の雑多で混沌としたものがたくさん表現されていて、いつも驚いてしまいます。
観ても観てもまだ追いつかなくて、一枚の作品が一冊の小説のようです。
「すまない、さほりチョット。」のことばでマッサージを何十分もしてあげる、さほりんも優しい人だなと思います。
ビオラ、きれいな黄色です。以前は大きな花びらのパンジーの方が好きでしたが、今はこのシジミのようなちいさな花びらの方が愛らしいと感じます。
年齢とともに感性が変わってきたように感じます。
雪とビオラの美しさ、眼福をいただきました。
ヒトも頑張っているとは思うのですが、このような自然の強さの美しさにはかなわない、と思ってしまいます。
個展後なので、作品をやや客観的に解説できたかな?と今回は思います。この絵を見て、ありありと珈琲を2人で飲んでいる時間が浮かびました。とにかく、一緒にいるので、とりまく時間の一部が切り取られて描かれているように思ったのです。ヒロクニさんの絵には、音はあると思います。時々、JAZZの曲のタイトルが付けられている絵もあります。ヒロクニさんは、音楽は本当に好きで、ありとあらゆる音楽を家で聞いています。音楽なしでは、生きていけないくらいなのです。時々、リズムが強調されている作品はあると思います。神戸にかつてあった老舗のバンビというJAZZ喫茶の主のような存在だったと言われています。あまりにも詳しい人の横にいると、私がかける音楽をバカにすることがあるので、やりにくいわね!と思う時もあるのですが・・・。反対に何でも疑問を聞けるといういい事もあります。一長一短の典型例です。
コロナ以降変わっていくことはあると痛切に感じます。変化というのも受け入れ方の気持ちの持ちようのところがあるのではないでしょうか?それと、スタッフのやり取りの中で、新しい気風を感じたことへの私の応答なんでしょうね。何か感じたのです。うまくいえませんが・・。それと、私の中にある頑固な部分「こうだから、こうでなければいけない!」が、この時、不思議と氷解したのでしょうね。不意に変化したという感じで、何か・・大げさですが、大いなる力が働いてくれたような感じでもあります。自分の力のみで成されたとも思えないぐらいの変化でした。とにかく、頑固なところがあるから・・私。
1990年は、ヒロクニさんは53歳です。その頃はよくバーも梯子していたりと、夜の街に耽溺する時間が多かった頃だと思います。「ちょっと出かけてくる。」と言ったら、帰りは終電だったり。そんな頃の街の絵です。
ビオラは、やっと好きな花が咲いてホッとしました。もう、見れないのではと思っていたので・・。パンジーは種から生育するのは難しいと聞きます。育て易さからビオラに集中してしまったのが本音です。パンジーは、ヒロクニさんのあだ名(パン爺)に音が似ていて、好きですよ(笑)ビオラは確かにシジミみたいですね。(笑)この表現、いいなあ~と気に入りました。
マッサージに関しては、私絶対優しいと思っています。声を大にして言いたい!
ともりん、いつもありがとう!!エール嬉しいです。