武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

神様は大あくび(作品紹介614)と 茄子といんげんの煮物

2021-07-14 10:26:52 | Weblog

この絵は、「神様は大あくび」という詩集の本の装丁の為に描かれた絵。

和紙にインクで描いた絵になります。

ヒロクニさんが40代の頃の作品。

和紙にペン先にインクを溜め、埋め込んでいったという。

「和紙にペン先が引っかかるから、難儀してねぇ~。」と、

よく口にしていました。

和紙にインクだと滲むのに、どうやって線をひいたのだろう?と、

素朴な疑問を持ったことを思いだします。

土着的な雰囲気と形而上学的な雰囲気が混ざり合って、

幻想的な感じの作品です。

私達のお仲人さんのような方、美術研究家の山本芳樹先生(故人)から、

伺ったことがあるのですが、

この仕事を請けた時、

「あんたに、本の装丁の仕事が務まるとは、思えん。と、

言ったらねぇ~、この男、発奮したのか、いい仕事をしてねぇ~。」と。

「私が、くそみそに言ったので、くそ~と思ったのかねぇ。」と、

おしゃっていました。

この話は、印象的でした。

芸術家は賛美を求める者ですが、

たまに、貶されることも必要なのかもしれません。

■【形而上学】というのは、哲学の一種なのですが、

 アリストテレスの表題なしの著作を「形而上学」と呼んだことから出来た言葉です。

 存在するモノの本質と、

 心の対象である抽象的なモノの関係を考える思考とでも言えばいいか?

ヒロクニさんは、「観念」という言葉をよく使っていました。

「私の絵画は、観念だから。」とも。

ぼんやり聞いていました。

わたくしの頭には、濃い霧がかかり煙幕が広がるのでした。

 

そんなヒロクニさんの日常は。

血液検査の結果を伺いに町の診療所へ。

これがまた、他の人と違う風貌と服装で。その上、奇行もあり。

前もって、時間のゆとりを与え、身支度の時間を長くとっているにも関わらず、

病院へ着いて、服装を見ると、

上半身裸の状態で、白い麻の長袖のジャケット姿。

座ると胸がはだけている。

理解を示して下さる看護婦さんだけが、

「セクシーですね。」と、声をかけてくれました。

一安堵つく私。

ヒロクニさんは、髭ボウボウの84歳、髪は白い。

ヤァ!とその看護婦さんに手を大きく振る。

それで、しばらくして待合で、フッと顔を見ると、マスクで目と鼻と口を覆っている。

目が覆われていると異様な感じで、妖怪か・・とドキリ。

「目まで覆って、暑くないの?。」と言い、マスクを引っ張って目が見えるように直す。

すると、また持ち上げて目を覆う。

笑いもせず、そうしているので、

「呆けてないよね・・・。」と、心から心配になったのでした。

血液検査の結果は、栄養素が足りてないぐらいで、異常なし。

鉄分が不足なのは、解消されていたようです。

あと、アレルギー反応が少しあり、それは「老人性しっしん」のせいかもしれない。

家に着いて、着替えをしているのを見ると、

パンツをはかずに、ズボンだけはいていたようで、

裸体をみて、あきれていたのでした。

 

その日、まだまだ梅雨空の続く日、

フッと思いついたことがあり、その言葉を紙切れに書いておいた。

これ↓

そうねぇ~、「心は、カラッと明るく。」これいいヮ!と。

テーブルに置きっぱなししていたら、

ヒロクニさんから、「これは、何なの?どういうことなの?」と、大声で呼ぶ声がした。

何か、怒っているのです。

「心はカラッと明るく行こうって良くないですか?」

「いいと思って書いて置いたのだけど。」と答える。

随分前、「清らかな心でいたい。」と言った時、

「清らかぁー?」と、素っ頓狂な声で驚かれたことを思い出し、

「まあ、あなたは混沌の元凶だから、ゴキブリが光りを嫌うように、明るさが嫌いなのか?」と、

思い、今度は私にどす黒い気持ちが出てくる。

反応に不満をつのらせる私。

ヒロクニさんは、いつも渦を巻いているような感じがする。

時に、ごねて動かない様子は、蛇がトグロを巻いているように思えたりして、

大蛇ではなく、アオダイショウといったところ。

それならと思い、次の日にメモを書いて置いた。

これだったら気に入るか!

↓これ

朝、このメモを見たらしく、

「気持ち悪い!」と、声を上げていました。

呪いの手紙でも見たような反応。

そして、また怒っている。

どっちがいいかな?と思ってと、種明かしをしたが、真顔のままでした。

私は、いたずらめいたことを思い付くと、ウキウキする。

そして、機転が利くわねぇ~と自分自身にいいます。

もっと違うことで、機転が利いたらいいのだけど、

そこは難しいようです。

「じめじめ暗く」は、嫌なようでホッとしました。

 

そんな日の夕食。

茄子とさやいんげんの煮物

鶏肉のオリーブオイル炒め(にんにくはこちらの料理を作ったときのもの)

ししとうのかつお節炒め→ししとうを油で炒め、塩、コショウ。それにかつお節をまぶします。

もずく

オニオンスライス

きゅうりの糠漬け

*最近は、みそ汁は飽きたからいらないそうです。

 

夏に「なすといんげんの煮物」は、よくします。

↑こちら

干し海老を使った出汁に、みりん(多め)としょうゆ、高唐辛子の輪切りを2つで、

煮ていきます。途中で出汁の味をみて、醤油やみりんを足します。

(出汁が薄いと感じたら、顆粒の鰹のだしを足すこともあります。)

煮上がりかけたら、サラダ油を少したらして少し煮ます。

どういう分けか、油を少し入れてあげる方が美味しい。

なすはやっぱり油と合うということなのか?といつも思います。

あっさりしていて、夏によく合います。

この料理は、季節にあっていたのか、

「美味しい。美味しい。」と言ってくれました。

 

庭は、緑で覆われて、にぎやかに。

↑里芋なのですが、八つ頭という種類。

普通の里芋より茎が多く伸び、茎は茶色。

里芋の土寄せをしたばかり。

土寄せはもっと早くしなければいけなかったらしいが、

長雨のため、すっかり忘れていました。

追肥を上げる時期は、カレンダーにメモをしておかねば!と思うのでした。

最近、忘れっぽくなっていて、

ヒロクニさんに「まさか・・、呆けてないよなぁ。」と、言われることあり。

そういう時、じっとして不動になり、心に灰色の気持ちが広がります。

物忘れと呆けは、違うと認識しております。

よく、冷蔵庫の前に行って、何しに来たのか忘れることがあるのですが、

皆、「それは、よくある。」と口をそろえて言ってくれるので、普通なのよね。

違うのかな?

怖いわ・・・・。

 

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 緑の騎士(色鉛筆作品紹介613... | トップ | 空に浮かぶもの(色鉛筆作品6... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ともりん)
2021-07-19 23:23:35
イギリスの本の表紙みたいだな、と思ったら本当に本の装丁画で驚きました。詩集の装丁画とのこと、ぴったりだなと思いました。
どんな本なのかな?と検索してみましたが、今ではなかなか入手できない本のようですね。残念!
和紙にペン先にインクを溜め……、このような描き方は知りませんでした。色々な描き方があるのですね。作品を作り上げていく手法は、それこそ無限にあるように思いました。
「観念」は私には広すぎる感覚です。ヒロクニ先生の観念は、ずばりと何か明確なものに対して言われているように感じます。
が、それは私には自分の考えや思想のイメージであり、言葉で表したりもしますが最終的には何か抽象的な自分にしかわからないもので自分以外の人に説明することは難しいと考えます。
私の頭にもぼんやりと濃い霧がかかりました。

病院での奇行は、さほりんの心中をお察しすると複雑です。前回いただいたコメントの勇気の話を思い出しました。
ブログの内容がつながっている感じがして、嬉しくなりました。

さほりんのメモ、声を上げて大爆笑してしまいました。「カラッと~」のメモは心なしか文字もカラッとしていますが、「じめじめ~」は湿度が高い感じです。
さほんりんのこの感覚、大好きです。最高です。このメモは思いつかないなあと何度も読み直してしまいました。

鶏肉の副産物のにんにくを別皿にするのは、なるほどと思いました。鶏肉と一緒食べてしまうとあまりにんにくの印象はありませんが、別皿だと一品料理になるように思いました。
にんにくは鶏肉の美味しさも染み込んでいますし、良いアイデアですね。
干しエビを使ったダシは、美味しそうです。私はダシはかつお節ばかり使ってしまいます(関東人だからでしょうか)。干しエビはほとんど使ったことがありません。

八つ頭の葉の濃い緑色がつやつやで美しいです。夏ですね。今年は雨の降り方も例年とはだいぶ違うので、土寄せが遅くなってしまったのは致し方ないかと思います。
私は毎年梅雨入り前に庭の雑草を取って、つるバラもある程度整えて……と思っているのですが、今年は何一つできていません。
今、庭はすごい状態です。なぜか、つるバラの生育が著しくて、新しい茎が日に日に伸びて、もうすぐ2階の窓から手でつかめそうです。怖いです。どうしたら良いのか、憂鬱です。

物忘れと呆けは違うと思います。そして、自分の状態について「物忘れが多くなってきた」という自覚をして行動することが重要だと思います。
加齢は身体に確実に影響を及ぼしますが、それを自覚して行動するか「しょうがないよね」とやり過ごすかで雲泥の差があると、考えます。
怖い、と感じているということが、呆けではないと思いました。
返信する
この本は、増刷しないようです。 (さほりん)
2021-07-20 15:48:13
コメントありがとうございます。
この本は、編集者に武内が電話で取り寄せようと思い連絡したようなのですが、もう増刷の予定はないようで、取り寄せもできませんでした。私も残念です。
この作品のインクの使い方は、やはり独学だからこそ!出来るのでは?と、私は思います。素材を使う時に思い込みがないので、このようなことが出来るのだろうと思いました。色鉛筆の使い方も描いているうちになるのだと思います。
ヒロクニさんの「観念」は、絵に対してと、目に見えるものを「観念的」にとらえてしまう事の2つがあると横にいて感じます。四角いゴミ箱を見て、「このマッスが・・・。」とか、言っていて、もうゴミ箱に対してもそんな風に見るのか?と、驚いたことがあります。(マッスって、美術用語で面のことなんですが・・。)「観念」の内容が気になるところですが、話が長くなりそうなので訊いていません。苦痛になりそうな気がして・・・。(汗)それに、濃い霧がかかると、現実の生活に支障がきそうでしょ。(笑)ともりんは、霧がかかっても大丈夫なんだろうか?そんなことを思いました。

このメモを良いと言って下さって嬉しい。私的にはステキなアイデアだったので。ヒロクニさんは、始終、怒っていたのが私には不思議です。書きながらワクワクしていました。
病院で驚かされているので、ちょっと驚かすのは良かったかも。

干し海老は、関西ではそうめん汁にも使いますが、関東はどうなのでしょうか?関東と関西の違いは、出汁の色が顕著で、関西は薄味のようです。関西は、非常に出汁にこだわるなぁ~と漠然と思っています。どうなのでしょうね。

今年は、変な天気でしたね。そろそろ土寄せと思うころに長雨だったのかもしれない。そんな風に思い返します。
ともりんの庭には、つるバラがあるのですね。つるバラの剪定と普通のバラの剪定は、少し違うようですね。イバラ姫の家になりそうなのかな?想像ができないけれど、2階から~の件を読んで、凄そう。ヒロクニさんのようにロマンを感じて、「私は、イバラ姫よ。」と、うっとりは無理でしょうか?花盛りになると、ロマンティックですよね。(憂鬱なのに、ごめんなさい。)

呆けていない!との励ましありがとう!
優しい気持ち、しかと受け止めました。

明日も、元気に現実を生きます!
これからもよろしくね。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事