“ペーガン・ラブ・ソング”と書き込まれています。
「中学校の頃、進駐軍のラジオから流れてきた曲でねぇ~。
この音楽から、エキゾチズムというのを知ったよ。」と、武内は言います。
「どんな曲だったか、ちょっと調べてくれる。」と言われ、調べました。
ハワイアンのような調子。そして、陽気な雰囲気。
こんな曲が日本のラジオから流れるようになった時代なのだと思い、
当時は、日本の激動の時代だったわけだ。
武内は、昭和12年生まれなので、昭和25年ぐらいの話なのでしょうか。
この絵は、武内の様子伺いにアトリエに行った時に見つけました。
「たまには、どうしているいるのか心配にならんのか!
倒れているとか心配しないのか!
様子ぐらい伺ったらどうだ!」と、よく言われています。
「だって、アトリエから絵を描く音がしているから、死んでない。」と、言い訳をすると、
「絵描きの女房らしくない!」と、怒られ、
「だって、・・。」と言うと、
「口答えする。」と、また叱られる。
いつもの「だから、君はだめなんだ。」と締めくくられる。
しかし、私は、全然ダメとは思っていない。
部屋の空気は、私はダメだと思え!という雰囲気が漂っているが、
その空気の方がダメだ。
「人を小さくさせる空気の方が悪いわよ。」と思い、
あまり気にしないことにしています。
大らかな気持ちを維持したいと思う妻の心理は、遠くの真理への道。
(私は、何を言ってるのでしょうね)
とにかく、かまわれないと嫌な性質なので、時々見に行く。
良人を。
話がそれそうになってきたので、もとに戻します。
アトリエで、見つけたこの絵は、楽しげでリズム感がある。
それが、私の目を惹きました。
たぶん、メモの類で、この形(モチーフ)は、これから描く絵に登場するのだと思います。
そういう形の原型が見て取れた。
それに、何か「やあ!」という声と、「こっちにおいでよ。」と、
手を振ってくれているようで、それが嬉しくさせてくれる。
人型の新しいバリエーションなのかもしれないし、
半ズボンのような形も可愛い。
簡単に言うと「何か、可愛い。」と思ったのでした。
台所に貼られているメモたち。
左上は、「この絵、ブログにアップしてみてくれる。」と言われたが、
私は、まだ当惑していて紹介していない絵。
左下は、“鳥海青児”の絵。明治生まれの洋画家で、“三岸好太郎”等の画家と同じ時代の画家。
単純化された形で、写実ように思えるのだけど、全然違う。茶色が見事。
右は、武内のメモ。素描。庭に植えてある里芋の葉です。
緑のクレヨンでV字の縁があって、ハート型が強調されています。
この絵をじーと観てから、庭の里芋の葉を見ると、
葉脈が、法則があるようで必ず中心と葉の頭の部分は描かれたようになっていました。
この素描をみないと、気がつかないことでした。
よく、見て描いているし、素直に描いている武内が子供のようで、可愛く感じられる。
たまに、可愛く思うことってあるんです。
変人の良人を。
↑こちらが、その里芋の葉。
↑庭の全体はこんな感じ。
左の里芋が素描になっています。
枯れたひまわりを見るのも楽しみなようで、倒れるようすを楽しんでいるようです。
私は、土の再生で大忙し。
秋は、春の準備も始まります。
↑「線をずず黒く」と書いたメモがアトリエの机にありました。
“ずず黒く”なっているのはどの絵なのか、又聞いてみようと思います。
そんな中、ピピちゃんを病院に連れていきました。
予防注射を受けに。
↑病院についてすぐ、リュックを膝にのせ、かばんを開けてみると。
かばんの底で目を丸くしていました。
もう1枚写真を撮りました。
↑いったい、私はこれからどうなるの・・・。という風な表情。
一応、女の子なんですが、男の子みたい。
病院のあの台の上にのせると、ニャァニャァ鳴くのですが、
じーとしていてお利口です。
しかし、このリュックを見ると、一度使っただけなのに、
「あっ、このリュックは!病院への道!」と思うのか、
見ただけで逃げ出し、なかなか入ってくれなくて猛反発されました。
入れようとすると、「ギャーフフン!オウ~ン!」と暴れまくられ、力の強いこと。
入れても、リュックが跳ね回っていました。
確かに、このような陽気な曲がラジオから流れるような時代になった、というのがわかるような気がします。戦後直後の日本では考えられなかったかも。
作品は、陽気なかんじですが浮かれすぎていない感じもします。楽しくて愛嬌があって、お茶目。そして、エスプリとフランスの風を感じます。
サーカスや万博(これはやっぱり、1970年の大阪万博です)のようにも見えます。
様子ぐらい伺ったら……は、苦笑してしまいました。様子を見に行ったら、それはそれで何か言われそうと想像してしまいます。
さほりんは、ダメではないので気にしないでほしいです。ヒトは誰でも、一番近いヒトに自分の感情をぶつけてしまいがちだと思うので、本心ではない気持ちもそのときの勢いなどでぶつけられてしまうのかな、と思いました。
台所に貼られたメモたち、左上は確かに、わからない……。難しいです。色が鮮明で暑い感じと情熱を感じるのですが、もうちょっと細部まで見えるとまた違うのでしょうか。
鳥海青児の作品を知らなかったので、またまたネットで検索しました。茶色系が重厚で、土の色、力強い色、と感じました。
里芋の葉、色は緑色しか使っていないのに、鮮やかです。このメモを見てから実物の里芋の葉を見ると、線がないのにハートが強調されているように見えてしまいます。
「ずず黒く」ずっと黒く?ずいっと黒く?ぐぐっと黒く?ひきずるように黒く?と、いろいろ想像しました。どの線が「ずず黒い」のか、ぜひ、作品で見てみたいです。
まん丸お目目のピピちゃん。「私はこれからどうなるのか」絶望感が漂っていて笑ってしまいました。
ピピちゃんにとっては病院に行くことは、それはそれは大変なことですね。「ギャーフフン!オウ~ン!」の鳴き声が臨場感たっぷりです。
我が家の猫も、キャリーケースを見ると逃げ出します。嫌なことは、しっかり覚えているものですね。
いろいろネットで調べながら、読んで下さり恐縮です。私も、ネットが充実してきて、とても便利な時代になったものだと痛感することはあります。
私もYouTubeでこの曲を調べました。(笑)私的には、ハワイアンに聴こえました。
この絵は、非常に抽象的なのですが、可愛らしさが難しさ(分り難さ)に打ち勝ったので、取り上げました。お茶目といって下さり、とても嬉しく思っています。ヒロクニさんが作品について語るとしたら、難解な説明をするのでしょうかね?
様子伺いを注意されている私への暖かい言葉ありがとう。口答えすると、必ずこのパターンの流れにもっていくことが何度もあるうちに、いつも空中を見ながら、私わるくな~い。とうそぶくようになりました。やっぱり悪くないという事を認識し、日々がんばっていこうと。ともりん、ありがとう!
台所の壁は、絵やメモが増えたり、減ったりと変化が大きい場所になります。“鳥海青児”さんの絵もそうなのですが、明治生まれの洋画家の絵を貼ることが多いと感じます。わざわざ、調べてみて頂けるとは、思いませんでした。
「ずず黒く」あまり使わない言葉です。どういう絵がそれに当るのか、また、ブログで取り上げたいと思います。
ピピは、怖がりだったので、こんな顔をするのでしょうかね。すぐ、目が大きくなります。
ともりんの猫達も、キャリーケースがダメなんだ。病院は、猫にとって、相当嫌なところなんでしょうね。しかし、帰ってきて、いつもの部屋だ!と思ってからの立ち直りの早いこと。ともりんの猫達もすぐ、立ち直るのでしょうか?
猫の話って、ほっとしますよね。
コメント、ありがとう!
可愛がって下さっているようす楽しみに見させて頂いています。感謝です。
ピピちゃんは、元気にしています。抱っこも好きだし、とてもかまってちゃんな子に成長しています。私が、寝ていて、かまって欲しい時は、顔をビンタします。目の前に顔があって、いつも笑ってしまうのです。始めは、お世話になりましたね。こちらこそ、感謝しています。ピピちゃんは、私たちの日常をほわっとさせてくれています。
コメントありがとうございます!