武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

オートバイと妄想(鉛筆作品622)と ぎせい豆腐・レシピ付き

2021-09-02 10:54:55 | Weblog

メモというか、エスキースなんでしょうね。

ヒロクニ流、寓話という印象を受けました。

どんな物語がこの絵にあるのか?と思い、

「この絵は、どういう絵なの?」と聞きました。

意外な返事。

「この絵は、オートバイだよ。」と言う。

頭が混乱しました。

「ドン・キホーテ」の主人公、“ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ”なる人物。

妄想持ちの騎士。

気のふれた正気の騎士。

または、正気がかった狂人の騎士の姿と、武内の姿がだぶる。

似ているような気がする。

私も怖い妄想をしている自分に気がつき、

いやいや、違うってと言ってみる。

しかしなぁ~、その狂人“ドン・キホーテ”に農民の従者の“サンチョ”というのがいて、

「ご主人様、おらには何にも見えねいだ。」とよく言う。

「ヒロクニさん、おらにはオートバイにみえねいだ。」と私も言ってみる。

わたしって、サンチョの役を日常でしているように思えてきて、

もしかして、やっぱり武内はドン・キホーテか?

普段の武内の話を聞きながら、

「それで?」とか、

「それがどうかしたの?」

「それ、妄想と違うの?」

「違うって。」

「それ、おかしいのと違う。」

「イメージだけで、判断したらいかんよ。」

「具体的に言ってくれる。」

「何いってるか、わからないのですけど。」

と、妄想にしか思えない抽象的な話をされるといつもこう言っています。

物語のなかで、サンチョは、ドン・キホーテの旅する仲間で運命共同体であるわけです。

苦楽を共にする間柄。

わたしって、サンチョなのね。

と、思ったとたん、ギョッとしました。

武内に、「あなたが考えて、考えて抜いて、いい結果に結びついたことある?」と言うと、

「いいことない。」という答えが返ってくるときがあります。

急に正気に戻ったのだと思いました。

そうは言っても、物語の中にすっぽり入ってしまう私も、

妄想持ちだ・・・と思うのでした。

セルバンテス作の『ドン・キホーテ』の小説の内容を、

イメージで女たらしが、旅をしながら活躍し、

アバンチュールをする物語と思っていました。

どこからこんなイメージを作り上げていたのかと、自分の妄想にも驚きます。

ご主人に仕えるサンチョは、ひどい目にあったり、ご主人様に泣いて嘆願したり、

自分の身の安全を省みたり、苦難を先読みして何とか回避しようとするが、

やっぱりひどい目にあったりして、常にご苦労なんです。

やっぱり、「私は、サンチョなんだわ。」と、

ハンカチで涙を拭き拭き、『ドン・キホーテ』を読んでいる途中・・・・、

 

 

というのは嘘で、「やめてよ。」と驚嘆したり、

ゲラゲラ笑いそうになったり、かなわんな~と思ったりしながら、

何でヒロクニさんを思い浮かべているわけ?と思い、

時々、心に重しがかかります。

だけど、変に面白すぎる場面もあって、おかしすぎるぅ~!と

笑いがこみ上げてきたりして、コメディか・・・、と思ったりして、

可笑し味を楽しんでいます。

たぶん、『ドン・キホーテ』は、わたしにとって、現実問題なんだろうと思いました。

有名な太宰治の小説『走れメロス』も、日常に起こりそうでもあるし、

こういう小説ってあるんですね。

 

私が最大に気がふれているように感じることの例を1つあげるとしたら布団のことだ。

「芸術家は、布団でぬくぬく寝てはいかんのだ。」と、豪語して、

相変わらず、毛布にくるまり(夏は、おかしいって・・)、押入れで寝る。

「クーラーは切れ。」と言い、「扇風機は紙が飛ぶからいらない。」と言い、

朝起きたら、すでに熱中症ぎみ。

夏に毛布を使うな!なのです。

せめて、毛布はやめて、タオルケットにしたらいいと思うのだけど、

毛布かぶってるのです。

布団は嫌だけど、毛布はいいというところが、私には分らないのでした。

やっぱり、狂人に近いと思うときがあります。

毛布も布団の仲間やろ!と強く思うのでした。

 

狂人を普通に戻すのは、やっぱりご飯。

どんなに狂ってきる人でも、食事はしなくてはいけません。

少し変った豆腐料理をしてみました。

↑お料理の名前は、「ぎせい豆腐」

宇野千代さんの「私の作ったお惣菜」に載っている料理です。

“ぎせい”を漢字で書くと「義済」とあり、“義済堂”という工場があったと文面に書いてありました。

豆腐を崩してしまう料理なので、“犠牲”の豆腐なのか?と、

またまた思いこむところでした。

ごぼうの風味がして、あっさりした味で、味付き、厚揚げを食べているような料理です。

レシピを紹介します。

材料 もめん豆腐1丁、にんじん、ごぼう、絹さや、きくらげ、卵1個、ごま油

1、もめん豆腐はふきんでつつんで軽く重しをのせる。

  (私はキッチンペーパーで)

2、にんじんは、細かく短冊に切り、軽く茹でておく。

  ごぼうは、笹がきにして水にさらし、やわらかく茹でておく。

  きくらげは、水で戻してから細かく切っておく。

  絹さやは、茹でて細かく切っておく。

  この下準備したものを、ごま油で炒め、塩と砂糖を入れて味を整える。

  これは、豆腐の風味になる。

  (私は、もう少し砂糖を入れてほんのり甘くした方が良かったかなと思いました。)

  

  ↑ごま油で下準備したものを炒めています。

3、水気を切った豆腐と炒めた野菜と卵1個を混ぜ合わせます。

  それがこちら↓

  

  (絹さやがなかったので、私はさやえんどうで代用しています。

   きくらげもなかったので省いています。)

3、四角いフライパン(大きめの卵焼き器がなかったので)に、クルッパーを引き、

  ごま油を多めに入れ、混ぜ合わせた豆腐を入れます。

  それがこちら↓

  

4、こげめが付いてきたら、中央に向かって三つ折りにします。

  それがこちら↓

  

  ナルト巻きのようになってしまいました。

  このクルッパーを使うとフライパンに、引っ付かないので重宝しています。

  もう少し、焦げ目をつけても良かったかもと思っています。

これを切り分けたものが、一番上の写真になります。

あっさりしていて、風変わりな豆腐料理でした。

食べながら、精進料理のように思い、こういうのを禅味というのか?と、

思いつつ食べていました。

ごま油がいい風味を出してくれます。

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (ともりん)
2021-09-07 23:40:19
作品を見たときに、映画『イージー・ライダー』で流れる、ステッペンウルフの「Born to Be Wild」のメロディーが流れてきました。
それは、「オートバイ」というタイトルを見たからだと思います。モノクロの線と後ろに流れる線から、ワイルドな大型バイクを感じます。バックの線が流れて弾けてワイルドな暴走のイメージです。
でも、タイトル「オートバイ」を見なかったら、ロボットが暴走することを危惧した、アイザック・アシモフのロボット三原則を感じたと思います。
ヒロクニ先生の作品は、初見のときはテーマの解釈に悩んでしまいますが、タイトルを知ると「はっ!」として世界が広がるものが多いように感じます。
だから、さほりんが解説をしてくれるこのブログは、とてもありがたいです。ありがとうございます!
さほりんの「ドン・キホーテ」という一文を読んでしまうと、この作品自身もドン・キホーテのように見えてしまいます。さほりんが……ということではなく、この作品もそれを描いているように感じられる、ということです。
そして、サンチョは利害と自分かわいさが混じりながらも「イエス、ボス!」な感じで仕方なくお仕えしていたような曖昧な記憶があるので、さほりんとは違うと、私は思います。
ドン・キホーテは、何を表したい物語なのか、私はいまだにわかりません。正義と勇気を貫くことは狂気がないとできない、ということなのかと思いますが、やっぱりわかりません。
『走れメロス』が現実に起こりそうとは、わかるような納得できないような、でも、うーん、そうかも……と思ってしまいます。
さほりんの心情は察するしかできませんが、それもきっと全然本質までは至っていないと思います。でも、少しでも何か共感、または、違う意見でも感覚を共有できればなあ、と思います。
布団の話は、何度か読ませていただいていますが、毎度まったくわかりません。「ぬくぬく寝ては……」は禅の考え方が入っているのでしょうか。
確かに、夏はおかしいですね(笑)。せめてタオルケットです。
押入れ、何かの信念がおありだとは思うのですが、体が休まるのか、しっかり眠れるのか、と思ってしまいます。
でも、芸術家は体を休めたりしっかり寝てはいけないものかな、と思いました。
私の夫は、冬に毛布をかけることを嫌がります。肌ざわりと暖かさが嫌だ、という言います。が、昨年、毛布に肌ざわりの良い使い古した綿の薄いカバーを掛け、それを知らせずに寝かせたら「柔らかくて気持ちがいい」と言っていました(笑)

ぎせい豆腐、以前本で読み工程が面倒だなーと思いました。なんと、それを作られたのですね。すごいです。同じ材料で調理するとき、私はきっと、工程が少ないあんかけ豆腐にしてしまいます。
でもやっぱりこうやって、きちんと、野菜を細く切って炒めて、豆腐を水切りして、混ぜて焼いて巻くと、ごちそうだなあとしみじみ思いました。あんかけ豆腐の自分を反省です。
日常のことに手をかけること、いつものことにちょっと工夫することが大切だと改めて感じました。

前回の「手先から出るポエジー」の解説、ありがとうございます。感覚がぱっと明るくなりました。
私は「抽象的」ということに偏った見方で頭で考えてしまいましたが、さほりんの解説で「理論も含めた流れ出る感覚がポエジー」と思ったときに、新しい感覚を感じました。目の覚めるような新しい感覚を、読んだ瞬間に感じて嬉しくなりました。
本当に、このような作品の鑑賞のポイントを幼少の頃から学校で導く授業があると、感覚が違ってくるのではと思います。やわらかい子供のときにサポートがあると、全然違うなあ、と思いました。
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作品を観る参考になっているとのこと、嬉しく思います。 (さほりん)
2021-09-08 13:27:17
コメントありがとうございます。
コメントを読んで、暫し、「イージー・ライダー」の映画を思い出していました。この映画の音楽もいいなぁ~と思って観ていましたが、音楽のタイトルまで知りませんでした。「Born to Be Wild」というタイトルもいい感じ。アメリカのあの道が続いていく感じと、乾いた空気、砂煙り、あのオートバイを思い浮かべていました。
アイザック・アシモフのSFもよく読んだ時期があります。ともりんとは、読書の傾向が近いのかもしれないとも思いました。
「ドン・キホーテ」は、「アーサー王物語」を読んだ後だったので、騎士道モノを知っているから、余計に面白かったのかも?パロディ感覚というもので。「ドン・キホーテ」は、当時のスペインの時代の風刺と言われているらしいけれど、そこまでは読み取れませんでした。たぶん、当時の人がそこを楽しんだのかもしれません。ただ、笑っていたという・・・読み方。サンチョとは、違うと言って下さりありがとう。そう、サンチョよりは、聡明よ。こう、思うことにしました。(笑)

布団のことは、長年の疑問です。
結婚して31年という歳月が経ちましたが、毛布にしがみついていますねぇ~。ともりんのご主人は、毛布が嫌なんですね。(笑)2人が、話し合ったらどういうことを話すのだろうと想像してしまいました。そして、私たち2人は、それを聞いて呆れているというか、笑っちゃうというか・・・。そして、私たち2人は、意気投合する。しかし、ともりんは、綿のカバーをかけてカモフラージュする技を出すから、凄い!恐れ入ります。でも、ほわっと優しさを感じます。

この「ぎせい豆腐」は、分量がはっきり書いていないのと、やたら茹でておかないといけないのがネックじゃないでしょうか?その部分がはっきりしないので、めんどくさくなる。私もやっとみこしを上げたという気分でした。餡かけは、ヒロクニさんが嫌いらしくて、「かけないで。」と言われています。皆、いろいろですね。

先回の説明が役たったのこと嬉しいです。学校という枠組みの中だと、「教えなくていけない。」となって、余計なことを教えられるのかもしれません。感覚は、知識じゃないので、手探りのようなものではないでしょうか?それでも、こうやって長く、往復書簡(笑)を通して、ともりんの感覚と私の感覚も共通するところがあるなぁ~と思うことも多いです。今日も、意見交換を楽しく思っています。
いつもありがとうね。
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