拒絶の歴史(84)
日曜の朝は、仕事が休みだった雪代と最近起こったことや、これから起こるであろうことを電話で話した。彼女が友人と楽しむ今日の予定を聞いたが、自分はそれがどのあたりの場所を指しているのかイメージできず、適当なあいづちしか出来なかった。
その後は、いつものようにサッカーの練習にでかけた。
学校のグラウンドを借りていたので、そこには何の用事もないがただ暇つぶしのように見ているひとたちも多くいた。その日は、とくにそのような人が多かった印象が残っている。仕事をリタイアして暇をもてあましているような人もいたし、テレビより生きた人間を見たいと思っているようなお婆さんもいた。それは、悪いことでもないし、練習に打ち込んでいけば、自分の視界からも当然のように消えていった。
消えていく人もいれば、消えない人もその中にはいくらかいた。ぼくは上田さんの父と飲みに行ったお店の加藤さんという女性が、息子らしき子どもを連れて見学しているのを見つけた。練習を先日、代理で行ってもらった友人が家族で見ているのも発見する。彼は、もっと近くで見たり、練習に突然参加しても良かったはずだが遠慮して一般のひとのように距離を置いて、こちらを眺めていた。しかし、熱が入ってくると誰よりも大声で声をかけてきた。それは、性分というようなものだろう。
1時間ぐらい経って、休憩に入るといろいろなひとが話しかけてきたりする。大学生なのにデートもしないで、子どもたちにサッカーを教えている好青年と思っているひとも中にはいるようだった。実際にそのような言葉をかけてくる人もいたが、ぼくは愛想笑いをするぐらいしか返答ができなかった。ただ、距離が離れているために好きな女性と会えないだけだったのだが。
「この前はどうも」と加藤という女性がぼくに話しかけた。ぼくは、軽く会釈して、
「サッカーが好きなんだ?」と、となりに立っている男の子に代わりに話しかけた。その子は、遠慮がちにうなづいた。このチームは特別入るための試験があるわけでもなく、小学生になったら入れるから、ということを説明し、彼に年齢を訊いた。答えはあと数年の我慢が必要であるという事実を教えてくれる。
「また上田さんとでも、来てちょうだい」と彼女は言って、ぼくのそばから離れた。次は友人がそばに寄ってきた。
「やっぱり、お前の代わりもたまにはするよ」と言って、嬉しそうにぼくに語った。ぼくも、大学の勉強やら自分の能力の向上面で時間を割きたかったので、彼にその代わりをしてもらいたいと以前に話していた。その回答がこれだった。ぼくも喜び、彼も喜んでいた。それは金銭になるようなものではなく、ただ、自分の熱意だけの問題であった。彼がそれを悩みながらも引き受けてくれたことが嬉しかった。となりで彼の妻もその選択を正しいものだと感じ、後押ししているような様子がにじみでていた。社会の一員である我々だが、いろいろな組織を通して自分らは枠をひろげ、またさまざまなことを吸収していくのだ。彼ら二人は、高校生のときに不意に妊娠してしまい、学校を去ってしまった。そのときの子どもがそこにいて、また集団でなにかを目指して行動するという目標が得られたことを、ぼくは自然に喜んだ。また、自分にも余分の時間が戻ってきたことも同じように喜んでいたのだが。
また、練習にもどって、簡単に2チームに別れて練習試合をした。高度なテクニックを身につけ始めた子どもたちもいれば、リーダーシップを放つ子どももいた。言われたことをきちんと守ろうとする子もいて、ルールを苦手とする子どももいた。それらを大人がやんわりと道筋をつけ、11人のまとまった集合体となっていく。ぼくが高校生のときになしとげたラグビーのチームのことを考え、また成し遂げられなかったことを反省し、自分の頭の中で不満として残っているものをその場で解消しようとした。なぜ、あのときああ考えられなかったのだろう、という後悔も、いまの自分は失敗を乗り越えられるだけの知識や経験を得たのにな、という時間の観念への冷たさや暖かさを感じていた。
練習が終わり、またいろいろなひとが周りに寄ってきた。
「きれいなひとと話していたね。もう次を見つけたんだ?」ある関係を築いていたサッカー少年の母がぼくにそう言った。
「違いますよ。学生時代の先輩の父に連れられて行く店の人だから、ただの知り合いですよ。息子にサッカーを教えたいんで見学させていたみたいですよ」
「そうなんだ。あやしいけどね」
「それより、あれが帰ってきた旦那さんなんですね。とっても格好いいじゃないですか」彼女は満更でもない表情をした。ぼくは汗を拭き、そして、その動きに合わせ、もう一度だけその男性を見た。彼は自分の子どもに話しかけていた。子どもの成長に単純に喜んでいる素直な表情がそこにはあった。ぼくも、その子の成長や進歩にいつもながら驚かされていたのだが。
日曜の朝は、仕事が休みだった雪代と最近起こったことや、これから起こるであろうことを電話で話した。彼女が友人と楽しむ今日の予定を聞いたが、自分はそれがどのあたりの場所を指しているのかイメージできず、適当なあいづちしか出来なかった。
その後は、いつものようにサッカーの練習にでかけた。
学校のグラウンドを借りていたので、そこには何の用事もないがただ暇つぶしのように見ているひとたちも多くいた。その日は、とくにそのような人が多かった印象が残っている。仕事をリタイアして暇をもてあましているような人もいたし、テレビより生きた人間を見たいと思っているようなお婆さんもいた。それは、悪いことでもないし、練習に打ち込んでいけば、自分の視界からも当然のように消えていった。
消えていく人もいれば、消えない人もその中にはいくらかいた。ぼくは上田さんの父と飲みに行ったお店の加藤さんという女性が、息子らしき子どもを連れて見学しているのを見つけた。練習を先日、代理で行ってもらった友人が家族で見ているのも発見する。彼は、もっと近くで見たり、練習に突然参加しても良かったはずだが遠慮して一般のひとのように距離を置いて、こちらを眺めていた。しかし、熱が入ってくると誰よりも大声で声をかけてきた。それは、性分というようなものだろう。
1時間ぐらい経って、休憩に入るといろいろなひとが話しかけてきたりする。大学生なのにデートもしないで、子どもたちにサッカーを教えている好青年と思っているひとも中にはいるようだった。実際にそのような言葉をかけてくる人もいたが、ぼくは愛想笑いをするぐらいしか返答ができなかった。ただ、距離が離れているために好きな女性と会えないだけだったのだが。
「この前はどうも」と加藤という女性がぼくに話しかけた。ぼくは、軽く会釈して、
「サッカーが好きなんだ?」と、となりに立っている男の子に代わりに話しかけた。その子は、遠慮がちにうなづいた。このチームは特別入るための試験があるわけでもなく、小学生になったら入れるから、ということを説明し、彼に年齢を訊いた。答えはあと数年の我慢が必要であるという事実を教えてくれる。
「また上田さんとでも、来てちょうだい」と彼女は言って、ぼくのそばから離れた。次は友人がそばに寄ってきた。
「やっぱり、お前の代わりもたまにはするよ」と言って、嬉しそうにぼくに語った。ぼくも、大学の勉強やら自分の能力の向上面で時間を割きたかったので、彼にその代わりをしてもらいたいと以前に話していた。その回答がこれだった。ぼくも喜び、彼も喜んでいた。それは金銭になるようなものではなく、ただ、自分の熱意だけの問題であった。彼がそれを悩みながらも引き受けてくれたことが嬉しかった。となりで彼の妻もその選択を正しいものだと感じ、後押ししているような様子がにじみでていた。社会の一員である我々だが、いろいろな組織を通して自分らは枠をひろげ、またさまざまなことを吸収していくのだ。彼ら二人は、高校生のときに不意に妊娠してしまい、学校を去ってしまった。そのときの子どもがそこにいて、また集団でなにかを目指して行動するという目標が得られたことを、ぼくは自然に喜んだ。また、自分にも余分の時間が戻ってきたことも同じように喜んでいたのだが。
また、練習にもどって、簡単に2チームに別れて練習試合をした。高度なテクニックを身につけ始めた子どもたちもいれば、リーダーシップを放つ子どももいた。言われたことをきちんと守ろうとする子もいて、ルールを苦手とする子どももいた。それらを大人がやんわりと道筋をつけ、11人のまとまった集合体となっていく。ぼくが高校生のときになしとげたラグビーのチームのことを考え、また成し遂げられなかったことを反省し、自分の頭の中で不満として残っているものをその場で解消しようとした。なぜ、あのときああ考えられなかったのだろう、という後悔も、いまの自分は失敗を乗り越えられるだけの知識や経験を得たのにな、という時間の観念への冷たさや暖かさを感じていた。
練習が終わり、またいろいろなひとが周りに寄ってきた。
「きれいなひとと話していたね。もう次を見つけたんだ?」ある関係を築いていたサッカー少年の母がぼくにそう言った。
「違いますよ。学生時代の先輩の父に連れられて行く店の人だから、ただの知り合いですよ。息子にサッカーを教えたいんで見学させていたみたいですよ」
「そうなんだ。あやしいけどね」
「それより、あれが帰ってきた旦那さんなんですね。とっても格好いいじゃないですか」彼女は満更でもない表情をした。ぼくは汗を拭き、そして、その動きに合わせ、もう一度だけその男性を見た。彼は自分の子どもに話しかけていた。子どもの成長に単純に喜んでいる素直な表情がそこにはあった。ぼくも、その子の成長や進歩にいつもながら驚かされていたのだが。