拒絶の歴史(88)
山下と妹が戻ってきてまた合流した。そこは、ぼくと山下が懸命になって汗を流した場所でもあった。知らない間に自分はこころのなかに聖域のような領地を作り、過去の大切なものや瞬間を閉じ込めていた。それには、あの猛烈に頑張ったいくつかの記憶も居場所を作っていた。
「近藤さん、もう一度ラグビーをやってみたいとか思いません?」と山下に訊かれた。
「もう、それはいくらなんでも遅すぎるよ」
「そうかな?」と雪代が言ったが、ほんとうは誰もが遅すぎること知っていたのかもしれない。
ふたたび家に向かい、夜が始まった中を歩いている。ちょっと前には雪代がぼくの知り合い立ちといっしょに歩いている姿など想像できなかった。だが、いまはこうしてそれが現実のものになっている。それは自然に訪れたようだったが、自分は長いことそれを望んでいたことを知っていた。望み続けたことの結果がこのような幸せな状態であることの、その結末を自分は愛そうと思っていた。
家に着くと、テーブルは片付き、その上にケーキが並べられていた。父親はお酒が入ったためか眠くなったと母に言い残し、もう消えていた。
ぼくらは、またテーブルに着き、フォークを使ってゆっくりとケーキを食べた。ひとりの時間にケーキなどを食べることはなかったが、このような団欒の場で、それも雪代がそこにいてという雰囲気で食べていると、それは一層おいしさを増しているようだった。
いくらかの笑い話と、またいくつかのしみじみとした話と、山下の学生生活などを聞いているうちに、なんとなく帰るタイミングを失っていたが、さすがに彼も実家に帰らなければならないので、ぼくの車は雪代がハンドルを持ち、彼は、妹が運転するうちの車でそれぞれが帰途に着いた。彼らも、ふたりきりになる時間が必要なのかもしれない。その前に、そのふたりは雪代に包装された袋を手渡していた。
「開けてみてくれる?」
「自分で開けなよ」
「手が離せないけど、いま見たいのよ」
「じゃあ、車を止めればいいじゃん」
というやりとりをし、車は路肩にとまった。たまに対向車や後続車のライトがぼくらを照らした。袋を開けるとそこには写真立てが入っていた。妹のものらしい幼い筆跡が残っている文字で、「大切なふたりの記録をこの中に留めていってください」と書かれていた。それは、ぼくらの裏切られた時間が報われた瞬間でもあり、勝利のときめきでもあった。普段見せない表情で雪代は呆然とし、ハンドルに顔をうずめた。そして、その後に涙がこぼれたと思ったら、それは次から次へと続き、最終的には嗚咽のようなものになった。彼女にしては珍しいことであり、そのことにぼくも単純に驚いていた。
「どうした? 大丈夫?」
「なんとなく、とても嬉しかった」彼女は濡れた目をこちらに向け、「このようなシンプルなものがいちばん胸を打つとは知らなかった」と言った。そこから涙が止まるのには時間がかかった。ぼくは彼女の濡れた頬に自分の唇を近づけた。彼女特有のにおいをより鮮烈に感じ、ぼくは車内の狭さを感じることもなく、世界は限りなく広大でその中で自分らが幸福でいられることを知って、そのことにもまた酔っていた。
また車はウインカーを点灯させ、本来の道に戻った。数分後、アパートの裏の駐車場に車を止め部屋に入った。
雪代はそのままバスルームに消え、そしてシャワーの音が聞こえてきた。ぼくは音楽をかけソファーに座り、なにも考えずただ耳を傾けていた。だが、今日のような日になにも考えることをしないということは実際には不可能であったらしく、ぼくらの積み上げてきた数年の記憶を取り出しては点検した。そして、雪代が出てくると最終的にピリオドをつけるように自分の思いを止めた。
「ひろし君、妹さんに電話してくれる?」
「いいよ、いま?」彼女は濡れた髪を拭きながら、うなずいた。
ぼくは指先が覚えているいくつかの数字を押し、家に電話をかけた。妹ももう戻っており、最初に出た母に頼み妹に変わってもらった。感謝の言葉やら、伝えておかなければならないことを言って、
「雪代も話したいみたいだよ」と言い、ぼくは受話器を雪代に渡した。
彼女は、数分話していたみたいだが、聞くのも悪いと思い、また音楽がかかっている部屋に戻っていた。ニール・ヤングの良さなどまったく気づいていなかったが、今日はなぜか胸に染み入ってきた。
「じゃあ」という言葉が聞こえ、受話器を戻した雪代がこちらの部屋に入って来た。そして、また泣いている姿に戻っていた。その様子は10歳ぐらいのまだ成長過程にいる少女のようだった。
「どうしたの?」
「妹さんが、よくも知らないのに交際しなかったり、排除してしまっていた自分たちが悪かったと謝ってくれた」
「良かったじゃない」ぼくらは二人だけでももちろんのこと幸福だったのだが、それがもっと大きなものに成長し化けてしまう予感を覚え始めたのだろう。
山下と妹が戻ってきてまた合流した。そこは、ぼくと山下が懸命になって汗を流した場所でもあった。知らない間に自分はこころのなかに聖域のような領地を作り、過去の大切なものや瞬間を閉じ込めていた。それには、あの猛烈に頑張ったいくつかの記憶も居場所を作っていた。
「近藤さん、もう一度ラグビーをやってみたいとか思いません?」と山下に訊かれた。
「もう、それはいくらなんでも遅すぎるよ」
「そうかな?」と雪代が言ったが、ほんとうは誰もが遅すぎること知っていたのかもしれない。
ふたたび家に向かい、夜が始まった中を歩いている。ちょっと前には雪代がぼくの知り合い立ちといっしょに歩いている姿など想像できなかった。だが、いまはこうしてそれが現実のものになっている。それは自然に訪れたようだったが、自分は長いことそれを望んでいたことを知っていた。望み続けたことの結果がこのような幸せな状態であることの、その結末を自分は愛そうと思っていた。
家に着くと、テーブルは片付き、その上にケーキが並べられていた。父親はお酒が入ったためか眠くなったと母に言い残し、もう消えていた。
ぼくらは、またテーブルに着き、フォークを使ってゆっくりとケーキを食べた。ひとりの時間にケーキなどを食べることはなかったが、このような団欒の場で、それも雪代がそこにいてという雰囲気で食べていると、それは一層おいしさを増しているようだった。
いくらかの笑い話と、またいくつかのしみじみとした話と、山下の学生生活などを聞いているうちに、なんとなく帰るタイミングを失っていたが、さすがに彼も実家に帰らなければならないので、ぼくの車は雪代がハンドルを持ち、彼は、妹が運転するうちの車でそれぞれが帰途に着いた。彼らも、ふたりきりになる時間が必要なのかもしれない。その前に、そのふたりは雪代に包装された袋を手渡していた。
「開けてみてくれる?」
「自分で開けなよ」
「手が離せないけど、いま見たいのよ」
「じゃあ、車を止めればいいじゃん」
というやりとりをし、車は路肩にとまった。たまに対向車や後続車のライトがぼくらを照らした。袋を開けるとそこには写真立てが入っていた。妹のものらしい幼い筆跡が残っている文字で、「大切なふたりの記録をこの中に留めていってください」と書かれていた。それは、ぼくらの裏切られた時間が報われた瞬間でもあり、勝利のときめきでもあった。普段見せない表情で雪代は呆然とし、ハンドルに顔をうずめた。そして、その後に涙がこぼれたと思ったら、それは次から次へと続き、最終的には嗚咽のようなものになった。彼女にしては珍しいことであり、そのことにぼくも単純に驚いていた。
「どうした? 大丈夫?」
「なんとなく、とても嬉しかった」彼女は濡れた目をこちらに向け、「このようなシンプルなものがいちばん胸を打つとは知らなかった」と言った。そこから涙が止まるのには時間がかかった。ぼくは彼女の濡れた頬に自分の唇を近づけた。彼女特有のにおいをより鮮烈に感じ、ぼくは車内の狭さを感じることもなく、世界は限りなく広大でその中で自分らが幸福でいられることを知って、そのことにもまた酔っていた。
また車はウインカーを点灯させ、本来の道に戻った。数分後、アパートの裏の駐車場に車を止め部屋に入った。
雪代はそのままバスルームに消え、そしてシャワーの音が聞こえてきた。ぼくは音楽をかけソファーに座り、なにも考えずただ耳を傾けていた。だが、今日のような日になにも考えることをしないということは実際には不可能であったらしく、ぼくらの積み上げてきた数年の記憶を取り出しては点検した。そして、雪代が出てくると最終的にピリオドをつけるように自分の思いを止めた。
「ひろし君、妹さんに電話してくれる?」
「いいよ、いま?」彼女は濡れた髪を拭きながら、うなずいた。
ぼくは指先が覚えているいくつかの数字を押し、家に電話をかけた。妹ももう戻っており、最初に出た母に頼み妹に変わってもらった。感謝の言葉やら、伝えておかなければならないことを言って、
「雪代も話したいみたいだよ」と言い、ぼくは受話器を雪代に渡した。
彼女は、数分話していたみたいだが、聞くのも悪いと思い、また音楽がかかっている部屋に戻っていた。ニール・ヤングの良さなどまったく気づいていなかったが、今日はなぜか胸に染み入ってきた。
「じゃあ」という言葉が聞こえ、受話器を戻した雪代がこちらの部屋に入って来た。そして、また泣いている姿に戻っていた。その様子は10歳ぐらいのまだ成長過程にいる少女のようだった。
「どうしたの?」
「妹さんが、よくも知らないのに交際しなかったり、排除してしまっていた自分たちが悪かったと謝ってくれた」
「良かったじゃない」ぼくらは二人だけでももちろんのこと幸福だったのだが、それがもっと大きなものに成長し化けてしまう予感を覚え始めたのだろう。