遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 189 母の死

2018-05-13 13:28:03 | 日記

          母の死 「その1 」(2011.7.26日作)

 

   母の死は文字通り

   穏やかだった

   病院のベッドに横たわり

   静かに眼を閉じていた顔を一瞬

   わずかに歪めて 小さく

   眉間に皺をよせた と思った時

   母の命の鼓動を数字に変え

   送り続けて来たモニターの画面が 突如

   暗黒に変わり そこに映し出されるものは

   もはや 何もなかった 

   この世との別離

   眉間に皺をよせたその表情が母の

   永遠の別れへの言葉のない挨拶だった

   わたしたち兄妹に涙はなかった

   誰もが安らかに母を送り得た事実に

   小さな満足感を抱いていた

   九十六歳 天寿を全うしての

   母の旅立ちだった

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   入院前の数日間 母は

   食べ物も飲み下せないほどに

   衰えていた 老衰の状態だった

   怪我などもふくめ 幾度も入院しては

   その都度 無事 帰還を果たしていた母だったが

   この時には

  「もう 自宅へ帰るのは無理だと思います」

   医師からの宣告だった

   わたしたち兄妹は覚悟を決め

   母を見守った その中で母は苦しむ事もなく 

   眠るがごとくの言葉通りに

   穏やかな旅立ちを果たした そして

   わたしたちは一つの教訓を胸にした

   十全に人生を生きた人を

   充実した介護のもと 

   心置きなく送り得た時には

   たとえ 一人の人間の死であっても

   そこに哀しみの感情の入り込む余地はなく

   むしろ 人が人として

   一人の人間を安らかに送り得た安堵感と

   心の充足 満足感に充たされるものだという

   真理

   一人の人間の死は 哀しみばかりではなく

   時には祝福の感情に包まれる事も有り得るのだ という

   真理

   大切 大事なことは 人が人として                                                         

   十全に生きるという事

   たとえ 苦難続きの人生であっても

   十全な人生を歩み得た人を

   心置きなく送り得た時には 

   永遠の別離が来ようとも そこに

   哀しみの感情の生まれる余地はなく

   一つの生の終わり 死にも祝福が似合うのだいう

   事実

   終わり良ければすへて良し !

   十全に人の世を生き得た人の生の終わり

   死に乾杯 !

   乾杯が似合うのだ

   

   

   

   

 

   



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