遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 238 小説 夢の中の青い女 他 見えないものが

2019-04-21 10:28:20 | 日記

          見えないものが(2018.12.24日作)

 

   この世の中 世界には

   重さでは量れないものがある

   広さや 大きさ 高さ では

   量れないものがある

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   この世の中には 

   人の眼には見えないものがある

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   人が 人と人とで創る

   この世界

   人と人とを繋ぐもの

   心

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   金子みすずはうたってる

   見えぬけれどもあるんだよ

   見えぬものでもあるんだよ

 

 

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     (4)

 

 そんな中で車のヘッドライトだろうか、大木の腰の高さほどの所を次々に流れてゆく光りが見えた。それらは白い霧の中で一瞬、眼の前に浮かび上がったかと思うと、瞬く間に背後に流れて行った。大木は自分の周囲に林立するビル群の中で、日頃、見覚えのあるビルはないだろうかと探してみた。馴染みのビルを見つけ出せれば、そこから自分が今いる場所を判断する事も出来るだろう。新宿駅への方角も分かるというものだ。

 だが、次の瞬間、大木は思わず足を止めた。ビルだとばかり思っていたものが、よくよく見ると、実はビルではなくて、墓場に建つ墓石だったのだ。墓石が大木の周囲を埋め尽くし、連綿と続いているのが見えた。当然の事ながら、それらにはどれも窓はない。入り口のドアもなくて、のっぺりした石の肌の冷たさだけを見せていた。

 大木はまさか、と思ったが、そのまさかの通り、大木は何処とも知れない墓地へ迷い込んでいたのだ。大木の腰の高さをしきりに流れて行くのは、車のヘッドライトなどではなくて、紛れもない人魂だった。この、東京と言う大都会の真ん中で宙に迷った人の魂が、おそらく徘徊しているのに違いない。

 大木は幽かな人の泣き声を聞いたように思った。明らかにそれは人魂がもらす泣き声に違いないと思えた。

 大都会のしがらみの中で不本意に死んでいった人たちの怨嗟に満ちた泣き声に違いない。

 だが、またしても次の瞬間、大木は、

" ちょっと待てよ "

 と、急に湧き上がる疑念と共に、その声に耳を傾けた。

 するとその泣き声は、東京という、この大都会の宙に迷った人々の怨嗟に満ちた泣き声などではなくて、大木自身の体の内部から漏れて来る泣き声ではないのか、とふと、思えた。

 大木自身の心がしきりに泣いている・・・・・・

 でも、いったい、なんだって俺が泣いているんだ ?

 大木は狼狽し、慌てて自分の周囲を見廻した。

 当然の事ながら周囲には冷たい感触の墓石が見えるだけで、他には何もなかった。

 相変わらず白い霧は、その墓石を包み込むように流れていた。

 大木は茫然とその墓石を見つめながら、

 " 俺は少なくとも、この大都会では成功者と呼んでも差し支えのない人間の一人ではないか。年間、何億という商売をし、何十人という従業員を抱え、毎年、十パーセントに近い成長を維持している。その上、家族にも恵まれ、家庭は安泰だ。俺が泣かなければならない理由なんて、いったい、何処にあるんだ。ーーひょっとすると、これは何かのトリックだ。誰かが、俺を陥れようとして何かを企んでいるんだ "

 大木は改めてゆっくりと自分の周囲を見廻した。

 周囲の状況に依然、変わりはなかった。

 ただ、何処かで、大勢の人たちが大木の狼狽ぶりを嘲るかのように、クスクス笑っているような声が聞こえる気がして、大木は思わず聞き耳を立てた。

 改めて聞き耳を立てると笑い声は、どれか一つの墓石の陰から漏れて来るようだった。

 大木はしばらく様子を伺っていた。

 それからようやく、それらしい墓石を探り当てると近付いていった。

 黒御影石の大きな、深い霧の中でも明らかに際立って見える墓石だった。

 その陰から、何人もの人たちが体を寄せ合い、クスクス笑っているのではないかと思えるような気配が伝わって来た。

 大木は正体を突き止めた、という思いと共に、急に込み上げて来る激しい怒りに捉われて、一気に墓石の裏側に廻った。

 だが、大木がそこに見たものは、大木が予期した、身を寄せ合った大勢の人たちなどではなくて、想像だにしなかった奇妙な光景だった。

 煌々と照明に照らし出された舞台があって、その上に一人の人物が立っていた。

 大木は思わず声を上げそうになった。舞台の上に立っていたのは妻の治子だった。

 治子が胸元も露な、裾を引き摺るように長い白のドレスに身を包んで、まばゆいばかりに輝くダイヤモンドのイヤリングとネックレスを着け、誰かを待っているらしいし様子が見て取れた。

" いったい、なんだって治子が ? "

 大木は思わず、不可解な疑念に捉われながら呟いた。

 しかも大木は、その治子が誰かを待つらしい様子の中に、明らかな不倫の匂いを感じ取っていた。大木は体中の血が逆流する思いの中で熱くなりながら、しかし、なぜか奇妙に、自分を失う事はなかった。何かの力が働いて、冷静に自分をそこに押し止め、真相を突き止めよう、という思いの中にいた。

 舞台の上にいる治子はだが、そんな大木に気付いてはいなかった。しきりに舞台の奥を窺がっていた。そのうち急に、治子の表情が生き生きと輝いて「三谷さん、三谷さん」と叫びながら、舞台の袖の方へ走り寄っていった。

「ああ、ここにいたんですか ?」

 姿を現したのは、大木が経営する大木商事専務の三谷明だった。

 三谷は大木といる時いつも、社長の大木と間違えられるような恰幅のよい体躯をした五十一歳の体に、見慣れたグレイのスーツを着込んで治子に歩み寄っていった。

「お待ちになったのですか ?」

 三谷は言った。

「いいえ、わたしも今、来たばかりなんです」 

 治子は言った。

「社長の葬儀もこれで滞りなく終わりました。あとは大木商事をどのように運営してゆくのか、その点だけが問題です」

 三谷は言った。

「それは当然、あなたにお任せしますわ。わたしは会社経営には素人なので、何も分かりませんから」

「社長がいない方がむしろ、旨くゆきますよ。なんだかんだって、夢みたいな事ばかり言っていた人ですから。現実をしっかり見なければ会社経営なんて出来っこありませんよ」

「わたしは始めからあなたを信用していましたから、大丈夫ですわ」

「ところで、お子さん達は ?」

「奥の部屋にいると思います。こんな霧の深い夜ですから」

「さっき、ラジオで言っていましたよ。霧の夜にはセックスが最適なんです、なんてね」

「わたしたちもそろそろ行きましょうか」

「そうですね。今夜はこの霧の中で、ゆっくり二人だけの愛を楽しみましょう」

" これは現実なんだろうか ? "

 大木は怒りも忘れていた。

 

 


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