遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 245小説 夢の中の青い女(完) 他 流れのままに

2019-06-02 15:34:41 | 日記

          流れのままに(2019.5.28日作)

 

   流れる川

   川は流れる

   流れる川 そのままに 人は

   流れ 流され 生きてゆく

   それでいい

   流れに逆らい 抗えば

   苦労が多い 角が立つ

   流れる川 流れのままに身を任せ

   流れのままに生きてゆく

   結果は楽だ 苦労がない

   苦労はないが 心はある

   心はそれぞれ 人が持つ

   人それぞれ各々が

   それぞれ独自に持つ心

   心を失くせば 自分はない

   自分は心 心は自分

   心が創る人間模様

   心が創る 人の型 自分の形

   自分の形は 心の証し

   流れる川に身を任せ

   それでも心は失くさない

   堅固に保つ自身の心

   流れる川も 荒海も

   自分の心底(しんてい) 奥底に

   心があれば乗り切れる

   流れる川の流れのままに

   流れ 流され 生きてゆく

   それでも心は失くさない

   心が創る人間模様 人の型

   自分の形

   根のない浮き草 流れ藻は

   心のないまま 流れてゆく

 

 

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          (10)

 

 大木は長い間、このバーに通っていたが、こんな所にドアがあるなどととは今まで知りもしなかった。

「こんな所にドアがあったの ?」

 驚いて聞いた。

「はい」

 女は微笑みを浮かべて答えた。

「あなたはここに住み込みなの ?」

 大木はよく理解出来なくて聞いた。

「いいえ、この奥にわたしの住まいがあるんです」

 女は相変わらず謎のような微笑みを浮かべたまま言った。

 女は開いたドアを支えて大木を先に通すと、自分も続いて部屋を出た。

 ドアを閉め、大木の先に立つと、そのままひどく暗い中を歩き出した。

 大木の眼には暗くて何も見えなかった。

 女はさすがに勝手知った場所らしく、迷いもせずに歩いて行った。

 間もなくすると女が立ち止まって、見えない所で鍵音をさせているのが聞こえた。それから、

「どうぞ」

 と言って、大木を振り返る様子が察しられた。

 大木は初めて会った見知らぬ女の部屋へ入ると、期待とも不安とも付かない心の昂ぶりに胸苦しさを覚えた。それでも、ここまで来てしまった以上、もう、後戻りも出来ないと思うと靴を脱いで座敷に上がった。

 大木の通されたのは居間らしかった。八畳程の広さの部屋に、灰色の落ち着いたソファーが置かれてあった。

 窓際にはいかにも若い女性の部屋らしく、テーブルの上一杯に羽根を広げた孔雀さながら、華やかにカスミ草の花が飾られていた。

 女はドアを閉め、鍵を掛けた。その音が何故か、大木の心に奇妙に不安な響きを残した。

「どうぞ、ソファーにお掛け下さい。馴れない霧の夜の中を歩いてお疲れになったでしょう」

 女は依然として、柔らかい謎に満ちたような微笑みを浮かべたまま言った。

 それからすぐに、

「ちょっと、失礼します」

 と言うと、部屋を出て次の間に入っていった。

 大木は見知らぬ女の馴染みのない部屋の中で落ち着かない心のままに、ソファーに腰を下ろした。

 女が来るまでのしばらくの間、大木は所在のないままに明るい電燈の下で初めて、霧に濡れた自分の服に眼を落とした。                                                

 上着の細い繊維の先に霧のしずくが小さな水玉を作って光っていた。

 爪の先で払うと指先が冷たく濡れた。

 ドアの横に大きな鏡が嵌め込まれてあるのに気付いて近付き、顔を映してみて大木はギョッとした。思わず、自分の背後に誰かいるのか、と振り返った。

 誰もいるはずがなかた。

 改めて大木は眼を凝らし、鏡の中に映った男の顔に眼をやった。

 紛れもなく、自分の顔が映っていた。まるで溺れた人のように、髪が額に張り付き、落ち窪んだ眼が異様に光っていた。

 顔色が血の気の失せたように蒼いのは、霧の中を彷徨い歩いた疲労の為だろうか ? あるいは、霧の中に混じっているという硫酸を吸い込んだせいなのだろうか ?

 大木は一度に湧き出るような疲労感を覚えるのと共に、捉えどころのない不安感を抱いたまま鏡の前を離れた。

 ソファーに戻ると体を投げ出すようにして腰を下ろした。たちまちうとうとして来るのを自覚した。甘く強烈に匂うのはカスミ草が放つ芳香なのだろうか ? 夢心地に誘われる思いだった。

 大木はハッとして我に返った。

 いけない、いけない、眠ってはいけない !

 なぜか知れず覚える警戒心にも似た気持ちと共に、懸命に自分に言い聞かせた。見知らぬ女の部屋だという意識のせいばかりではなかった。奇妙に緊迫した感覚が心の片隅にあって、それが無意識裡に大木の警戒心を誘っていた。

 睡魔はだが、そんな大木の警戒心にも係わらず、なおも強烈に分厚い重みとなって大木の上に覆い被さって来た。大木は次第に朧になる意識の中で、冬山での登山者の死を思った。

 遭難者は多分、こんな感覚で意識が薄れてゆくのに違いない。

 大木は今、自分が全くその時と同じ状況にいるような気がした。遭難者は眠ってしまえば、それが最後になるという。

 " 眠ってしまえば、もう、終わりだ "

 自分に言い聞かせながら大木は懸命に手足を動かし、ソファーから立ち上がろうとした。だが、体は意識とは裏腹に、力が抜けたように動かなかった。同時に睡魔は、手足の先から次第に体の中心部に向かって移行して来るのようで大木は、ああ、俺の体が手足の先から死んでゆく、と思ったその時、

「ベッドの用意が出来ました。どうぞ、こちらでお休み下さい」

 と言う、女の声がした。

 眼を開くと女の姿が見えた。一瞬大木は、その女が亡霊かと思って息を呑んだ。女の姿が遠く霞んで見え、ひどく存在感の薄いもの思えたのだ。

 だが、無論、女は亡霊などではなかった。透き通るように白い裸体に、青く透明なネグリジェを着て次の間の、眼を圧倒する程に強烈な深紅の照明の中に溶け込むようにして立っていた。

 女は大木の傍へ来ると、

「どうぞ、ベッドの上でお休み下さい」

 と囁くように言った。

「アッ、どうも」

 大木は混乱と共に言った。

 睡魔はまだ去っていなかった。すぐには立ち上がれなかった。

「手をお貸ししましょう」

 女は言って両手を差し延べた。

「疲れと酔いが一遍に出てしまったようです」

 大木は言い訳がましく言った。

「霧の中をお歩きになって、その疲れが出たのですよ」

 女は立ち上がる大木を抱え込むようにして抱きとめた。

 大木は女の両腕を背中に感じた。

 大木がその女に導かれるようにして入った部屋の中は総てが深紅であり、深紅が織り成す強烈な深紅の世界だった。大木は圧倒され、ただ黙って見詰めているばかりだった。

 女は大木のそんな深紅の世界から受けた衝撃にすぐに気付いたようで、

「これがわたしの部屋なのです」

 と、相変わらずの謎めいた微笑と共に言った。女の身に着けた青いネグリジェもこの世界では深紅に染まってしまうかのようだった。窓際の分厚いビロードのカーテンも、部屋の中央にあるベッドを覆うサテンのカバーも、床一面に敷き詰められたカーペットも、それぞれがそれぞれ独自の深紅を保ち、深紅の深さを競い合い、共鳴し合って、底知れない深紅の深い世界を演出しているかのようだった。

 女は大木を抱きかかえたままベッドの傍へゆくと、

「どうぞ」

 と言って、大木を座らせた。

 大木は自分が今、女との抜き差しならない関係の中に踏み込んでゆくのを予感した。しかし、だから言って、今更、そこから抜け出す事も出来ない気がした。こんな前代未聞の深い霧の夜の中で女と二人、孤立してしまった以上、その女性と愛を交わし、心を通じ合わせる事以外に、この孤独感から逃れ得る術はない気がした。

「霧の深い夜には、愛し合い、抱(いだ)き合って眠るのが最適なんですって、さっき、ラジオで言ってましたわ」

 女は自身も向こうへ廻ると、ベッドの上に身を横たえながら、大木を見詰めて言った。

 大木はしかし、その時、ベッドに横臥した女の肉体の上に奇妙な現象を見て身震いした。女の身にまとったネグリジェを通して影を落とす深紅の光りが、女の白い裸体の上に深紅と青の入り混じった濃淡の不思議な縞模様を描いていた。それが大木には、生と死の混在した奇妙な世界に見えたのだった。大木は恐怖の心に一瞬、たじろいだ。しかし、女の若さを秘めたしなやかな肉体は、そんな大木の恐怖感をも呑み込むかのように強烈に大木の欲望を誘っていた。大木は自虐的とも思える心を抱いたまま、奇妙な縞模様を描く女の肉体に眼を据えたまま、女の誘う眼差しに促されるかのように自ら上着を脱ぎ、ネクタイを外していた。

 女は大木がベッドの上に身を横たえると、待ち兼ねたように身を寄せて来た。そのまま大木のベルトに手をかけると一気に引き抜いた。その女の行為は、大木がもはや再び引き返す事を許さないない厳しい掟のような拘束力で迫って来た。

 大木はその時、何故か覚える絶望的とも言えるような哀しみの中で、女の青いネグリジェの中に手を差し込むと、その白い肉体を力を込めて抱きしめた。すると女が大木の唇を求め、二つの唇が重なった。そして更に、二つの肉体と肉体が重ね合わされ、その肉体が共に深紅の世界に包み込まれた時、大木は、みるみる間に自分の肉体が青く変色し、女の肉体の中に埋没してゆくのを感じて大木は思わず、

「ああ・・・・・」

 と叫んでいた。そしてそれは、大木が発した最後の声だった。それ以後、大木はもはや存在しなかった。

 

 

 大木が眼を覚ました時、寝室には枕もとのスタンドの小さな明かりが点っていた。

 寝室には普段と変わったものは何もなかった。

 傍には妻の治子が眠っていた。

 大木は眠っている治子の顔を見詰めた。

 ナイトキャップを着けているせいで、やや額が広く見えたが、普段の治子の顔となんら変わる事のない寝顔だった。

 " 俺は夢を見ていたのか、それも奇妙な夢を "

 大木は思わず口の中で呟いた。

 全身が冷たい汗に濡れていた。

" なんだって、あんな厭な夢をみたんだろう ? "

 夢が二重にも三重にもなっていた。夢の中で夢を見ていた自分はなんであったんだろう 、と奇妙な思いに捉われた。

 何処までが現実の自分で、何処までが夢の中の自分であったんだろう。そして今、ここにこうして目覚めている自分は、いったい、なんなんだろう。夢の中のどの自分なのだろう。治子は今ここにいて、眠っている。だが、これは本当の治子なんだろうか。間違いなく現実の治子なんだろうか。

 大木は治子が、揺り動かせばふっと消えてしまいそうな気がして、思わず、

「おい、おい」

 とだけ声を掛けていた。

 治子はいかにも深い眠りから覚まされたように、ぼんやり眼を開いた。

 覗き込むように見詰めている大木に気付くと、

「どうしたの ?」

 と、訝しげに聞いた。

「いや、なんでもない」

 大木はその治子を見ても、なお、混乱の収まらないままに、口の中で呟くように言った。

「夢でも見たの ?」

 治子は言った。

「いや」

 大木は言った。

 治子は何も知らないようだった。

 布団の中で体を動かさず、顔だけ向けて大木を見ていた。

 治子は本当に何も知らないのだろうか。何か隠して、何も知らない振りをしているだけではないのか。

 大木は治子への疑念に取り付かれた。その瞬間、大木はふと、何も知らない顔をしている治子への幽かな憎しみを覚えた。 

 

                        完

 

 

 

  

 

 

 

 

    

   

   



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