遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 240 小説 夢の中の青い女

2019-04-28 10:57:09 | 日記

         (5)

 

" 俺は現にここに居るのに、あの二人は俺が死んだなんて言っている。

 待てよ、これは役者が治子と三谷明に扮して演じている芝居ではないのか ? その証拠に、二人は明らかに舞台の上にいたではないか。 "

 大木は確かめるために墓石の陰から出ると、舞台の方へ歩いて行った。

 左手の袖にある小さな階段を登ると舞台へ上がった。

 舞台の上には照明だけが明るく、何もなかった。

 治子と三谷が消えて行った奥を窺うと、そこには部屋があって、大勢の人々が集まっていた。大木は不審に思い傍へ行ってみた。するとそこでは通夜が行われていた。部屋の正面に葬儀用の祭壇が設えられていて、いっぱいの供花に埋まるようにして黒枠の写真が飾られていた。大木は、さっき、治子と三谷が社長の葬儀は滞りなく終わりました、と話していたが、これはいったい、誰の通夜なんだろうと思いよく見てみると、写真の中には明らかな大木自身の顔が映っていた。

 大木は眼を疑い、狼狽した。

" やっぱりこれは、夢なんだ ! 紛れもない夢なんだ !"

 懸命に自分に言い聞かせた。

 しかし、大木にはそれでも納得出来なくて、焼香の順番を待つ人の傍へゆくと聞いてみた。

「いったい、これは何なんです ?」

 振り向いた男の顔を見て大木は更に驚いた。

 男は大木が経営するスーパーの四谷店店長だった。

 店長は大木の顔をチラッと見ると、全く見も知らぬ人でもあるかのように、大木を無視して正面を向いた。

「おい、松本。これはいったい、どうしたという事なんだ」

 大木は苛立ちを込めて言い放った。

「うるさい人だなあ。見れば分かるでしょう」

 松本店長は、まだ若い三十歳の顔に明らかな不満の表情を滲ませて言った。

「見れば分かるだろうって言ったって、あの写真の中の俺は現にここに居るじゃないか」

 大木は言った。

「いったい、あなたは誰なんです ? いい加減にして下さいよ」

 松本店長は語気を強めて言った。

「松本、よく見ろよ。俺だよ、俺。俺の顔をよく見てみろよ」

 大木は言った。

「知りませんよ、あんたなんか !」

 松本店長は怒ったように言った。

「知らない ? 知らないはずはないだろう。社長の大木だよ」

「バカを言っちゃあ、いけませんよ。大木社長の通夜が今、こうして行われているんですよ」

 松本店長はプイと顔を背けてしまった。

「冗談もいい加減にしろよ」

 大木は怒鳴った。

「冗談なんかじゃありませんよ。一人の人が亡くなったというのに、冗談なんか言えますか ?」

 松本店長は再び大木の方に顔を向けると、怒りを込めて言った。

 大木は苛々しながらも、松本店長との埒の明かない遣り取りに見切りを付けてその場を後にした。祭壇の前へ行き、自分が今、ここに居るという事を証明しようとした。

 それを見た松本店長が大声で叫んだ。

「変な奴がいる。頭のおかしな奴がいるぞ。そいつを撮み出せ」

 声を聞いた大勢の人たちが一斉に大木に注目した。それからすぐに、大木のそばへ来ると寄ってたかって大木を取り押さえ、僧侶の読経が続く中で突き飛ばすようにして廊下へ押し出した。その背後で、わざとらしく、大きな音を立てて扉が閉められた。

 大木は怒りで全身を震わせながら、閉ざされた扉の把手を握り、乱暴に廻した。

 扉は固く閉ざされたまま、ビクともしなかった。

 大木は悔しさのあまりに体ごと扉にぶち当てた。

 それでも扉は開かなかった。

" いったい、何がどうなってるんだ ! "

 大木は叫んだ。

 それに答える人はいなかった。

 大木は分厚い扉に隔てられたまま、しばらくはその扉に両手をついたままじっとしていた。

 たぶん、これは夢なんだーー。大木には分かっていた。

 だが、その夢の中でも大木は、夢と分かっていながら絶望していた。そして、その夢を見ている大木には、夢の中で絶望している大木をどうする事も出来なくて、ただ、手をこまぬいているより仕方がなかった。

 大木はようやく諦めると扉を離れた。落ちぶれ果てた人のように背中を丸め、人気のない廊下を歩き始めた。

 しばらく行くと今度は、右手に明かりの点いた部屋が見えて来た。それを見た時大木にはそれが、普段、見慣れている娘の牧子の部屋だという事がすぐに分かった。部屋の明かりが点いている様子から、中に牧子がいるのに違いないと判断した。

 牧子の部屋なら安心だ。大木は安堵の思い出で呟いた。

 大木と牧子は、牧子が難しい年齢にあるにも係わらず比較的、旨くいっていた。大学二年の勝男が何かと長男気取りで大人ぶるのに対して、牧子にはいつまでも子供っぽいところがあって、大木に甘えていた。大木もまた、牧子は眼に入れても痛くないといった表現そのままに、溺愛していた。二人は休日の買い物などにもよく出歩いた。

 牧子には道を歩く時、なにかと体を寄せて来る癖があって、大木の腕を取ると乳房の触れるのもかまわずに、ぶら下がるようにして歩いた。

「もっと離れて歩きなよ。お父さんが重くてかなわないよ」

 と言うと、いっ時離れてもすぐにまた、同じように体を寄せて来た。

 大木は一メートル六十を超える牧子の大人びた体にまぶしさを抱きながら、触れる乳房の柔らかい感触に親子の情愛の他に、甘酸っぱい微妙な酔い心地にも似たものを感じて戸惑った。

 どちらかと言うと牧子は母親似だった。そのきめ細かい陶器のように滑らかな肌は、若さに特有の艶めきに輝いていた。整った細面の顔立ちといい、恵まれた肢体といい、大木は娘が将来、美人になると見込んでいて、それも大木の人生の楽しみの一つだった。

 

 

 

 

 

 

 



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