基本的条件(2022.6.29日作)
人にはそれぞれ
異なった生き方がある
その人 それぞれは それぞれ
その人独自の生を
生きる権利を持っている
その人 それぞれ その生を生きる事の出来ない世界は
いびつな世界だ 無論 人 それぞれ
自分の世界を生きる上に於いての基本的条件
人が生きる上での基本的条件は存在する
他人の生きる権利を侵してはならないーー
人が生きる上に於いての基本的条件
ーーーーーーーーーーーーーー
面影の人(完)
三上は同級生の彼女が東京へ来ている事を知らなかった。月島の佃煮屋で働いていた三上が、銀座にあるデパートの地下食品売り場へ商品を納めに行って、偶然、その店で働いている菜穂子と出会った。以来、二人は東京の街で同じ故郷を持つ者同士、労わり合うように休日などを一緒に過ごすようなっていた。
そんな二人の関係はほぼ、三年程続いた。だが、ある日、菜穂子は突然、父の病気の為に田舎へ帰らなければならなくなった、と言った。
三上はその言葉を聞いた時、別段の思いを抱く事もなかった。小学校から中学校卒業までの九年間を同じ教室で過ごして来た菜穂子には、彼女が余りに近すぎる存在に思えていて、特別な恋愛感情を抱く事もなかったのだ。それで田舎へ帰るという言葉を聞いた時にも全くの友達感覚で、
「じゃあ、お父さんの病気が良くなったら、また、東京へ来るんだろう」
と言っていた。
菜穂子はそれには
「ええ」
と答えたが、その答え方には、何処かに曖昧な響きがないではなかった。
三上はそれでも、大して気にも留めていなかった。
それから後(のち)、田舎へ帰った菜穂子からの手紙が届いたのは二年半程が過ぎてからだった。
三上はその時、佃煮屋を辞めていた。
三上の気持ちの中では東京の生活に馴れるに従って次第に、華やかな生活に憧れる気持ちが強くなっていた。朝八時から、夕方六時までの長時間、昼食時に一時間の休憩があるとはいえ、長靴姿で働き続ける仕事に嫌悪感を抱くようになっていた。
結局、三上は佃煮屋での仕事を辞めた。
以来、菜穂子からの手紙が届くまでの間に三上は、十ヶ所以上の職場を転々としていた。どの職場にいても、自分の気持ちの満たされる事がなかった。そして何時の間にか、親も兄妹もいない独り身の生活には、制御する者のいない無頼の匂が立ち込めるようになっていた。
菜穂子の手紙がアパートの郵便受けにあるのに気付いたのは、それが届いてから十日以上が過ぎてからだった。広告のチラシが溢れているのに気付いて郵便受けを開け、菜穂子の手紙を見付けた。
菜穂子からの手紙だと気付いた時、三上は奇妙な胸の高鳴りを覚えた。新宿の繁華街で職場を渡り歩きながら、いかがわしい日々を生きる現在の三上には、僅か二年と少し前の事ではあっても、清潔に毎日を生きていた日々と共に、菜穂子と一緒に過ごした休日の思い出などが限りなく懐かしいものに思えた。
急かれる気持ちで開いた封筒には、二枚の便箋が入っていた。そこには、菜穂子の実家での生活が何気ない言葉遣いと共に綴られていたが、最後に、「お見合いの話しがあるんだけど、どうしようかと思っているところです」と書いてあった。さりげなく、呟きのようにそれは書かれていたが、読んだ途端に三上の胸には激しく響いて来るものがあった。
三上はその言葉の前で立ち竦む思いがしていた。
日付を見ると見合いの日は二週間後になっていた。
三上は無意識裡に手紙の書かれた日から二週間後を計算していた。--明日がその日だった。
三上は心の凍る思いがした。焦る気持ちの中で、見合いを止めなければ、と咄嗟に思った。
何故なのかは分からなかった。菜穂子を離したくない思いだけが急速に立ち上り、三上の気持ちを突き動かしていた。
三上は急き立てられる思いと共に、取り敢えず、菜穂子に会ってみようと考えた。会って何を話すかなどは考えなかった。とにかく、直接、会って、今の急かれる気持ちを伝えたい・・・。
電話で話すにはもどかしかった。実家の電話番号も分からなかった。
三上はすぐに服を着替えてアパートの部屋を出た。
急かれる気持ちで四十分程電車に揺られ、乗り継ぎの駅で降りた地方都市の昼下がりの駅ホームは人影もまばらだった。
三上は備え付けの木製の長椅子に腰を下ろすと、次に乗る電車の来るのを待った。
その電車を待つ三十分程の間に、だが、三上の心の中では微妙な変化が生まれていた。一時の高揚した気分が収まり、冷静に自分を見つめ直す心の余裕を取り戻していた。
いったい、俺は次に来る電車に乗って行って、菜穂子に会い、それからどうしようと言うのか ?
冷静な心で考えてみると、見えて来るものが何もなかった。
華やかなネオンに彩られた新宿の夜の街で、如何わしい日々をその日暮らしに生きている自分の姿だけが浮かんで来て、そんな自分には例え、菜穂子に会ったとしても、自信を持って言える言葉などない、という気がした。まして、菜穂子に見合いを止めろなどと言える資格はない・・・。
三上は現在の自分自身の生き方を考えて深い絶望感に捉われると、ようやくホームに入って来た電車に乗る事も出来なかった。
結局、三上は深い絶望感を抱いたままアパートの自分の部屋へ帰ると、心にも無い言葉を連ねた菜穂子への手紙を書いた。
" ちょっと、家に居なかったものだから、返事が遅くなってしまってごめん。昨日、初めて手紙を見たんだ。見合いをするんだって ? いい結婚をして幸せになれよ "
菜穂子からの返事はなかった。
三上はそれから一年以上が過ぎてから菜穂子からの手紙を思い出し、改めて、菜穂子があの時、あの手紙を書いて来たのは、俺が見合いを引き留めるのを期待しての事だったのではないか、と考えるようになっていた。そし、そう考えると、今更ながらに、菜穂子の気持ちを汲み取れなかった自分の愚かさと共に、取り返しの付かない思いの後悔に苛まれ、深い自責の念に捉われずにはいられなかった。
結局、三上はその後、菜穂子が結婚したのかどうかは、知る事が出来なかった。
菜穂子からの音信は途絶えたままだった。
四
三上は現在、小さな事務所を構えてカメラマンとして仕事をしている。
しかし、それは世過ぎの為のものであって、関係しているのは如何わしい仕事ばかりだった。世間に誇れるような仕事は何一つして来なかった。
菜穂子と向かい合って過ごした喫茶店でも三上は、今はカメラマンとして仕事をしているとは話したが、その内容までは話さなかった。話せなかった。猥褻に近い仕事の内容など、菜穂子に話せるものではない。
結婚は一度もしなかった。理由はなかった。そういう気持ちになれなかっただけの事であった。
静かな田園風景の中を走るディーゼルカーの車窓には、色とりどりの紅葉が描き出す鮮やかな色彩を溶かし込んで、夜の闇が迫って来ていた。三上が見つめるそんな車窓には、今、別れて来たばかりの菜穂子の落ち着いた姿が、その好ましい印象と共に、次第に増して来る闇の深さに比例するように、だんだんと強く浮かんで来た。三上は今更ながらに甦る菜穂子のそんな姿に、もし、三十数年前のあの時、あの乗り換え駅で菜穂子に会う事を諦めずに帰らないでいたら、今の菜穂子はどんな姿になっていたのだろう、と考えた。更に、自分自身はどんな人生を歩んでいたのだろう・・・?
菜穂子の落ち着いた好ましい姿に少しの羨ましさを抱きながら三上は、現在の自分の決して世間に誇る事の出来ない人生を生きている姿に、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかった。そして、その時には、ほんの些細な事にも思える事柄が、その後の人生には大きな意味を持つ事があるものだ、と過ぎ去った過去への悔いと共に " あの時 "を思わずにはいられなかった。
完
ーーーーーーーーーーーーーーー
桂蓮様
有難う御座います
身体へのお気遣い 感謝申し上げます
新作 拝見しました
冒頭の写真にまず、眼を奪われました
気持ちが洗われます
まるでキャンプ場のように見えますが・・・
広いアメリカ 当たり前の風景でしょうか
苦痛の解釈 幼い頃の記憶がもたらす苦痛
なぜ あんな事を・・・ 以前 わたくしの記事の中でも
書いた事があります 傲慢だった自分 取り返しの付かない過去
過去を忘れる事が出来たらどんなに楽だろう と
肉体的苦痛は対処の仕方も分かり易いのですが
心の苦痛 こればかりはどのようにしたら良いのか
分からないだけに厄介です その点 禅にすがるのも
一つの方法かも知れません 何事もあるがままに受け入れる
総て善し 即今 今を生きる 日日好日(にちにちこうにち)
バレービギナー 過去の自分が見えて来ますね
考えずに出来る 何事に於いてもこうなってこそ 本物ですね
桂蓮様も本物に近付いているという事ではないのでしょうか
日本のこの猛暑 空がどうにかなってしまったようです
バカ陽気です 広いアメリカ そんな所もあるのですね
でも 冬は寒い これも御免こうむりたい事ですが
何時もいろいろ お眼をお通し戴き 書いて下さって
有難う御座います
気の向いた時にでもお越し戴けましたら嬉しく存じます
有難う御座いました
takeziisan様
何時もお眼をお通し戴き有難う御座います
今回もブログ 楽しく拝見させて戴きました
つゆ草 懐かしいですね 田舎にいた頃 至る所に自生していた草花です
こちらに来てからも時折り眼にしますが 田舎に居た頃のような
美しさを感じる事がありません やはり周囲の
環境が大切な要素なんでしょうね
梅雨明け 去年は待ち遠しく 今年は物足りない
自然は人の手には負えないものですね それにしても
こちらはちっとも雨が降りません 雑草さえが黄色く
枯れています 植木の水やり一仕事です
ジョニー レイは 確か この曲でブレークしたのですよね
星空の美しさ 懐かしいですね もう一度 あの頃に戻りたいものです
地方の山岳地帯にでも行けば 見る事も出来るかもしれませんが
それだけの体力があるかどうか
ショパンの雨音 父親の写真 歳を取ると自ずと似て来るようです
わたくしも最近 似て来た とよく言われます
今回も川柳 堪能しました それにしても お上手だと感心致します
これからも楽しませて下さいませ
病院通い一日がかり
本当に一日がかりですね 幸いわたくしは健康診断の結果
今年も何処も悪い所はありませんでした これだけは
幸運に感謝です
野菜作り 都会の真ん中では味わえない醍醐味です
拝見していまして なんだか羨ましくなります
ジム通いより はるかに健康的ではないのでしょうか
お裾分け いいですね 日常の御近所とのお付き合いの姿が
自ずと眼に浮んで来ます 気持ちが温もります
珍しい花々 今回も楽しませて戴きました と同時に
ふと 頭に浮かんだ言葉があります
「老いてなお 健脚誇り 野辺の花」
野辺を歩き廻り 写真に収める 名前を調べる
時には手折ってみる ふと そんなお姿を想像して
この言葉が湧いて来ました
「老いて」はちょっと失礼か とも思いましたが
わたくし自身と同年配かと御推察して まあ いいか と思った次第です
お汲み取り戴けたらと思います
何時も 有難う御座います
御礼申し上げます
削除して下さい。
何でもできるようにオープンな感じでしたので、
私もあの広さにびっくりして
写真撮ったのです。
あそこで夫とフリスビーやって
爪切られました。
実際、あの広さは
呆然とします。
野球場もあって、サッカー場もあって
とにかく広かったです。
うちはグランビー市で
隣はシムズベリー市で、その公園があるのです。
私の市より裕福な市です。
だからか、豪華でしたね。
税金も高いし、スーパーの値段も高いです。
けど、うちらそこに結構買い物に行ったりしてます。
たまささまは書いてある文だけで
言っていないことも
読み取れるのですね。
文字打っている今は
日曜の深夜、もう月曜の朝の3時頃です。
最近は腰も痛めたので
家で練習ができないです。
だから、YouTubeの講義系のビデオを観て
(うつ伏せになって文字打ってます)
知識系を増やしているところです。
今回も余韻を残しづつ完になりましたね。
行っていない道、みたいな感じが切ないですねえ。