『僕だけがいない街』のストーリーの核は、「主人公が大人の意識と記憶を持ったまま、子供のころの自分の体に戻る」というところにある。一口にタイムトラベルと言っても、いろいろな種類があるようで、この主人公のような、特殊能力を使っての時間旅行は「タイムリープ」と呼ばれる。
ほかにタイムリープを扱った映画は、『時をかける少女』(83)、『未来の想い出』(92)、『バタフライ・エフェクト』(04)、『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』(13)などがある。
そのほか、「タイムトラベル」は、時間旅行全体のほかに、タイムマシンなど何らかの装置を使っての時間旅行を差すので、元祖『タイムマシン』(59)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ、『ターミネーター』シリーズ、『12モンキーズ』(95)、『ルーパー』(12)などがこれにあたる。
片や「タイムスリップ」は、事故や災害など無作為な自然の力による時間旅行を表わすので、『戦国自衛隊』、『ファイナル・カウントダウン』(80)、『ある日どこかで』(80)などがこの種別に入る。
もう一つ、同じ時間を何度も繰り返す=時間の反復は「タイムループ」と呼ばれる。これは描き方によってはまさに“ネバーエンディング・ストーリー”にもなるわけだが、『恋はデジャ・ブ』(93)、『タイムアクセル12:01』(93)、『ターン』(01)、『ミッション:8ミニッツ』(11)、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(14)など、どちらかと言えば、ここに佳作が集中しているような気もする。
ところで、『12モンキーズ』で、過去と未来を行き来するブルース・ウィリス扮する主人公が、ヒッチコックの『めまい』(58)を見ながらこんなセリフを言う。「過去も映画を見るのと似ている。映画は同じなのに、見る自分が変わると違う映画に見える」と。もともと映画には現在、過去、未来のどこにでも行けるタイムトラベル的な要素があるが、このセリフを聞いた時に、映画を見ること自体が一種のタイムトラベルなのかもしれないと思ったものだった。
つじつま合わせが下手過ぎる
ある時点まで何度も時間が巻戻るリバイバル(再上映)という現象に巻き込まれた主人公(藤原竜也)が、現在(2006年)と過去(1988年)を行き来しながら、過去の連続児童殺人事件の謎と真犯人に迫る。
この映画もまた、最近流行の、漫画→テレビアニメ→映画という形態の一環。
映画の「テーク~(撮り直し)」を利用すれば、現実にはあり得ない、同一人物による幾通りもの現在、過去、未来を描くことが可能になる。
その点、タイムトラベルものは、映画向きの題材ではあるのだが、そこに説得力を持たせるには、ディテールへのこだわりやつじつま合わせが不可欠になる。
この映画の監督はテレビドラマ「JIN-仁-」の平川雄一朗だから、漫画が原作のタイムトラベルものは得意なはずと思いきや、つじつま合わせが下手で、現在と過去とのつながりや対比がうやむやになってしまう。
加えて、主人公が過去を変えたことで起きた現在の変化の様子の描き方も中途半端。真犯人はすぐに分かってしまうし、藤原と石田ゆり子がとても親子には見えないのも難点。
原作漫画が未完のうちに映画化したということは、ある意味描き方に幅ができたはずなのだが、原作未読の者から見ても、ラストの決着のつけ方はかなりひどいものとして映った。
タイムトラベルものは、もともと現実離れをしているだけに、中途半端な作りでは余計にあらが目立つことになる。