以前、彼について書いたものを転載して哀悼の意としたい。
1925年2月18日、米ニューヨーク州ニューヨーク市生まれ。193センチ。父はオーケストラの指揮者。母はバレエダンサー。幼い頃から舞台に立つ。第二次大戦で陸軍に入隊。終戦後も軍に残り、軍関係のラジオやテレビで活躍。60年に映画デビュー。
パニック映画の顔となった“グッドバッドガイ”
デビュー当時は、軍人あがりの“冷たい目の男”と呼ばれ、たくましい体を武器に悪役として売り出したが、次第に“グッドバッドガイ(心優しき悪党)”に変身。その個性を生かした『暴力脱獄』(67)でアカデミー助演賞を受賞し、『新・荒野の七人 馬上の決闘』(69)では、リーダーのクリス役をユル・プリンナーから引き継ぐまでに出世した。
やがて少々荒っぽいが根は善良な人柄を前面に出し、頼れる男として「エアポート」シリーズなどで、70年代にブームとなったパニック映画の顔となる。「『タワーリング・インフエルノ』(74)で消火活動がはかどらないのは、ジョージ・ケネディが出ていないから…」とジョークのネタになるほどその存在感は大きかった。
他方、クリント・イーストウッドの相棒役を演じた『サンダーボルト』(74)と『アイガー・サンクション』(75)も忘れ難い。また、角川映画の『人間の証明』(77)と『復活の日』(80)にも出演し、日本でもなじみが深い。
だが80年代に入るとB級映画の顔へと急落。『裸の銃を持つ男』シリーズでの不慣れなコメディー演技などは、往時を知る者にとっては寂しいものがあった。
昭和初期の松竹撮影所の青春群像
この映画は、松竹50周年記念作品として製作され、昭和初期の松竹蒲田撮影所内の青春群像を描きました。そしてサイレントからトーキーへと移行するこの時代は映画自体の青春時代でもありました。
監督は山田洋次、脚本に井上ひさしと山田太一が参加した豪華版です。
中心に描かれるのは、田中絹代をモデルにした新進女優・田中小春(有森也美)と助監督の島田(中井貴一)との淡い恋です。
島田は映画作りに絶望した上に、小春にも失恋し、一度は撮影所から去りますが、留置場で映画好きの牢名主(ハナ肇)と出会い、思想犯として追われている先輩(平田満)から「もっと映画を信じろ。君は素晴らしい仕事をしている」と諭され、自家で働く幼い女中の唯一の楽しみが映画であることを知るなどして、決意も新たに撮影所に戻ります。
これらは類型的な描写ですが、こうした市井の人々が映画を支えていることを映画人は肝に銘じなければならないということ。そうした思いが、蒲田調(後に大船調)と呼ばれる松竹映画の社風につながっていったのです。
名を変えて登場する、若き日の城戸四郎撮影所所長(松本幸四郎)や監督の小津安二郎(岸部一徳)、斎藤寅次郎(堺正章)らのパロディも見られます。小春を諭す父親役の渥美清、小春をしごく監督役のすまけいの名人芸も楽しめます。
「虹の都 光の湊 キネマの天地」で始まる「蒲田行進曲」を基調に、明るく元気な気持ちにさせる山本直純の音楽も印象に残ります。