田中雄二の「映画の王様」

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『さかなのこ』

2022-08-02 08:53:30 | 新作映画を見てみた

『さかなのこ』(2022.7.26.映画美学校)

「好きが、人生を決めていく」

 さかなクンの自叙伝『さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~』を原作とし、少年ミー坊がさかなクンに成長するまでの過程を描く。監督は沖田修一。

 最初に「男か女かは、どっちでもいい」という字幕が出る。確かに、この映画の最大のポイントは、女性ののんが男性のさかなクンを演じるところにあると思ったのだが、少年時代の子役(女子)も含めて、見ているうちにそんなことはどうでもよくなってくる。

 つまり「男か女かは、どっちでもいい」と思えることが、この映画の最大のポイントだったのだ。その点、どこか中性的で、不思議キャラののんの魅力が存分に発揮されている。

 沖田監督に『子供はわかってあげない』(21)についてインタビューをした際、「生活感やコメディーを映画にしたいという思いがある」と語っていたが、この映画も、笑いの中から、個性やジェンダーについて考えるヒントを得ることが出来る。

 また、ここでは、母親(井川遥)をはじめとする、身近な理解者に支えられながら、ミー坊が魚好きを貫く姿勢が、周囲の人々にも好影響を与えていくという、不思議な循環が描かれる。

 特に、狂犬=ヒヨ(柳楽優弥)、総長(磯村勇斗)、カミソリ籾(岡山天音)といった不良たち、幼なじみのモモコ(夏帆)とミー坊との関係性が面白い。このあたりは、主人公を中心にした群像劇を得意とし、「脚本の段階から、登場人物の皆に光が当たるようにという気持ちでいる」という沖田監督の真骨頂が見られる。

 彼らは年齢を重ねることで当然変化していくのに、ミー坊だけはずっと変わらない。ヒヨや総長が吐く「お前変わってねえなあ」というセリフは、ある意味憧憬を表しているとも思える。これは、同じく監督・沖田修一と脚本・前田司郎が描いた『横道世之介』(13)の世之介(高良健吾)と周囲の人々との対比にも通じるところがあると感じた。

 そして、ミー坊を通して 夢中になれること、大好きなこと、得意なことを貫く楽しさと難しさが描かれる。さかなクンが「この映画は『さかなのこ』だが、世の中にはいろんな「~こ」がいる」と語っているが、そうなると自分はさしずめ「えいがのこ」だ。

 好きなことを仕事として生きていくのはそれはそれで大変なのだが、この映画を見ていると、それは幸せなことで、ぜいたくな悩みなのかもしれないと思えてきた。


【インタビュー】『子供はわかってあげない』沖田修一監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b400a897e65fd9aa9bc0c48ebb781800

『横道世之介』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/00f852cffe8df82fa534f4bec26c170a

【インタビュー】『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』のん
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ef7705ecd90874abad7872f46ca69b1b

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