
最近、テレビシリーズ「ウルトラマン」(66~67)の内の何本かを見る機会を得た。
「ウルトラマン」は、円谷プロのスタッフの多くはもちろん、キャストもキャップ役の小林昭二以外は、東宝の出身だし、ゲストとして平田昭彦ら、東宝の俳優たちがたびたび出演した。だから、東宝の特撮映画の残り香というか、面影を感じさせるところが多分にあった。そして、そこにテレビ局(TBS)のスタッフが加わることで、保守と革新が一緒になったような、魅力的なドラマが展開されたのだ。
監督の一人で、当時TBSにいた実相寺昭雄は、著書『ウルトラマン誕生』の中で、「監督のローテーションはベンチ入りするピッチャーの使い分けに似ている。エース格の円谷一さんをふくめて、飯島(敏宏)さん、野長瀬(三摩地)さんの三本柱。おさえの切り札として満田(かずほ)さん、新進の鈴木(俊継)さんに、技巧派の樋口(祐三)さん。そして、ぼくはローテーションの谷間で起用され、変化球を投げた、というような感じだ」と書いている。これは言い得て妙だ。
このパターンは、脚本にも当てはまり、金城哲夫を中心に、山田正弘、藤川桂介、上原正三、佐々木守、若槻文三が代わる代わる書いたほか、千束北男(飯島)、南川竜(野長瀬)、海堂太郎(樋口)と、監督がペンネームを使って書いた脚本もある。
だから、「ウルトラマン」は、バラエティーに富んだラインナップになったのだ。
また実相寺は、同じく著書『怪獣な日々』の中で、「とりわけ「ウルトラマン」シリーズを特徴づけているユーモア、あたたかさ、どことなく抜けたような大らかさ、そしてメルヘン調の味わいはツブちゃん(円谷一)の人柄そのものの発露のようにも思える」とも書いている。あとは、近未来の設定と製作当時(1960年代後半=昭和40年代前半)の風景や風俗が混在する面白さもあった。
そうした特徴が、一種、アットホーム的でこじんまりとしていた科学特捜隊から、ウルトラ警備隊へとスケールアップした「ウルトラセブン」では希薄になった。
また、敵が怪獣中心だった「ウルトラマン」から宇宙人に変わった「ウルトラセブン」では、毎週宇宙人に侵略される地球(日本)が描かれ、30分枠の中に、結構強引にテーマを盛り込んで重苦しくなり、随分無理をしている感じがした。
ところで、科特隊の紅一点、フジ・アキコ隊員(桜井浩子)が、「ウルトラセブン」の友里アンヌ隊員(菱見百合子)とは別種の魅力を発散していたことを思い出した。
後に、実相寺が監督した映画『曼陀羅』(71)『哥(うた)』(72)『歌麿 夢と知りせば』(77)で桜井を起用し、“裸”にしたことを考えると、彼も彼女が醸し出すエロチックさに注目していたのだろう。
さて、『シンウルトラマン』は、オリジナルから散々引用しながら、金城をはじめ、誰の名もクレジットされていない。これは何か理由があるのだろうか。
「ウルトラマン」イデ隊員 二瓶正也
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「ふたりのウルトラマン」「私が愛したウルトラセブン」
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