強さや活躍よりもユーモアが愛される“アントマン”に注目 ポール・ラッド「スコット・ラング=アントマンは自分を楽しんでいる」
『ツイスター』(96)
幼い頃、大竜巻で父を失った女性科学者ジョー(ヘレン・ハント)は観測チームのリーダーとなって竜巻を追っていた。そんな彼女のもとに、夫のビル(ビル・パクストン)が離婚届にサインを求めて訪ねてくる。かつてジョーと同じチームにいたビルは、自身が考案した竜巻観測機を見て心が騒ぐが…。
家も車も牛も巻き込む大竜巻の脅威を、CGなど視覚効果を駆使した迫真の映像で描き、話題となったスティーブン・スピルバーグ製作総指揮のパニック大作。
撮影監督として名をはせたヤン・デ・ボンの『スピード』(94)に続く監督作。脚本はマイケル・クライトン、撮影はジャック・N・グリーン。竜巻ハンターというのがいることをこの映画で初めて知った。
古くは『オズの魔法使』(39)や『プレイス・イン・ザ・ハート』(84)など、物語の重要な一部として竜巻が出てくるものはあったが、この映画を境に、『デイ・アフター・トゥモロー』(04)や『イントゥ・ザ・ストーム』(14)といった竜巻をメインにした映画が登場するようになった。
中には、ウォータースパウト(水上竜巻)が、海からサメを吸い上げてロサンゼルスに放つ『シャークネード』(13)などという珍品もある。
『オズの魔法使』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/8bea5b048a5b828b840ec0ce505ea92c
『プレイス・イン・ザ・ハート』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b65ae04bd65c270fe8aa7425be99c328
『デイ・アフター・トゥモロー』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c7d1c8b8d979362b44d3754378967d2b
『イントゥ・ザ・ストーム』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f5c33d770a2c0cada37bb9bfde09f6a5
『アリス・クリードの失踪』(09)(2011.5.19.京橋テアトル試写室)
冒頭の約10分間、セリフも音楽も一切なく、整然と部屋を改装する2人の男、ヴィック(エディ・マーサン)とダニー(マーティン・コムストン)の姿が延々と映される。ところが、ただそれだけの描写なのに、きっちりと計算された構図とテンポの良さで見る者を引き込む。一体これから何が起きるのかとゾクゾクしてくる。
実は2人の目的は、アリス・クリード(ジェマ・アータートン)という名の女を誘拐することで、部屋の改装は彼女を監禁するための準備だったのだ。そして2人はアリスの誘拐に成功するが…。
登場人物はこの3人のみ。アリスが監禁された部屋と2人の男がいる隣の部屋だけでストーリーが展開する一種の密室心理劇なのだが、ストーリーが二転三転し、3人の立場もくるくると変化する。そもそも、なぜアリスが選ばれたのかにもちゃんと理由があるのだが…、さて最後はどうなるか。
監督・脚本のJ・ブレイクソンの、監督デビュー作とは思えぬ細かい演出とひねりの利いた脚本が見事。多少グロい場面もあるが、ところどころに滑稽味もあり、なかなか楽しめた。今後への期待が膨らむ。3人のくせ者による“トライアングルの演技合戦”も見ものだ。
洞窟探検家・吉田勝次の狂気じみた探検の様子を見せる「探検アドベンチャー 魅惑のポッカリ穴」(NHK)というドキュメントを見ながら、思い出したのが、この2本の映画。
『サンクタム』(11)(2011.9.17.MOVIX亀有)
「なんで洞窟なの?」(旧ブログ「お気楽映画談議」から)
妻:3D好きとしては、押さえておきたい『サンクタム』ということで…。洞窟探検家父子のお話。
夫:『アバター』(09)のジェームズ・キャメロン、今回はプロデューサーのみだけど、地下水、地下湖、大雨、海とくれば、過去の監督作である『アビス』(89)『ターミネーター2』(91)『タイタニック』(97)に続く“水を使った特撮もの”の流れを汲んでいる映画だとも言えるね。
妻:洞窟ものを3Dにするって微妙ね。アリの巣のような巨大洞窟探検を映像でリアルに表現したい気持ちは分かるんだけど、場所が場所だけに壮大なようでいて、実はせせこましいような…なんだか中途半端な気がしたわ。
夫:閉所や迷路を3Dにしても距離感がつかめないから画面に入り込めない。何でも3Dにするのはどうかと思うな。
妻:玉泉洞、秋芳洞、井倉洞、満奇洞、行ったことのある鍾乳洞(観光地)の記憶を総動員ながら見つつ、暗くて恐ろしいあんな場所を探検するなんて私には絶対に無理だと思ったわ。『ディセント』(05)みたいになっちゃったらどうすんのー。洞窟だけにホラー穴!。というよりは、スプラッターといったほうがいいぐらいの血しぶきで、あれはすごかったわ~
夫:洞窟だけに話が横穴に入ったね。地底ものと言えば、昔テレビで見たジュール・ベルヌ原作の『地底探検』(59)は、今から思えば随分牧歌的な特撮だったけど面白く見た覚えがあるよ。
妻:話を戻しまして、『サンクタム』で偉大な洞窟探検家ではあるが、価値観の違う父のことを理解できない息子が「何で洞窟なの?」と尋ねる場面では「よくぞ聞いてくれました!」と思ったもんよ。
夫:洞窟フェチオヤジの懺悔と父子の和解を3Dで見せられてもねえ…。彼らが和解する間に周りの人間が次々に死んでいくのも後味が良くなかったなあ。人間ドラマとしてもイマイチでした。
『ディセント2』(09)(2011.5.22.ムービープラス)
妻が『1』は面白かったと推薦。しかも先に見た『アリス・クリードの失踪』(09)のJ・ブレイクソン監督が、脚本家として参加しているとのこと。
というわけで見てみると、これは『エイリアン』(79)の地底版とも言うべきB級ホラーだった。血しぶきなどは、見ていてあまり気持ちのいいものではないが、特殊メークと着ぐるみで表現された地底人の滑稽味が残酷描写を緩和している。
ブレイクソンの脚本という意味では、密室、どんでん返し、グロさと滑稽味の共存が『アリス・クリード~』と通じるのかな。含みのあるラストを見ると『3』もありそうだが。
『バイオレント・ナイト』(2023.1.20.東宝東和試写室)
物欲主義になった子どもたちに嫌気がさし、すっかりやさぐれたサンタクロース(デビッド・ハーバー)。それでも数少ない良い子にプレゼントを届けるため、トナカイの引くソリに乗ってクリスマスイブの空を駆け回っていた。
ある富豪一家の豪邸に降り立ち、煙突から中へ入ったサンタは、金庫にある3億ドルの現金を強奪しようと邸内に潜入した悪党のスクルージ(ジョン・レグイザモ)一味と人質となった富豪一家と遭遇。
知らぬふりをしてその場を去ろうとするも、結局騒動に巻き込まれる。戦闘能力ゼロのサンタが、武装集団を相手に孤軍奮闘。すると、もともとはバイキングだったサンタがかつての自分に目覚めて…。
手を変え品を変え、作り続けられるクリスマスの奇跡映画とサンタクロース映画だが、この映画は、『ホーム・アローン』(90)+『ダイ・ハード』(88)に、グロテスクなバイオレンス味を加えた、クリスマスファンタジーの変化球映画という感じ。
確かに、アイデアやアクションは面白く、全米では結構ヒットしたようだが、このバイオレンスに満ちた映画を、クリスマス映画として家族で見るというのは、どうなのだろうという気がした。
監督のトニー・ウィルコラは、サム・ライミの『死霊のはらわた』(81)を参考に、「恐怖と暴力とコメディを同時に表現すること」を目指したのだという。
そんなこの映画を見ながら思い出したのが、『デビルコール/魔界からの誘惑』(91)という映画。
2人の少女が、テレビで見ていたジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)と、フランク・キャプラ監督のクリスマスの定番映画『素晴らしき哉、人生!』(46)が、なぜか"合体する”シーンがあったのだ。
つまり、『素晴らしき哉、人生!』のラストのジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュワート)の家に集まる人々が、皆ゾンビになるというわけ。あれもハートウォームの場面を、一瞬にして恐怖と暴力とコメディに変えた妙な映画だった。
共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
映画と映画館に恋をした少年。映画愛に満ちた『エンドロールのつづき』
『フェイブルマンズ』(2023.1.16.完成披露試写.TOHOシネマズ日本橋.)
両親に連れられて、映画館で『地上最大のショウ』を見て以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母(ミシェル・ウィリアムズ)から8ミリカメラをプレゼントされる。
成長したサミー(ガブリエル・ラベル)は、映画を撮ることに熱中していく。かつてピアニストを目指した母はそんな彼の夢を支えてくれるが、エンジニアの父(ポール・ダノ)は、単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。
スティーブン・スピルバーグが、映画監督になるという夢をかなえた自身の原風景を描いた自伝的作品。脚本はスピルバーグとトニー・クシュナー、撮影はヤヌス・カミンスキー、音楽はジョン・ウィリアムズ。
スピルバーグが「私の作品のほとんどが、成長期に私自身に起こったことを反映したもの。たとえ、他人の脚本であろうと、否応なく自分の人生がフィルム上にこぼれ落ちてしまう。でも、この映画で描いているのは、比喩ではなく記憶」と語るように、1950~60年代のユダヤ系アメリカ人の日常生活や家族の姿、差別などが赤裸々に映される。時代や場所は異なるが、ケネス・ブラナーの『ベルファスト』(21)と重なるところもある。
前半は、『レディ・プレイヤー1』(18)でインタビューした際に、「3人の妹たちに毎晩怖い話をして驚かせたので、父から『怖い話ではなく、いい話をしなさい』と怒られた」と、楽しそうに語っていたような、和気あいあいとした家族の姿と、早くも映画監督としての才能を開化させるサミーの姿が描かれる。
ところが、父が転勤するたびに引っ越しを繰り返し、やがて両親の間に不協和音が生じ始め、サミーも転校先でいじめに遭う後半は、雰囲気が一変する。ここでは、『未知との遭遇』(77)の家族の崩壊や、『E.T.』(82)の母子家庭の様子が重なって見えるところがある。その点でも、これはまさにスピルバーグの自己解放映画だと思った。
そんな中、サミー(現在のスピルバーグ)が撮った家族の風景、西部劇や戦争映画、高校時代の記録を見ていると、まさに「栴檀は双葉より芳し」という感じがする。
好きなもの、熱中できるものを見つけることが大切だということは、最近の『さかなのこ』や、黒澤明の遺作『まあだだよ』(93)でも、内田百閒の言葉として「みんな、自分の本当に好きなものを見つけて下さい。見つかったら、その大切なもののために、努力しなさい。きっとそれは、君たちの心のこもった立派な仕事となるでしょう」と語られていた。
この映画では、サミーの大伯父役のジャド・ハーシュが似たようなことを語るが、先のインタビューの最後に、スピルバーグが「私もまだ大人になっていませんが、映画監督をしているので何とかなっています」と笑っていたのを思い出した。
映画(映像)という面に目を向けると、幼いサミーが、暗い部屋でフィルムを手に映し、手の平の上で動く絵に驚嘆するシーンは、『エンドロールの続き』とも重なるいいシーンだが、この映画は「映画がいかに人々を楽しませ、照らし、暴露し、心を操り、神話化し、悪魔と化すか」「映像制作が人の心を打ち砕くこともある」(プレスシートの「バックストーリー」から抜粋)という映画が持つ多面性を描いている。
人は映像に救われることもあるが、映像で傷つくこともあるということ。単なるノスタルジーやいい話ではなく、こうした、映画(映像)が抱える二律背反、功罪、光と影をきちんと示し、それでも映画は素晴らしいとしたところに、この映画の深みがある。
さて、映画狂のスピルバーグのことだから、彼の好きな過去の映画がたくさん出てくるのかと思ったら、意外にも、セシル・B・デミルの『地上最大のショウ』(52)とジョン・フォードの『リバティ・バランスを射った男』(62)だけだった。もっとも、それが感動的なラストシーンにちゃんとつながるのだけれど…。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を見た時は、ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンのゴールデングローブ賞の受賞は順当だと思ったが、この映画を見ると、ミシェル・ウィリアムズとポール・ダノも甲乙つけ難いと感じた。
【インタビュー】『レディ・プレイヤー1』スティーブン・スピルバーグ監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0252d427482eb27bb9e501c5b7b8acce