硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  50

2013-08-27 19:15:03 | 日記
「牧師さん。もう少しだけお話いいですか? 」

少し驚いた様子だったけれど、再び椅子に腰を下ろしこちらを向いた。

「・・・どうなされたのですか。何やら思いつめている感じがしますが・・・。」

「・・・。私自身の話なのですが、聴いて頂いてもいいですか。」

「いいですよ。何でもお話しください。」

私は、中学生での初恋とその後の失恋、そして再会。それによって生じた心の葛藤を話した。すると牧師さんは微笑んで私に優しく話しかけた。

「恋をなさっているのですね。いいですね。でも、それがあなたにとってはいけない事なのではないかと思われている・・・。」

「はい。」

「唐突ですが、聖書はお読みになった事はありますか? 」

「えっと、大学時代に少しだけ・・・。」

「ふむ。では聖書の話をしても大丈夫ですね。」

「ぜひ、お聞かせください。」

「聖書には、愛について、愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び。すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えるとあります。」

「はい。」

「これは聖パウロの御言葉ですが、聖パウロは、愛は観念でなく行動であると言っています。行動なのだから、当然間違えることもある。だから、人を、自分を、赦す事から始めなさいと。そして、忍んで信じて望んで耐えたところに真の愛があると言うんですね。」

牧師さんはゆっくりと丁寧に話を続けた。

「でも、耐えるというと、少し重苦しい感じを受けますでしょう。しかし、ここで示されている、耐えるという言葉の意味は、身を呈して守らなければならない相手を護るとか、相手を落ちないように下から支え続けるという意味も含んでいるのですね。そして、そのように働き続ける所にこそ、真実の愛が生まれるのだと。」

「はい。」

「愛と言うものをそのように捉え直すと、私たちが日常で見聞きする愛という言葉の意味合いの違いに戸惑いを感じるかもしれませんが、神の御心に適う愛はそういうものだと私は思っています。」

「・・・深いですね。もし、その愛が真実なら、私、そこに到達する自信がありません。」

「雫さんは素直な方でいらっしゃる。あなたの話に耳を傾け続けていた西氏の気持ちわかる気がしますよ。」そう言って、微笑まれた。