夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

出産迄

2012-11-13 21:55:04 | 日記・エッセイ・コラム

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今日の富士山

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出生前検査が話題になっています。

医学の進歩??に依って、胎児が大変なことになっています。

物も言えない赤ちゃんが親や周囲の都合で産まれる前から虐待以外の何ものでも無い死という扱いを受けることが多くなることが危惧されるからです。

私も妊娠中に胎児の心音が聞き取りにくく、胎児に心臓病の疑いがあると言うことで入退院を繰り返した経験があります。

入院中の個人の医院から、救急車で国立病院に搬送され1月から、4

月の出産迄入院しました。

お腹の上に分娩監視装置の器具を付けられ、24時間の点滴。

ただただ胎児の無事と成長を祈って、病院のベッドに横になっていました。

子供の心臓病や障害の覚悟は出来ていました。

同じ部屋に高リスクの妊婦が沢山入れ替わり立ち替わり入院して来ました。

色々な考え方の人がいました。

「子供が障害児だったら要らない。」とまで言い切った高学歴の人もいました。

私も子供が障害児だったらかわいそうだから子供と一緒に死のうとまで考えたこともあります。

子宮口を縛る手術が上手く行かないで胎児が下がって来てしまっているので、毎日がお産のような痛みでした。

妊娠中の為に痛み止めも使えず、あまりに私が苦しんで痛がるので、夫が中絶をお願いしたこともありました。

でも子供もお腹の中で生きようと頑張っているのだからと頑張りました。

生まれた子供は心臓病でも障害児でもありませんでした。

無事健康な子供を出産の後みんなが「あんまり毎日沢山注射ばかり打って子供は大丈夫かと心配で心配で」と本音を言っていました。

  医者にだってみたて違いはあるのです。

  赤ちゃんの取り違えさえあったのですから、絶対間違いないなどと言うことは無いのです。

        障害児を事前に排除するような選別は障害者を受け入れない考え方に通じると思うのです。

生後障害者を殺したら、殺人です。

胎児なら障害があると言って、親や周囲の都合が優先されるのでしょうか?

    今、私も障害者手帳を持っています。

始めの頃は悲しくて、泣いてばかりいましたが、最近はきっとこれが私の宿命なのだろうと思うようになりました。

介護される本人が、遠慮しないでこうして欲しいと本音を言える社会。

障害者が人権を守られる社会。

そんな当たり前の世の中にする為に、私は選ばれて耐え難い疼痛を伴い生かされて、ここにいるような気がします。

ペンは剣より強し

幸いまだ書く事は出来ますので、色々な事を書いて行こうと思います。

男女の性別も最近は殆ど当たっているようですね。

私は医者がГ今度は女の子だよ」と励ましてくれたので、中絶しないで頑張れました。(頑張っている私に対する医者の情けです。

私も見え透いた嘘と知りつつほんの少しの望みを持っていました。)

いよいよ出産の日。

早朝、経緯を何も知らない分娩室の夜勤の看護婦が「男子」と大きな声で叫んで私の妊娠生活は終了。

三人息子の子育てが始まったのです。