夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

片付け

2011-06-15 20:48:22 | 日記・エッセイ・コラム

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大震災の瓦礫の片付けが遅々として進まないと非難する人がいる。

重機を使ってさっさとやれと大声で批判する人がいる。

確かに瓦礫は、衛生面、防災面、あらゆる面で、困ったものだと思う。

しかしながら、その中に、沢山の行方不明者の方々が埋もれていらっしゃる可能性があるのです。

やはり人間の力で、コツコツと丁寧に目視しながらやって行くしかないのではないかと思います。

そうすれば、あんなに丁寧に探してくださったのにと諦めもつきます。

もう100日も経ちます。

でも、悲しみはまだ始まったばかりです。

母の遺品を整理する時、兄嫁の事務的な態度にひどく傷ついた私です。

たった18日の闘病生活で、サヨナラの挨拶も、ありがとうのお礼の言葉も交わさないで逝った母の遺品を眺めて、一つ一つの遺品に一粒一粒涙した私です。

瓦礫は、無責任に違法投棄されたゴミではありません。災害に遭った方々の人生そのもの、生活なのです。

思いやりの気持ちで、瓦礫の山を見て欲しいと思います。

そして、片付けに協力して欲しいと思います。


夕焼け雲の神謡(ニーリ)

2011-06-13 22:58:44 | 日記・エッセイ・コラム

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新富士病院院長で、詩人のかわかみまさとさんの新しい詩集夕焼け雲の神謡(ニーリ)が出版されました。

詩も素晴らしいのですけれども、あとがきが気に入ったので、紹介します。

前略

どうして綿々とГ詩」に関わるのだろう?

繰り返し問いかける。

ふと、大事な忘れ物をしている想いにとらわれる。

富士山の麓に在る職場からは、小さな運河のような田子の浦の先に駿河湾が見渡せる。

中略

しばし、海を眺める・・・。こころがざわつき、瞬時に故郷の少年時代にタイムスリップする。

中略

夕凪の海辺で防波堤に寝そべって雲の動きや色合いの変化を観察した。

夕陽に照らされた雲は、いっそう透き通った悲哀と愛しさを解き放つ。

少年の想像力は自在である。

貧しい生活を救うため、あの夕焼け雲を切り売りしたら、「どの程度の値がつくだろう」「心やさしい人に贈ったら喜ぶだろう」と、まじめに考えたりした。

   いつの間にか、何処からともなく生まれ、何処へともなく消えてしまう雲の成り立ちに生命の甦りを感受するようになった。

雲には形なき生命の記憶が潜んでいる。物静かな気分や切羽詰まった泡立つ感情をなだめてくれる。

DNAに刻まれた記憶というより、もっと太古の原形質の海に漂うまぼろしのごとき生命の記憶に違いない。

中略

ここに修めた作品は夕焼け雲に魅せられた感性が紡いだ生活世界の言葉である。後略

認知症や、脳卒中、難病の患者に毎日真摯に対応してくださっている院長先生。

生まれ育った宮古島の与那覇湾のように穏やかで、瑞々しい感性です。

   魚になりたい   かわかみまさと

魚になりたい。

魚になりたい。

水を清める、

小さな魚になって、

みんなのこころの海で、

すいすい泳ぎたい。


ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

2011-06-12 21:41:47 | 日記・エッセイ・コラム

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

澱みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし。

世中にある人と栖と、又かくのごとし。

方丈記

鴨長明  1155~1216

鴨長明の生きた時代は、平安時代の末から鎌倉時代の初め、十二世紀の後半から、十三世紀初めにかけて、政治の実権が、貴族から、武士へと移ってゆく、歴史の転換期です。

方丈記は、亡くなる四年前に書かれました。解りやすい文章で、『人はどんな心を持って、万事思うに任せないこの世を生きていったら良いのか』ということを私たちに伝えています。

1185(元暦げんりゃく二)年には大地震が起きたと記述があります。

地震に伴う津波や、液状化現象、長く続く余震まで、実に的確に記述しています。

800年も前の文章、感性、教えとはとても思えない程、新鮮で、的を得ています。

現在の日本ととてもよく似た社会情勢ということもあります。

朝に死に夕に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似りける。

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。

また、知らず、仮のやどり、誰が為にか心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。

方丈記は、読みやすい古典ですので、皆様にお薦めいたします。


雨にぬれても綺麗に咲いています!

2011-06-11 22:31:00 | 日記・エッセイ・コラム

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子どもの頃、優しい雨降りは好きだった。

いつも野良仕事で真っ黒になって働いている母が、家にいられるから..

田植えの時、腰迄泥んこの田んぼに浸かって、流産しないかと不安でならなかったと亡き母から聞いた。

今は田植えは、みんな田植機でやっているよ。お母さん

だから安心してゆっくり休んで下さいね!お母さん

雨が降ると私もお母さんが作ってくれた鍋焼きの真似をして、ホットケーキの粉で色んな味のおやつを子どもたちのために作りましたよ!

私ももう孫が、五人もいる正真正銘のおばあちゃんになりました。