夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

墓前の会話 感激編

2017-03-21 22:10:06 | 日記・エッセイ・コラム

                                    墓前の会話  感激編

春のお彼岸なので、今日も墓参での出来事の話です。

時  今から15年前の、平成14年春のお彼岸。

場所  静岡県沼津市の私の先祖のお墓

       経緯

その年私は、営業の仕事で年度末の売り上げ高のコンテストで全国で一位になれるかどうか微妙なところでした。

前年度は全国で八位でしたので、二位でも大躍進と言う位置です…

生活の為と言うよりも、自分の楽しみで始めたファッション関係の仕事でしたので、

正直なところ、営業成績の順位に欲はあまりありませんでした。

自分の知識やセンスでみんなを綺麗にしたりして、幸せにしてあげたい!

そして自分も色々な事を見聞して、もっと勉強したいと思って毎日張り切って働いていました。

 美と健康をテーマの仕事が私に合っていたらしく、努力と工夫で結果が出ていました。

が周囲の協力なくしては、ベスト10は難しいことです。

私には姉妹も無く、娘もいません。

頼りの母親も亡くなって、12年も経っていました…

   山陰地方で頑張っている二位の方が大きな数字をあげたらしいと言う連絡が営業所から入って

万事休す。

『また来年頑張ろう!』と気持ちを切り替えて、御先祖様や父母、祖父母、夭折した姉等の眠るお墓に向かいました。

             リリリーン

お墓に着いてお花をあげるやいなや

突然携帯電話のベルが鳴りました。

エッ

天国の母親から電話?!

ギョッとしました。

まさか、そんな訳無いでしょう。

電話は大学時代の親友からでした。

私よりも一つ年下ですが、私はしっかり者の彼女を姉のように慕っているのです。

Гこの間の話だけど、買ってあげる。だって、貴女昔から、何時も頑張っているんだもの。

私の二倍人生を生きているタンポポさん」

 本当に、嬉しくて感激しました。

彼女だけでなく、色々な方々の助け舟のお陰様で、全国で一位になれました!

 仏様って、何時も案じて見守っていて下さるんだと確信した出来事です。

  街中の家の庭にて

ペチコート水仙 

 

 

 

 

 

 


墓前の会話

2017-03-20 20:14:06 | 日記・エッセイ・コラム

               墓前の会話

           亡き人のいるあの世と生きている人々のいるこの世を繋ぐ

お墓は、亡き人の眠る場所。

早くに両親を亡くした私たち夫婦は、

古い演歌の歌詞の如く、『骨迄愛して』…?

命日は勿論のこと、新年、春秋の彼岸、お盆、何も無くても庭に四季折々の花が咲くと何時も夫婦で墓参りをしています。

 今日は朝早くから富士霊園に義父母の墓参に行く計画を立てていました。が、フラフラして上手に歩けません……

先日のように脱力しても困るので、仕方無く、ケビンが一人で墓参り。

帰って来たケビン曰く、一人だったので何時もお墓で出逢う裏のお墓のご主人に、私が死んだのか間違われたとのこと。

Г何時もお花を沢山持って一緒にお墓参りに来ていた方が亡くなったのですか?

お線香をもらったこともあります…」と私を偲んで下さった?!

 自分では、お線香を差し上げたことなど全く覚えていません……

が墓参の度に何時も良くお会いするので、挨拶は交わしていました。

 ケビンが、Г亡くなったのは老母で、何時も一緒に来る家内は体調不良で休んでいる。」と説明。

お墓を綺麗に磨いたり、掃除をしたり、亡くなった故人の話をしたりして

二人でまるで竹馬の友のように、親しく話したとのこと。

 富士霊園のように、広大な霊園で隣同士になるのも何か深い縁があるのでしょう。

生きている間のご近所は、引っ越しをすれば解消しますが、亡くなってからの引っ越しは、自分の意志では不可能です。

墓終いになる迄ずっとご近所さんです。

隣の仏様の生前は存じ上げていませんが、何時もお墓参りにいらっしゃる息子さんはとても感じの良い方です。

きっと、穏やかな親子だろうと思います。

良かったですね……御近所が優しい方で

お義母さん貴女は、もう亡くなったのですよ!

貴女が溺愛した義兄一家に「お婆さんは、人を受け入れない人だ。」なんて二度と言われないように、

成仏して下さいね……

 

 

 

 

 


春のお彼岸故郷の景色

2017-03-18 22:55:06 | 日記・エッセイ・コラム

                 春のお彼岸故郷の景色

富士市は煙突のある街です。

工業都市として発展して来ました。

私の母親の生まれ故郷です。

母は富士に生まれて、沼津で死去。

私は沼津市に生まれて、多分富士市で生涯を終えると思います。

愛鷹山麓が私の故郷です。

沼津市に入ると、煙突は見かけません……

耕作放棄されて荒れ果てた田んぼや、葦や茅等の生い茂る沼地が広がっています……

 

風も無く穏やかな陽気なので、私の両親や御先祖様の眠る沼津市内のお墓参りに連れて行って貰いました。

沼津市は昔は、静岡県東部地区の代表的な市でしたが、昨今、故郷沼津の凋落はたまに訪れると良く解ります。

商店街はシャッター通り。

街中にも賑わいが在りません。

沼津駅や幾つもの商店街からも比較的近くて、風光明媚な千本地区。

私の通学した高校の周辺の住宅地にも、空き地が目立ちます。

空き家らしき家もチラホラ。

中には、管理もされていない廃屋寸前の建物もあります……

私が高校生だった49年前には、憧れの高級住宅の建ち並ぶ、お嫁に行きたい場所だったのに…

時の流れは、時代の変化。

高校生だった私も還暦を過ぎた立派なお婆さんです。

  新築の建物と言ったら、葬祭場や老人ホーム、ディサービス等の高齢者向けの物ばかり。

お墓参りに行く度に、同じ墓地の墓石には、親類や知人等の名前が新しく彫られています…

 

                

  仏様の冥福を祈って  合掌

 

 

 

 

 

 

 


生きる貴とさ

2017-03-17 19:51:32 | 富士山

               生きる貴とさ      

   身延山第九十世  岩間日勇法主 著『共に生き、共に栄える』      より            

             生きる貴とさ

逝きし人は

再び帰らず

 

過ぎし月日も

また戻らない

 

流転の中に

生きるいのち

 

はかなければこそ

確かなものにしよう

 

悔いなき一生を願いつつ

逝く年の瀬に立って

 

生きる貴とさを

しみじみ思う

   みのぶ 第百四巻 第十二号付録 平成25年12月1日

                春のお彼岸です。

再び帰らぬ逝きし人々に心静かに合掌…

生かされて生きる今を大切に