月例参禅会、この時期になると家を出るときは、まだ薄暗い。
ことに雨天となると、ことのほか薄暗さはひとしお。
鐘3つで始まるスタートの合図は、
外が薄暗いだけに、蝋燭だけの禅堂を
神秘な時間への入り口?を思わせる。
外は、入堂前からの大雨、少しうるさいほどの雨たたきの音。
聞くとなしに座っていると、
老師の話題はやはり「雨の音」、ひざの上で結んだ、
両指の輪(法界定印、ほっかいじょういんと読む)
に意識を置くのであるが、
「しばらく、雨の音に意識をおいてみては?」との由。
いつもと、違ったひと時でした。
一宗一派に偏らないと説いた、お釈迦さんの言葉にこんなのがありました。
「聞きおれば、己を想う、(軒の雨たたきの音)」
( )内は、今日は、雨たたきでありましたが、
「草むらの虫の声」等とも、
今ある私は「己か、雨なのか?」など、何にでも自分と見比べる語ともなっています。
薀蓄ありますね。
ことに雨天となると、ことのほか薄暗さはひとしお。
鐘3つで始まるスタートの合図は、
外が薄暗いだけに、蝋燭だけの禅堂を
神秘な時間への入り口?を思わせる。
外は、入堂前からの大雨、少しうるさいほどの雨たたきの音。
聞くとなしに座っていると、
老師の話題はやはり「雨の音」、ひざの上で結んだ、
両指の輪(法界定印、ほっかいじょういんと読む)
に意識を置くのであるが、
「しばらく、雨の音に意識をおいてみては?」との由。
いつもと、違ったひと時でした。
一宗一派に偏らないと説いた、お釈迦さんの言葉にこんなのがありました。
「聞きおれば、己を想う、(軒の雨たたきの音)」
( )内は、今日は、雨たたきでありましたが、
「草むらの虫の声」等とも、
今ある私は「己か、雨なのか?」など、何にでも自分と見比べる語ともなっています。
薀蓄ありますね。