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校区内にかって3軒の銭湯があった。鉄砲小路と錦帯橋近くの土手町、もう1軒は昔の岩国税務署から少し細い道を入った塩屋町と曲尺町の中ほど、どれも表通りから1歩入った共通点がある。
土手町のそれは閉店後、岩国特産の漬物店のギャラリーとして観光客向けに開かれている。宇野千代お勧めのお店として漬物工場には観光バスが立ち寄る。ギャラリーの玄関は往時のままで懐かしい。
長久寺小路の銭湯は早くに閉まった。普通乗用車の離合も難しそうな小路沿いだが、当時は垢抜けていたであろうアパートに建て変わった。しかし長い年月、周辺も次々に建て代わりかっての雄姿をしのぶ由もない。
最後の1軒、燃料のおが屑を積んだ軽トラがこなくなってまもなく閉まった。それから3年になる。建物は今も残っているが役目を終えた煙突、町の移り変わりをどんな目で見たのだろう。入り口の扉があく1時間もまえから利用客が集まり「銭湯入り口サロン」のようで賑やかだった。
銭湯は町の社交場とも呼ばれ、なくてはならない施設のひとつだった。ひとたび閉じればこのご時勢、再び開くことはなかろう。古いといいながらも庶民の生活が染み込んだ歴史が姿を消す寂しさは、単なる感傷だけではない気がする。
(写真:煙が出なくなって寂しく感じる銭湯のなごり)