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作家五木寛之さんが小説「親鸞」を新聞小説として連載したのは2008年1月からの約1年間。それは青年親鸞の、道を求めて苦悩する姿が描かれた。連載と同時に反響を呼んだ。それは宗教家としての親鸞ではなく、苦悩する一人の庶民の姿だった、そう感じている。
それから2年して「激動編」としての連載が昨年の1月から336回連載された。激動編は妻の恵心尼とともに流罪地の越後、布教の地関東が舞台だった。そこでは親鸞の壮年期が描かれたが、庶民の中での苦悩の生きざまは青年期と変わらなかった。
激動編は関東は常陸の地へ来て20年、60歳を超えて考えるところあって都へ上るところで終わり、「完」となった。都へ上ってからの親鸞は読めないことになる。
そんな連載を楽しみに読み、切り抜きし、青年編4冊、激動編3冊、合わせて7冊の「私製 親鸞本」を完成させた。4冊合わせると690ページ、厚さは新刊本2冊ほどになる。その特徴はこの7冊が他に類がないという事が自慢だ。
こうした小説は時代を写すため難解な文字や言葉、地名や人名が使われるが、そうした文字にが必ずルビがつけられ、読みやすさへの気遣いがうれしかった。やや大きめの文字にも親しみを感じた。
親鸞は浄土真宗の開祖。自分を念仏の道に導いてくれた法然を一生の間尊敬し信頼し感謝し続けた。その姿は世が親鸞を聖のごとく高く認めた後も変わることなく、いや、親鸞の信心が深まるにつれより強くなっていくことに感動する。
(写真:私製 親鸞本、上3冊が激動編)