日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

三角州 俯瞰6

2012年09月06日 | しっちょる岩国
           

 錦帯橋からおよそ3キロ下流の井堰で錦川は今津川と門前川に分岐する。この井堰、錦川はかって門前側に流れていたが、今津に港を作るため流すようにつくられ今の今津川となったという。今津川・門前川に分かれる井堰のそば、有名なクスノキ巨樹群があり市民の憩いの場になっている。

 クスノキから広がる下流の三角州地区を「川下」いう。平地の多少の凹凸はあっても、小高い場所はなく、授業で習った正真正銘の三角州、城山から見るとその形がよく分かる。三角形の頂点の部分に住宅地が見える。そこから瀬戸内海に接する広大な地は米軍海兵隊岩国航空基地、その広さは市街化区域の四分の一を占めている。

 ここは1938(昭和13)年に日本海軍の航空基地として建設が始まり、終戦の年に完成した。敗戦により国連軍が進駐した。その後に米海兵隊基地となり現在に至っている。いま、話題のオスプレイ12機が駐機している。日本海軍基地となる前は農地とそれを作る人の集落だった。当時の地権者は代替地としてかなりの土地を与えられた、接収にあった先祖の人の話を知人から聞いたことがある。

 「ここは日本の西部か」とアメリカ映画の西部劇に例えた人がいた。通りの看板はずらり横文字、そこを行き来する人は外国人、たまに通るとき日本なのになぜか急いだ記憶がある。いまその面影は無い。ただ、朝鮮・ベトナム両戦争時の異常さは今も記憶している。

 江戸時代、川下は城下から上の関までの海路をむすぶ重要な地であり、愛宕や灘など南部地区から白崎八幡宮へお参りする人たちで賑わったという。いつかそうした通りを歩いてみたい。
 

 

 
コメント (2)
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