垣根を刈り込み中の家のそばを通りかかった。「綺麗になります」と声を掛けたら「この暑いのによう伸びたと感心します」と、同年輩くらいの男性。かなり使い込まれた剪定ばさみを立てかけ汗をぬぐわれた。
「昔は切った小枝などは庭で燃やしていたが、このごろはこれを燃やすとやかましいので、燃えるゴミとして出しよります」と積まれた切れっぱしを指される。「どっちがええのか分かりません」といいながら作業を再開された。かなり長い垣根、その量は少々でないことは予想がつく。
その垣根、何種類もの木が混ざり合って茂っている。それも風情があっていいのかもしれないと眺める。壁の面のように刈り取られ跡に飛び飛びに植わっている茶の木がある。それにたくさんの実がついていた。その花の季節には通る人を慰めたのではと思う。
屋敷からはみ出した枝などが通行の邪魔になっても知らぬ顔の家主もある。せっかくなった実が塀の外へ落ち道端を汚しても気づかぬのか放置のままもある。これからは柿の木が肩身の狭い思いをする季節になる。境界のうちだけでなく、そこを越えた公共部分にもちょっと気を回して欲しい。
軽快に剪定ばさみ使っている人が「元気なうちはこうして刈り取れるが、果たしていつまで続くか」と先行きの心配をひと言。自分でも深い意味はないのだが、ふと、そんなことを感じる時がある。「過信はするな、70過ぎたら気持ちと身体は連動しない」と経験を話してくれた先輩がいる。チェックリストに記しておこう。