「令和2年7月豪雨」はまだ収束せず、日本列島上空に留まっている。市の防災情報は深夜から今朝がたまで、避難の呼びかけをはじめ、土砂災害の危険箇所、気象情報の内容などの発信が続いた。勤めの人には睡眠不足の方もあったのではと心配するが、被害のないことが一番、薄日のさし始めたころに部屋に風を通しながら思った。
コロナ感染を気にしつつ、被災地のボランティアの人をはじめ復旧に携わる人の映像を見ながら、治水対策の難しさを思う。その一つ、土砂(山)崩れで発生した流木の多さに驚きながら、昔から変わらない流木被害を思いだす。終戦直後に小学校入学、台風や大水のとき濁流の中を大きな木が何本も下流に流れる様子を臥龍橋の上からのぞき込んで見ていた。山林の保全が改良されたのか見かけなくなった。
最近は数十年、百年に一度という降水量が毎年のように発生している。局地的な現象ではあるが常態化するのではと思うようになった。土砂崩れの発生しない保全が第一だが、万一土砂崩れが発生したときその被害を抑えることが必要になる。策はいろいろあるだろうが、天然ダムをつらせないことも一つと思う。
先日の錦川増水の後で中州の倒れた雑草を見ていて気付いた。中州に茂った雑木群が濁流の流れを変えていることが、雑草の倒れ方を見れば素人でもわかる。こうしたところに流木が掛るとダム化することが想像できる。浚渫と雑木林、中には径がひと抱えもありそうな木などの除去が必要だろう。こんな心配を抱き始めてそれほど経っていない。中州に棲みついている生き物と共生できれば最高だが。